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2008/10/29

■過剰告発社会の悪循環

食の安全性に関係する問題が、毎日のように報道されています。
カップヌードル、伊藤ハム、そして今日はミネラルウオーターの「ボルヴィック」。
保管場所が悪かったので臭いが移ったというような話がこれほどまでの話題になるわけです。
もっとも、本当に「臭いが移った」事件なのか、は微妙な話です。
それに、そもそも隣においておいたら、臭いが移ったというのも、なにか気持ちの悪い話ですから、決して瑣末な話ではないでしょう。

伊藤ハムの事件は、企業側の対応が問題になっていますが、企業にはかなり批判的な私でも、いささか同情したくなる気もします。
マスコミは、なにかに焦点を当てると、これでもかこれでもかと事件を見つけてきます。
でも何か重要な問題を見過ごしているような気もしますし、もっと大きな問題意識を持てよといいたくもなります。

マスコミに問題視されてしまうと事実はどうであろうと大変な被害を受けますから、企業は過剰防衛し、過剰反応してしまう傾向が生まれています。
最近起こった病院の受け入れ拒否による死亡事件も、こうした「過剰防衛状況」と無縁ではないような気がします。

今のような問題を大騒ぎするのであれば、食への毒物混入問題は、際限なく出てきかねません。
問題は食品の外部依存(水の輸入などは即刻やめるべきです)や土壌汚染、あるいは食品の品質表示法や加工食品文化の問題だと思いますが、そうした問題に目を向けてほしいものです。
少なくとも、問題を告発した以上は最後までしっかりと追及し、状況を正すところまで責任を持つべきでしょう。
そうしないと問題の告発が不信感を生み出し、問題をさらに引き起こす悪循環にも陥りかねません。

ともかく不思議なのは、あることが問題になると続々と類似の問題が出てくることです。
ということは、問題はすべての分野において遍在しているということでしょう。
なぜそうなってしまったかを考える必要があります。
個別問題への取り組みも大事ですが、こうなってしまった文化、つまり私たち一人ひとりの生き方を問い直さなければいけないように思います。
悪いのは企業だけではありません。
私は数年前から少しずつ生き方を変えてきていますが、それだけでも今回のような事件からはかなり距離感を持てるような気がします。

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