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2008/10/14

■「教育の政治からの独立を犯すもの」

先日書いた橋下知事の教育観を読んだ大阪の方からメールをいただきました。
私だけではもったいないので、皆さんにも読んでほしいと思い、お願いして引用させてもらうことにしました。

私の見立てでは、橋下知事に教育観というものはないと思ってます。
自分が知事をしている大阪が、全国学力調査で下から数えた方が早い位置にいる。
ただそのことを攻撃して、喝采を浴びたいという所ではないでしょうか。

しかし、知事の予算編成権を盾に、府下市町村に情報を開示するよう圧力をかけるやり方は、明らかに教育の政治からの独立を犯すもので、不当と断じるべきでしょう。
そのことを理解していないのが、彼の教育に対する理解の程度を表しているのでしょう。
しかしそれにしても、知事に対して白旗を揚げているような、府教育委員会はひどい有様です。
まあ、権力の中の一機関としては仕方ないということなんでしょうけど、こんな事が咎められないなら、戦後教育の基本原理はいったい何だったんでしょうか。

彼は批判されるたびに、「私には880万人の支持がある。」と言います。
大阪のある市では、財政削減をめぐって知事を批判した市長の映像がテレビで流れた次の日、その秘書課に全国から非難の電話がかかって来て、一日中仕事にならなかったという話を聞きました。
確かに彼にはまだ支持がある。
橋下氏はテレビに出ている高名な弁護士で、弁護士は正義の味方である。
その橋下氏を、非難するとは何ゴトゾということでしょうか。

物事をきちんと理解せず、気分や思い込みで行動する人が多いのです。
こういう人々に支えられた権力もあるということです。困ったことです。

教育に関して言えば、大阪の教育が決して他に比して自慢できるとも思っていません。
学校である以上、学力をきちんとつける教育をすることは最低限必要なことです。
大阪ではそのことが、ついいい加減にされている一面があることは事実でしょう。
しかしだからといって、点数としての学力向上に血道を上げるのは間違っていると思います。

大切なことは、学力とは何かという点をめぐるきちんとした議論であり、保護者も教師も教育委員会もその点で一致する考え方を見いだすことでしょう。
そして、問題を解決するための具体的手段を見いだしていく。
その手間を惜しんで、学力調査の結果を追い求めるようなことになれば、一番の被害者が子供たちということになるように思います。

今、振り子は揺れています。
時間をかけてどこに落ち着くのか。
不安を抱きつつも、世論というものの公平さに期待をしたいとも思っています。

とても共感できます。
「保護者も教師も教育委員会もその点で一致する考え方を見いだす」ためにこそ、議論をする時期です。
私も、世論というものの公平さに期待をしたいところですが、最近はどうも不安の方が大きくなってきてしまっています。
マスコミのレバレッジ効果はものすごいとともに、それに乗っかることの居心地のよさもかなり大きいですから。

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コメント

 大変、公平な見地からの意見として私も賛同します。橋下知事の「教育観」というか、知事は教育委員会というものの理解がまったくできていないと思われます。それは就任以来ずっと変わっていないようです。

 10月5日の府教育委員会に対する「命じる」発言。また、10月27日のやじうまプラス(テレ朝)のニュースで、橋下知事が、大阪の教員を称して、「社長の指示を聞かない(に従わない?)部下」と発言しておられましたが、大阪の教員、小中学校、高校いずれの教員も知事の「部下」ではありません。

 御承知のとおり、教育委員会は知事(首長)から独立した行政委員会です。市町村立の小中学校にいたっては、市町村の教育委員会であって、府の教育委員会との関係はあっても、府知事とは直接の指揮監督関係にはありません。

 教員はそれぞれの教育委員会に属しており、知事(首長)部局の職員ではありません。従って、知事(首長)管轄の職員ではなく、部下ではありません。
 こういった大前提の教育委員会制度の理解をしないで、知事としての教育改革の発言をなされるのはいかがというところであり、もっと勉強してから発言する慎重さが府知事には要求されるのではないでしょうか。 

 NHKの「篤姫」の中で「一方を聞いて沙汰するな」と言う言葉がありましたが、橋下知事の発言は、いつも独善的なところがあり、パフォーマンスがすぎて、行政としての正しい結果を導いているかどうかは甚だ疑わしく思うところがあります。独善が高じて、独裁とならぬよう願いたい。しかし、今は、知事の周りは、イエスマンばかりで、「一方」のみを聞いているように見えます。

 パフォーマンスの陰の中で、民主主義が死なないよう、府民の眼力が求められているのではないでしょうか。劇場型政治では、悪くなっても良くはならないと思うのです。

 

投稿: 石井秀一 | 2008/10/29 11:29

石井さん
ありがとうございます。

>「一方を聞いて沙汰するな」
全くその通りですね。
私も環境問題や福祉にささやかに関わっていますが、
一方の意見に強く影響されて、あとで反省することも少なくありません。
特に社会的に影響力の大きい人には、
ぜひ現場の様々な状況をきちんと聴いてほしいですね。

>府民の眼力が求められているのではないでしょうか。
そう思います。
一人ひとりの眼力は弱くても、
たくさんの眼で見ていき、
それを束ねていく仕組みがもっと育つといいと思っています。

>劇場型政治では、悪くなっても良くはならないと思うのです。

はい、最近の政治の劇場化や、それを踏まえてタレント化している政治家が多すぎます。
何とか次の選挙では、それを正したいものですが。

ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2008/10/29 17:50

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