■現実と非現実は連続しています
メラミン検出食材がさらに広がりを見せ、食への不安は高まる一方です。
私自身は、現代社会の「工業的食材」(工業化された農産品も含みます)には、程度の差はあれ、例外なくそうした危険性もしくは問題が内在していると思っていますので、何をいまさらという気がしないでもありません。
それは自分で選んだ道だろうと、つい思ってしまいます。
ところで、問題が起きて、みんなの意識が高まると問題が解決するどころか広がっていくことは食の安全性の問題に限りません。
年金の問題もそうでしたし、国会議員の事務所経費や行政職員の不正の問題もそうです。注意すべきは、そのほとんどが過去に起こった問題が顕在化してきているということです。
つまり、問題が顕在化する以前に、状況はすでに蔓延しているということです。
1会社、1職員、1議員の問題ではないのです。
現実とは何か。
それは、言葉によって表現されるか、マスコミによって情報化されることによって、顕在化します。
実際にどこかに存在していても、誰もそれに気付かなければ、存在しないのと同じです。
つまり、現実と非現実は連続しています。
決してデジタルの世界ではないのです。
どこまで見ることができるか、意識できるかで、その境界は変化します。
人の意識が関わってこそ、現実は現実になります。
いささかややこしいですが、現実を構成するものを「原-現実」と呼びましょう。
私たちに周りには、多様で異質で、矛盾しあう「原-現実」があります。
それをどう読み取るか、どう編集するかで、現実は全く違ったものになります。
そして、その現実に生きる私たちの意識は、それによって形成されます。
私たちは、「原-現実」の世界に生きているのではなく、私たちが創りあげた「現実」の世界に生きています。
意識と現実は、再帰的な関係にありますが、「原-現実」はその外部にあります。
食の安全問題の広がりは、そうしたことを教えてくれます。
私たちは、この50年、たくさんの「メラミン的なもの」を食べてきました。
その世界から抜け出すためには、原産地がどこかとか、原材料の信頼性とかを議論するだけでは限界があるでしょう。
問題はすでに普遍化し、まさに私たちの身体や生活と深くリンクしているからです。
抜け出す方法は一つだけです。
「現実」を再編集することです。
「原-現実」は、それに対応するだけの多様性を含んでいるでしょう。
新しい世界への移行には時間がかかるでしょうが、もしそれを決意するのであれば、急がねばなりません。
運がよければ、ひ孫の時代には間に合うかもしれません。
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