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2008/09/02

■教員採用不正事件に関する大分県教育委員会の鉄面皮な犯罪

最近の様々な事件には、分野を超えて何か奇妙な相似性があります。
昨日の福田首相の辞任は、まさにその象徴のよう事件でしたが、記者会見を聞いていて、いつもは腹立たしく見ているタレントの無知のひけらかし番組以上のやりきれなさを感じました。
一生懸命生きているのが、虚しくなるほどの憤りを感じます。

昨日、書こうと思っていたことを今日は書きます。
大分県の教員採用不正事件に伴う教師への対応です。
これにも大きな怒りを感じます。
私の怒りの対象は、解雇宣告された教師ではありません。
それを決めた大分県の教育委員会です。

たとえば昨日の朝日新聞には「今年度の教員採用試験で、得点改ざんにより不正に合格したとされる教員21人の採用取り消しを決めた大分県教育委員会は31日、自主的に退職するかどうかの回答を9月3日までに求め、退職しない教員は5日をめどに採用を取り消す方針を明らかにした」と、昨日の朝日新聞は報道しています。

どうも私には理解できません。
教員が「不正合格」したのではなく、教育委員会が「不正合格」させたというべきです。
加害者と被害者の関係が逆転しています。
合格した人たちに、何の罪があるのでしょうか。
自分の知らないところで、不正が行われただけなのに、なぜ「不正」と非難されなければいけないのか。

それに権威あるところが、一度、合格させたのであれば、それは当事者に不正がなければ、取り消しはできないはずです。
契約を何と心得ているのでしょうか。
このやりかたがビジネスや日常生活にも適用されれば、社会は維持できなくなるはずです。
一度決めた合格を当事者には無縁の理由で一方的に取り消すことは、まさに「不正」であり「犯罪」です。
大分県の教育委員会は、二重の犯罪を重ねています。
この構図も、最近の政治や行政、企業に見られる共通の構造です。

でも試験に合格する得点を得ていないのだからと言う人がいるかもしれません。
そういう人には問いたいのですが、試験の点数がそんなに大事でしょうか。
試験の点数で教育が出来るのであれば、コンピューターに任せればいいでしょう。
それに試験の点数が良くて、出世した人が、何をやっているか良く考えましょう。
優等生は、首相になれても国政などできないことが、この数年、いやと言うほど知らされたのではないでしょうか。
官僚も、企業人も、試験の点数で選んできたために、みんなおかしくなっているのではないかとさえ、私は思っています。
知識や試験が不要だというのではありません。
現在の試験で問われていることの内容がおかしいと思っているのです。念のため。

しかも大分県の教育委員会のやり方は「いじめ」のようなやり方です。
先ずは自分たちが辞職すべきでしょう。
親や関係者を断罪すべきでしょう。
相手を間違ってはいないでしょうか。
被害者は生徒と先生です。

資格試験は利権に繋がっています。
大分のみならず全国で、多かれ少なかれ抗した「不正」は行われているでしょう。
そして、たぶん多い他のようなやり方で、本当の加害者はいつも安泰なのでしょう。
ほんとうにやりきれない話です。

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コメント

絵に描いた、トカゲの尻尾切り、という奴ですね。

犯人は誰なのか? 教育委員会でしょう?それに口利き議員。

教員自身が犯罪を犯したわけではない。口利きを誰が依頼したのか、誰が受けたのか。万が一、辞職させるのなら、依頼者とそれを受けた人を、個人個人について明確にし、解職以上の処分をすること。

当然ではありますまいか?

投稿: 古井戸 | 2008/09/08 20:01

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