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2008/10/16

■沢蟹の話3

久しぶりに沢蟹の話です。
沢蟹関連はむしろCWSコモンズのほうの話題なのですが、沢蟹という検索ワードでこのブログにアクセスしている人が毎日数名います。
それでここにも書く気になりました。

ホームページの方で報告しているのですが、9月に滋賀の石道寺から、また8匹の沢蟹を連れてきました。
今その沢蟹を庭の池の周辺に放しています。
2匹は勝手に水槽から抜け出して、庭に脱出してしまったのですが。
わが家の庭の池は小さいのですが、周辺に草木があり、周辺には蟹にとっての隠れ場所がたくさんありますから、放した数分後にはみんな姿が見えなくなりました。
毎日、暇があれば探していますが、見つかりません。
ところが先日、娘が見つけたのです。
なんと池の中に棲んでいました。
私は池の中だと呼吸が続かないのではないかと勘違いして、池の周辺に水路を作ったりしていたのですが、蟹たちにとっては水中のほうが居心地がよかったのです。
考えてみると水槽の水の中に蟹たちは飼われていましたね。
とんでもない勘違いでした。

餌は蟹の餌を買ってきました。
水槽での観察によれば、それよりも蟹たちはご飯や小魚のクズが好きなようでした。

池の周りを半分囲いましたが、半分はオープンにしています。
蟹の棲息習慣に関する知識が無いのですが、完全に閉じ込めるのはかわいそうです。
隣の奥さんから逃げませんかと訊かれましたので、なついているから大丈夫ですと応えましたが、全く自信はありません。
なぜなら今まで放してから姿を見せた蟹はいないからです。

水槽で飼えばいいと娘は言いますが、やはり蟹にも自由が必要です。
わが家の小さな庭のどこかに沢蟹が棲んでいると思うだけでわくわくします。
そしていつか、「あれ、こんなところを蟹が歩いている」と来客を感動させたいわけです。
水槽では誰も感動しません。
それに私も水槽の蟹をみるよりも、姿は見えないけれど、どこかに蟹がいると思うほうが気持ちが豊かになります。
最近、わが家の狭い庭や小さな池が、とても自然豊かな素晴らしいものに思えています。


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