■節子への挽歌365:仏の生みの親のジュンのこと
昨日、魂を入れていただいた、わが家の大日如来は、むすめのジュンの作品ですが、
彼女はリアルな人形が好きではありません。
そこに魂を感じるのか、子どもの頃から怖いと言っていました。
実はこんなことがありました。
同居していた私の父が病気になりました。
ジュンは、紙粘土で父の像をつくりました。
それをジュンは、父の誕生日にプレゼントしました。
とてもユーモラスに父の特徴をうまく捉えていて、それをもらった父はとてもうれしそうでした。
家族のみんなが、私のも創ってほしいと言い出すほどでした。
ところが、その人形を仕上げてから3ヵ月後、父は息を引き取りました。
父も胃がんで、実はもう医師の宣告期間をすぎていたのです。
もう20年以上前の話です。
ジュンは、それ以来、人形をつくるのをやめました。
私も人形をつくってくれないかと頼みましたが、つくってはくれませんでした。
人形をつくったことで、父が死んだのではないかという思いがどこかに生まれてしまっていたようです。
父の人形は、その後もわが家で母と一緒に過ごしていました。
父の人柄を見事に表現している、その人形を、私は大事にしたいと思っていました。
しかし、母が亡くなった時に、ジュンは父の人形も一緒に送ろうと言い出しました。
誰も反対しませんでした。
父と一緒に旅立てれば、母も心強いだろうと思いましたし、その時はそれが当然のように思ったからです。
しかし、きっとジュンの思いは少し違っていたのかもしれません。
子どもは、大人よりも彼岸に通じていますから。
その後、わが家からほとんど人形はなくなりました。
母の葬儀の時、その父の人形を菩提寺の住職も見ています。
それがよほど印象深かったのでしょう、節子の葬儀を終わって、住職にみんなで挨拶にいったら、最初に出てきた話題が、その人形の話でした。
節子の仏壇に合う仏様をみんなで探しました。
節子も含めて、家族みんなが納得できる仏様ですが、そんな仏はありませんでした。
そのうちに、ジュンが私がつくってもいいならつくるよ、と言い出しました。
そして生まれたのが、この大日如来なのです。
私にとっては、この如来像の後ろにたくさんの物語がついているのです。
そうした物語を思い出しながら、これから毎朝、拝んでいくつもりです。
私にとっては、ジュンは運慶よりも優れた仏師です。
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