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2008/10/06

■節子への挽歌401:なぜ人は死者のために献花するのか

節子
名古屋に転居した中村さんとコーラスグループのアルト仲間が、献花に来てくれました。
私もお会いしたかったのですが、用事が重なってしまい、娘たちに頼み、失礼しました。
節子は皆さんとゆっくり話しましたか。

帰宅したらきれいな花が節子を飾っていました。
いろいろな人が、節子を思い出してくれていることはとてもうれしいことです。
しかし、なぜ人は死者のために献花するのか。
夫を亡くした節子を元気づけるために、節子に花を持ってきてくれるのであればわかりますが、
節子の友人が今はもういない節子に献花しにきてくれる。
考えてみると不思議です。

死者が出た事件の現場に、関係ない人が献花に行く風景がよくテレビで映し出されます。
これも正直、私にはよくわからない風景です。
薄情だと思われそうですが、私にはそうした経験は一度もありません。

節子の一周忌の時には20を超える花が届きました。
そのほとんどは女性からのものでした。
これにも驚きました。
うれしさはありましたが、むしろ驚きの方が強かったです。
女性たちの絆の深さと死を悼む気持ちの表現の仕方を教えられました。

先史時代のネアンデルタール人のお墓に花が添えられていた形跡が残っていたという話を読んだことがあります。
死を悼む気持ちの現われとして、花を贈るのは人類の歴史と同じくらい長い風習なのかもしれません。
しかし、なぜ人は死者のために献花するのか。

節子の前に供えられた花を見ながら、その疑問が頭から離れなくなりました。
節子だったら、言うでしょう。
考え悩む問題ではないでしょ、だから文系の人は好きになれないのよ。
節子は、時に「考える人」になってしまう、私が好きではなかったのです。

しかし、
なぜ人は死者のために献花するのか。
もしかしたら、死者のためではなく、自らのためなのではないか。
いや女性たちは、ばらばらの存在にある男性とは違って、生命的につながっているのではないか。
考え出すと眠れなくなりそうです、

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