■節子への挽歌400:「今日、ママンが死んだ」
「今日、ママンが死んだ」
カミユの作品「異邦人」の書き出しの言葉です。
挽歌340で、この言葉について書こうと思っていたのですが、書いているうちに話がそれてしまいました。
いや、書けなくなって、わざとそらしてしまったのですが。
一周忌も終わり、節子の両親への報告も終わり、少し気持ちが整理できて来ましたので、改めて書きます。
「節子が死んだ」。
今も、私にはかなり勇気がいる言葉です。
この言葉を自分で使うことは、節子の死を認めることになるような気がして使えないのです。
今でもなお、節子の死を受け入れられない自分がいます。
おそらく愛する人を失った人は、同じような感覚を持っているでしょう。
愛する人が、愛している自分を置いて行くことなど、ありえないのです。
それこそ、まさに「不条理な話」。あってはならないことなのです。
「今日、ママンが死んだ」
その死を語れる人は幸せです。
しかし、死を語れない人もいる。
「異邦人」を読めば、たぶんわかるでしょうが、ムルソーは母親を愛していました。
だからこそ、「不条理な事件」を起こして、「不条理な死」を迎えるのですが、それを理解してくれているのは「太陽」だけだったのです。
その「不条理さ」が、静かに、しかし深く理解できます。
「今日、ママンが死んだ」
この言葉は、ムルソーの言葉ではなく、カミユの言葉でしかないのかもしれません。
なぜムルソーの言葉ではないと思うかといえば、ムルソーが母を愛しているからです。
「交流しあう自他、両者を隔てる壁を相対化し、その間に横たわる距離を縮め、自分の中に他者を取り込み、他者の中に自分を見出すことのできる心の状態」(片岡寛光「公共の哲学」)こそが愛だとすれば、他者の死は自らの死でもあり、それは語りえないものだからです。
他者の死は体験でき語れても、自らの死は体験できずに語れないことはいうまでもありません。
「今日、ママンが死んだ」
昨日、湯河原に寄ったので、そこに置いていた「異邦人」を持ち帰りました。
もう一度、「異邦人」を読むことにしました。
今度は、節子と一緒に、です。
最近、なぜか節子に会った頃に読んだ本を読み直したくなっています。
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コメント
初めてメールさせて頂きます。「妻への挽歌」を毎日読ませて頂いています。
うちは今年4月に主人がいなくなりました。私もどうしても「死」という言葉を使えません。今ちょっと姿を消してるだけのような気がしています。
奥様は癌でらっしゃたんですね。闘病も二人三脚でやってこられたんですね。うちは「拡張型心筋症」という難病で、分かったのは30年も前。ほんとに発病しだしたのは13年前でした。二人三脚で頑張りました。主人はほんとに頑張って頑張って粘って粘って生き抜いてくれました。私も自分が考えられるだけのことはして支えたつもりです。数値的には5年ほど前からでも心臓移植の対象になるくらいでしたからお医者様からみれば、よくここまで・・・ということかもしれませんが、でも私達にとって別れは「唐突」の感はいなめません。
当初は私が主人を送らなければという責任感で緊張と興奮状態ですから他人から見ればしっかりと対処していたと思いますが、実際は何もわかってないからできたことで・・・四十九日が過ぎたあたりから本物の寂しさ悲しみに襲われています。
こちらのHPで、奥様を想う気持ちを読むたびにそうなの、そうなの・・・と涙ぐんでいます。多分年齢的にも似たような感じかもしれませんね。主人は62歳でした。私は3歳下です。
子供達は独立していますから私は今ひとりで(主人と二人で)います。朝と夜に話しかけ、涙を流し・・昼間はなるべく人様に迷惑な暗い顔をしないでおこうと心がけていますが。。。
私自身もあの時点でも「終わったなあ」という気持ちがしています。主人にしか見せない私はもういないということですから・・半分がなくなったというよりほぼほとんどがないような頼りなさというのでしょうか。。。
なんでもない日々を笑いあうことも主人が保障してくれていたんだなあとつくづく思います。
つまらないメールを書いてしまってすみません。
でも、こちらの挽歌を読むことで自分の気持ちを聞いているような気がして少し整理できることがあるんです。ありがとうございます。
節子さんはお花がお好きだったんですね。私も大好きでずっと庭に一杯花を咲かせていました。でも去年長年住んだ家を売って都心のマンションに引っ越しました。それも主人の病院に近いところ、会社にも近いところということで。。大変便利なところですが・・・土はありません。ベランダ園芸です・・・・主人はここに一年居る事もかないませんでした。ここで体を宥めすかしながら遠くに行けなくてもいい(近所をゆ~~っくり歩くくらいしか出来なくなっていたので)多くは望むまい、ここで便利に細く長く窓の外を眺めてすごす楽しみを見つけようと思っていました。私もそういう生活に切り替えてやっていました。
ほんとに・・・・残念です・・・でも、主人が残してくれた所ですからベランダ園芸で仏壇にお墓に花をきらさないようにと
思っています。
長々と・・こちらの話ばかりすみませんでした。
投稿: 田淵 マサ子 | 2008/10/05 22:58
田淵さん
ありがとうございます。
別れは「唐突」。
本当にそうですね。
わかっているはずなのに。
30年間のお2人の関係が少しだけわかるような気がします。
いろいろと書こうと思いながら、
やはり書けません。
また気分が向いたら、投稿してください。
私は、このブログに書くことで気を鎮めています。
内に秘めずに、発散するのがいいような気がします。
投稿: 佐藤修 | 2008/10/07 08:36