■節子への挽歌396:習字の仲間が来てくれましたよ
節子
あなたがいつも楽しみにしていた習字の仲間が節子に会いに来てくれました。
いまでも月に2回、習字を学びながら、楽しく談笑されているようです。
節子の話も時々出ているようですよ。
節子は、病気が再発した後も、身体がちょっと不自由になってからも、できるだけ練習日には出かけていました。
いつもとても楽しみにしていましたから。
皆さんにはちょっと迷惑だったのではないかと言う気もしますが、
みんなとても優しい人たちで、節子を明るく受け入れてくれていたのですね。
節子はいつもやさしい人たちにかこまれていましたね。
節子さんは、いつも前向きで、明るく、話していて楽しかった。
病気になっても、そして最後の最後まで、弱音を聞いたことがない。
それがみなさんの節子評でした。
思ったとおりでした。
節子は、自分の弱みは人には見せず、どんな時も明るく振舞うタイプでした。
たぶん驚くほどあっけらかんと、自分の窮状を明るく話していたのではないかと思います。
節子は、そういう人でした。
その明るさの奥にある誠実で真剣な思いを知っている私としては、胸が痛いほどでした。
先生の東さんが、それに節子さんの字はいつも元気があった、と言いました。
たしかに大きな字で、紙からはみ出しそうな勢いがありました。
節子さんはそういう性格なのよね、と東さんは言いましたが、発病してからの節子の気丈さと前向きの生き方は私も見直したほどでした。
苦境に立った時にこそ、その人の本性が見えてきますが、私はそのおかげで、節子に改めて惚れこんだのです。
そのおかげで、今もなお、悲しさから抜け出られないのです。
いやはや困ったものです。
一緒に旅行したり、食事に行ったりした話もしてくれました。
節子からも時々聞いていましたが、あれはこの人たちと行ったのかとか、いろんなことを思い出しました。
節子は気持ちのいい友だちと、私の知らない楽しい体験をいろいろしているのです。
とてもうれしいです。
帰り際に、先生の東さんが、やっとお参りできてよかったとポツリと言いました。
東さんも体調を崩したりして、大変だったようです。
東さんのご主人のお墓は、節子のお墓のすぐ近くです。
毎月、2回、お墓参りに行っているそうですが、毎回、節子のお墓にもお線香をあげてくださっているようです。
節子は気づいていますか。
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