■節子への挽歌416:節子の日記と虚空蔵
私はすべての家事を節子任せにしていました。
家事はほとんどしたことがありません。
家事だけではありません。
自動車を買うのも、家を買うのも、主役は節子でした。
親戚づきあいや近所づきあいも、すべて節子の担当でした。
私は、そうした節子に寄生していただけかもしれません。
節子に言われて何かをやることもありましたが、
やりたいことがあれば節子にひと言いっておけば、やれるようになっていたのです。
もちろんいつも完璧ではなく、欠陥だらけではありましたが、
節子はいつも私が好きなように動けるように支えてくれていました。
仕事での出張や旅行も、節子がいつも準備していてくれました。
実は先日、滋賀に出かけたときも、自分で用意したため、とても不安でした。
案の定、いろいろと忘れ物がありました。
節子のおかげで、そうしたことからはほぼ完全に解放されていて、いつも快適な生活環境を享受させてもらっていたわけです。
そのため、節子がいなくなってからは困ることも少なくありません。
その一つが「お付き合い」です。
たとえば、法事の時のお布施はいくらだとか、冠婚葬祭の時にはどうしたらいいかなど、私は全くといっていいほど常識というものがありません。
とても困ってしまうわけですが、幸いにも節子は日記を書くのが好きでした。
日記を書いても読む人などいないよ、と私はよく言っていましたが、節子は書くのが好きでした。
節子が日記を書かなくなったのは、胃がんの手術をして以来です。
それでも時々書いていました。
それはもしかしたら、私たち家族のために資料を残すためだったのかもしれません。
先日、法事のお布施をどうしようか迷ったので、お寺に訊くのがいいと電話したのですが、お布施はその人の気持ちなのでいくらでもいいといわれました。
しかしまあそれなりの相場があるのではないかと思ったのですが、もしかしたら節子が日記に残しているかもしれないと、それまで開けたことのない節子の日記を開きました。
書いてありました。
そこで気付きました。
わが家のことでわからないことがあれば、節子の日記を見ればよいのだと。
宇宙には虚空蔵という、あらゆるものが記録されている情報蔵があるそうです。
空海は虚空蔵と通じたが故に、すべての情報を自分のものとしたという説もあります。
インドのサイババが話題になった時に、神智学のアカシックレコードも話題になりましたが、おそらく同じものでしょう。
以前書いたボームの理論では暗在系が、それにあたるかもしれません。
節子の日記を読みながら、この日記は私の人生のすべてにつながっている虚空蔵への入り口なのだと思いました。
もうこれで安心です。
日記に書かれている文字の奥に、膨大な情報があるのですから。
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