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2008/10/19

■自宅に投函されていた「DV冤罪」小冊子

先日、わが家の郵便受けにおそらく個人が投函したであろう小冊子が入っていました。
「私は、我孫子市役所(男女共同参画:フェミニスト)に家族を破壊されました」というタイトルの8枚の3色刷りの小冊子です。
しかも、一部には蛍光ペンでマークが手書きされています。
『わたしは「DV冤罪」を受けています』という書き出しで、市長とのやり取りの文面や、奥さんからのメール文などがセットになっていました。

あまりにも厚く、手書きもあったので、私の家だけに投函されたのかと思うほどでした。
個人による投函は時々ありますが、内容が内容だけに、少し気持ちが悪い気がしました。
しかしわが家だけではなく、隣近所にも投函されていたようです。
投函した人の名前はわかりませんが、どうも少し離れた地区に住んでいる人のようです。
もしそうならかなりの家に配布されたことになります。
費用もエネルギーもかなりのものでしょう。

内容の紹介はやめますが、その小冊子を読む限りでは、DV冤罪を感じさせるものではなく、むしろDV事実を感じさせるものでした。
こうしたやり方自体にも暴力的なものを感じます。
たぶんこの小冊子でちょっと怖くなった人もいるのではないかと思います。
配布した人は、自分でDV事実を露呈しているような気もします。
それもまた奇妙な話なのですが、おそらく事件の当事者には全く状況が見えなくなってしまうのでしょう。
そのため、意図した行為が逆効果になってしまっているのです。

DV被疑者の中には、まさか自分の行為がDVに当たるなどと思っていない人も少なくないはずですし、この人が言うようにDV冤罪も無いわけではないでしょう。
私自身は、男女共同参画を推進する行政の動きには違和感があります。
そうした「分離・対立」の発想とDV冤罪と騒ぐ人の発想とは同じなのかもしれないなどと思ってしまいます。
誤解があるといけませんが、もちろんDVは予想以上に多いでしょうし、それは厳として戒めなければいけません。
事実があるのであれば、もっと厳罰で対処すべきだとさえ思います。
しかし一抹の不安もあります。
昨今の風潮の中には、ひとつ間違えば、弱いものが強者になる仕組みが内包されているからです。
痴漢冤罪事件はそうした現われの一つです。
行政や大衆が「正義」を語りだすことの危険性を意識しておく必要があるでしょう。

家庭の問題を社会化するのはそう簡単ではありません。
それぞれに働いている論理が違うからです。
昔から、夫婦喧嘩は犬でも食わないという言葉がありました。
もちろん、昨今は状況が大きく変わっていますから、家庭の問題と放置しておくわけにはいきません。
日本相撲協会ですら、各部屋で責任を取るべきなどと言えなくなっている時代なのです。

前に「介護の社会化」について書いたことがありますが、
社会化ということは、実に悩ましい問題です。

問題は、家族のあり方、人と人の繋がり方にあるのだろうと思います。
制度をつくればいいわけではありませんし、家庭の問題を社会の問題として断ずることが常に正しいわけではありません。
投函されていた小冊子を読んで、なぜこんな小冊子を配布しなければいけないような社会になってしまったのか、いろいろと考えさせられました。
昨今の制度化指向は、問題の所在を間違っているような気がしてなりません。

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