■節子への挽歌425:心理的なタブーをひとつ克服しました
節子
思ってもいなっかたのですが、今日、国立がんセンター東病院の入り口に行くことになってしまいました。
国立がんセンター東病院は、節子と毎週のように通っていた病院です。
幸いに友人と一緒だったので、話し続けることで、あの日々のことを思い出さずにすみましたが、ドキドキしました。
ある研究会の関係で、今日、東葛テクノプラザを訪問しました。
友人に任せていたので、それがどこにあるか正確には知りませんでした。
ところがタクシーに乗ったら、なんとがんセンターのほうに行くのです。
そして目的地の東葛テクノプラザは、がんセンターのすぐ前だったのです。
東葛テクノプラザでは、実に面白い時間を過ごしました。
そして帰路にタクシーを呼ぼうと友人が言ったのですが、ついうっかり、すぐ前のがんセンターにタクシーはいつもいるよと言ってしまったのです。
それでがんセンターに行くことになってしまいました。
あれほど近寄りたくなかった場所だったのですが、口に出した手前、やはり車を呼ぼうとはいえなくなってしまいました。
こうやって、勝手に心の中に築いてしまっているタブーは破られていくのかもしれません。
自分だけの意志ではとてもまだ近寄れる心境にはありませんでした。
せっかく近くに来たのだからと友人たちがわが家に寄ってくれました。
友人とは、井口さんと坪倉さんです。
井口さんご夫妻のことは節子も知っていて、いつかぜひご夫妻で我孫子にも来てほしいねと話していました。
残念ながら、それは実現しませんでしたが、それがちょっと気になっていました。
井口さんが来てくださったことで、少し気が軽くなりました。
節子の思いは、どんなことであろうと、できるだけ実現していきたいと思っています。
坪倉さんは節子には会ったことはありません。
しかし、私と節子との関係を訊かれたことがあります。
「私と節子との関係」というのもおかしな言い方ですが、坪倉さんの関心事は、夫婦の関係や家族のあり方のようでした。
「節子の家」に、2人に来てもらえたのがとてもうれしいです。
2人と話していて、この家は「節子の家」なんだという気がしてきました。
ここで話していると、どこかに節子がいるような気がして落ち着きます。
今日は、あれほど近寄り難かったがんセンターにも行けました。
そのちょっと心に残りそうだった体験も話をしているうちに消えた気がします。
いまは、ちょっとホッとしています。
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