■節子への挽歌399:節子を見送った後、初めて湯河原で朝を迎えました
節子
昨日は湯河原で泊まりました。
4度目にしてやっと宿泊できました。
湯河原には私たち2人の仕事場があります。
当初は、私の仕事場として確保したのですが、現場志向の仕事に生き方を変えたので不要になってしまいました。
この2年、宿泊したことがありません。
箱根の合宿の後、毎回、ここによったのですが、節子との思い出が強すぎて、毎回、着いた途端に帰りたくなりました。
部屋の窓から見える山並みが、節子の好きな風景でした。
その一つに、勝手に湯河原富士と命名し、スケッチなどしていたのを思い出します。
節子は自然を遊ぶ人でした。
いつも自然の中に素直に入っていき、それを楽しむ人でした。
お風呂の浴槽の横に、節子が近くの浜辺から拾ってきた小さな石でつくったミニガーデンがあります。
節子はこういう、ちょっとした遊びが好きでした。
私も大好きなのですが、節子のはリアル志向で、私のはファンタジー志向でした。
私のは完成したためしはありませんが。
それにしても、節子のいない朝食は恐ろしいほど殺風景です。
節子がいれば、少なくともトーストに野菜サラダ、目玉焼きはあるのですが、今朝はコーヒーだけです。
しかし、野菜サラダなどはどうでもよく、ただただ話し相手の節子がいないのが殺風景なのです。
コーヒーだけでも節子がいれば、最高に幸せな朝食です。
節子の笑顔と話し声があれば、何もいらないのですが、そのいずれもありません。
しかし、きっと部屋のどこかに節子がいるだろうなと思いながら、節子に呼びかけながら、コーヒーを飲みました。
今朝は、窓から見える「湯河原富士」がとてもきれいです。
節子がいたら、これから箱根に行こうと言い出すでしょう。
見ているといろんなことが思い出されます。
室内にも、節子の記憶がたくさん残っています。
障子には、節子が手作りでもみじ葉をはっています。
節子のあそび心は、どんな空間も楽しくしてくれました。
カレンダーを見たら、2006年7月のカレンダーでした。
その月が、2人で来た最後の日だったのでしょう。
最後に来たときの洗濯物が室内にまだ干してありました。
節子の息遣いが少し伝わってくるようです。
節子はとても生活的な女性でした。
それにどうも甘えすぎてきてしまったようです。
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