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2008/10/03

■節子への挽歌398:秋の箱根は、無性に悲しかったです

20年以上続けている経営道フォーラムのコーディネーター役で、恒例の箱根合宿に来ました。
節子を見送ってから4回目なのですが、箱根には思い出が多すぎるので、結構辛いです。
どこに行っても、節子との思い出があります。
節子が元気だった頃、いろいろなところにたくさん思い出を残そうと話し合っていました。
しかしそれがどうも今は「裏目」になっているような気がします。
思い出を「共有」する人がいなくなってしまうと、思い出はただ悲しいだけです。
今回の会場は強羅なのですが、ここには幸いなことにあまり良い思い出はありません。
彫刻の森美術館で夫婦喧嘩になったことと強羅公園の花が終わっていて殺風景だったことくらいでしょうか。
良い思い出があるところほど辛いということも節子を送った後、知りました。
不思議なことに、両親の場合は反対なのですが。

まだ紅葉には早いのですが、いつになく観光客が多いような気がしました。
私たちと同世代の夫婦も少なくありません。
しかし、みんな意外と話し合っていないのが、気になりました。。
電車の中で話もせずにただ座っている夫婦を見ると、もっと楽しまれるといいですよと声をかけたくなるほどです。
まあ、話せばいいというものでもないですが、せっかく夫婦で来ているのだから、もっともっと時間を大切にしてほしいと、余計なことを考えてしまいます。
楽しそうな観光客の中に一人でいると、やはり思い出すのは節子です。

私たちは、よく話しました。
私は景色を見るよりも、節子と話すのが好きでした。
景色を見るのは、お互いに話し合う材料をもらうためといってもいいくらいです。
節子はともかく、少なくとも私はそうでした。
景色を見ても、話し相手がいなければ意味がありません。
実は、こうしたことは節子がいなくなってから、はっきりとわかったことです。
もしかしたら、新しいコミュニケーション論のヒントがここにあるような気がしてきているのですが、それは挽歌には相応しくないテーマなので、いつか時評編に書くようにします。
節子は、いなくなった後にも、私にたくさんのことを教えてくれています。
その意味でも、節子は私にとっての真の伴侶なのです。

今回は宿泊しないことにしました。
節子は、せっかく行ったんだからゆっくり温泉につかってきたらいいのに、と言うでしょう。
いつもそうでしたから。
しかし、私にはそうした感覚がほぼ皆無なのです。
それは節子が元気だった時からそうでした。
節子と一緒であれば、どこにいても何をしていても充実しているのですが、節子がいないとどこにいても何をしても虚しいのです。
ですから節子のいない今となっては、人生はすべて虚しくなってしまっているわけです。

今日は湯河原で泊まります。
泊まれるかどうか、いささか心配なのですが。

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