■節子への挽歌415:いろいろな人のことを気にしあえる文化
節子
朝、起きて節子のところに来たら、百合の香りが充満していました。
昨日は宮内さんの他にも、もう一人、節子に献花に来てくれた人がいます。
岐阜の佐々木憲文さんです。
節子の好きな百合をどっさりと持ってきてくれました。
その百合の香りが部屋中を包んでいたのです。
佐々木さんはとてもお元気そうでした。
大日如来にも会ってもらいました。
佐々木さんは節子のことをとても心配して、節子のためにいろんなアドバイスをしてくれ、また節子のためにいろいろとご尽力くださいました。
節子もとても感謝していましたが、その心遣いに私たちは報いることができませんでした。
今から思うと、私自身、反省することも多く、せっかくのアドバイスをもらいながら、節子を守れなかったことが大きな悔いになっています。
節子がいなくなってからも、佐々木さんは私を元気づけるために、これまでと同じように私たちに接してくれています。
感謝しています。
佐々木さんたちが主宰している共済研究会に、私も参加させてもらっていますが、佐々木さんが目指すものと私が目指すものはほとんど同じです。
人が支えあうことがいかに大切かは、節子と一緒に闘病生活を送り、そして節子との別れを体験した私には、とてもよくわかります。
支えあうとは、そんなに難しいことではありません。
一昨日もある集まりで、話題になったのですが、まわりの人のことをちょっとだけでも気にして暮らすことが支えあうということなのだと思います。
自分のことを気にしてくれている人がいる、ということを実感できるだけで、人は元気をもらえるものです。
節子は体調がかなり悪くなってしまってからも、いろんな人のことを気にしていました。
身近に接していたので、それがよくわかりました。
人は、弱くなればなるほど、支えあうことの意味がわかってくるようです。
少なくとも、私も節子もそうでした。
一度弱さを体験したからこそ、今、たくさんの人が気にしてくれていることが素直に受け入れられるのかもしれません。
そして私も、いろんな人のことを気にする余裕が出来てきたのかもしれません。
いろいろな人のことを気にしあえる文化、それが共済の文化ではないかと思います。
節子から教わったことをいつか佐々木さんと一緒に形にできればいいなと思っています。
節子
あなたとの体験は決して無駄にはしませんよ。
百合の香りに包まれながら、「ウィーンの薔薇」の珈琲を節子に供えました。
節子も楽しみましたか。
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