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2008/10/14

■節子への挽歌409:この頃、節子の夢をよくみます

節子
節子のことで、1年前と今とで大きく変わったことが一つあります。
夢の中で節子によく会うようになったことです。
昨年は、せめて夢の中でいいからあなたに会いたいと思い続けていました。
しかし、あなたは夢の中にさえも出てきてくれませんでした。
写真を枕の下に入れて寝てもダメでした。
ところが1周忌をすぎたころから、毎日のように節子が夢に出てくるのです。
それはとてもうれしいことです。

夢の内容はいろいろです。
とても幸せなあたたかい夢もあれば、時には涙が出て目が覚める夢もあります。
目が覚めて、つい「ごめんね、節子」と声に出してしまうこともあります。
昨夜はそうでした。
週に1~2回くらいは、夢で目覚めた後、目がさえてしまって、眠れなくなります。
昨年の今頃は、夢を見ないのにそうでしたから、最近は夜中に目が覚めてしまうことは少なくなったわけですが。

夢で目覚めるのは、いつも4時過ぎです。
そのまま起きるのには早すぎるので、1時間ほどいろいろと考え事をしてしまいます。
いろいろなことが思い出されるのですが、それらがすべて、節子を守ってやれなかった悔いにつながるのです。
この挽歌は、私自身の鎮魂歌でもあるわけですが、実は挽歌よりも懺悔を書いたほうがいいのではないかと思うこともあります。

夢の中の節子は、しかしそんな非難の目を私には向けることなく、いつものあたたかさで私をつつんでくれます。
しかし、夢の中では2人とも、節子は彼岸の人、私は此岸の人とわかっているのです。
目の前に節子がいるにもかかわらず、節子はもういないのだからというようなやり取りが行われるのです。
もういない相手を愛し合う関係。
それは私だけではなく、節子も全く同じなのです。
それはそれはとても不思議な世界です。

でも夢で会えるだけでも、私は元気が出てきます。
実は目覚めた時は覚えていても、すぐ内容は忘れてしまいます。
内容は忘れても、節子とあったことはしっかりと残るのです。
節子のあたたかさややさしさ、私への愛情も、しっかりと残ります。
でも内容はほとんど残りません。
毎朝、節子に灯明を点けて般若心経をあげる前に、節子の写真を見ながら、夢で会えてよかったねと声をかけます。
そして節子と共にある1日が始まるのです。

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