■節子への挽歌406:手づくり散歩市
節子
今日から我孫子手づくり散歩市です。
わが家のジュンの工房(タジュール デ ジュン)も会場になっています。
節子がいたら、きっと張り切って来客用のケーキを焼いていたことでしょう。
2年前を思い出します。
あの時は、すでに再発し、結構大変だったと思いますが、節子はケーキを作っておもてなしの手伝いをしていました。
節子はそういうことがとても好きでした。
それにジュンのスペインタイルの広がりを本当に楽しみにしていました。
節子がいなくなったので、私がコーヒーサービスを勝手に引き受けることにしました。
ところが、私のホームページにまで案内を書いたのですが、残念ながらコーヒーを出す機会に恵まれませんでした。
午前中は雨で誰も来ず、午後は晴れたのですが、何しろ会場からわが家は少し外れていますので、わざわざ立ち寄る人は少ないのです。
結局、4家族13人の人たちでしたが、何とそのうちの3家族は近所の人でした。
それでも一応イベント会場になっているので、誰かが留守をしていなければいけません。
私の役割はコーヒーのサービスでなく、留守番役になってしまいました。
節子が元気だった時の手づくり散歩市を思い出します。
最初の時はいろんな人が寄ってくれました。
なぜでしょうか。
もしかしたら節子は人を呼び寄せるオーラを持っていたのかもしれません。
そういえば、私たちが湯島のオフィスでやっていたオープンサロンも、
節子がいるといないとで人の集まり方が違っていたような気もします。
わが家はいつも家族単位で取り組む文化がありました。
娘たちはそれをあまり好みませんでしたが、それは文化だから仕方がありません。
節子がいなくなった今も、その文化は辛うじて残っています。
しかし、中心になって楽しくしてくれた節子がいないと、ちょっと寂しいです。
今日は来客が少なかったですが、節子もきっと参加してくれていたでしょう。
庭の献花台にも手を合わせてくれた人もいました。
明日は節子のオーラで、せめてコーヒーが出せる程度のお客様が来てくれるといいのですが。
何かがあると、節子のことを思い出します。
わが家の歴史のど真ん中にいたのは、やはり節子だったようです。
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