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2008/10/31

■横浜事件第4次再審への期待

「横浜事件」はまだ終わっていませんでした。
その第4次再審請求に対し、横浜地裁は今日、再審開始を認める決定を出したそうです。
「横浜事件」は、治安維持法違反の罪に問われ有罪判決を受けた、戦時下最大の言論弾圧事件といわれているものです。
その3次請求に対しても再審が行われましたが、今年3月、最高裁は、治安維持法の廃止と大赦を理由に裁判を打ち切る「免訴」を言い渡しました。
これに関しては、このブログでも書きましたが、「司法とは何か」を考えさせられる事件でした。

今度もまた、免訴となる公算が大きいといわれていますが、しっかりと過去のことを判断する程度の良識をもった裁判官もまだ少しはいるのではないかと思っています。
裁判の歴史を紐解けばすぐわかることですが、裁判官は本質的に権力に迎合します。
遠山の金さんは、例外だったからこそ人気があるわけです。
しかし、その権力の所在は、国民に移りました。
その意識は、しかしある世代から上の裁判官にはないでしょう。
それは当然といえば、当然のことです。

司法改革が議論されていますが、その根源的な司法権の淵源があいまいにされていますから、司法改革は改悪にしかならないという気がしますが、もし司法改革をしたいのであれば、発想の起点を表情のある国民に置かねばなりません。
地方裁判所と最高裁判所などと言う権力的ヒエラルキーは壊さなければいけませんし、裁判官の任命の仕方も変えるべきでしょう。

それはともかく、この「横浜事件」をどう総括するか、は司法界にとって極めて大きな問題だと思います。
過去をあいまいにして、未来を創り出すことはできません。
廃案や大赦という行政措置と司法としての価値判断は全く別の話です。
それを免訴というのであれば、司法は行政の下部システムにあることになります。
さらにいえば、司法は実定法にだけ従えばいいわけでもないでしょう。
人間がつくった瑣末な方は手続法としては大事ですが、もっと大事なのは法の精神、正義の理念です。
多様な価値観が共存できることが、正義の重要な要素だと私は思いますが、この事件がこれからどう司法に扱われるかは、私には大きな関心があります。
司法が信じられるかどうかが、かかっているように思います。

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