■節子への挽歌418:お互いに惚れたところ
節子は私のどこに惚れたのでしょうか。
娘たちに言っていたことは2つあります。
「やさしさ」と「手の指」でした。
「やさしさ」は、ちょっと裏切られた思いがあったでしょう。
修はやさしいのだけれど、怒るとこわいから嫌いだ、と時々言っていました。
たしかに私はわがままなので、時々、機嫌が悪くなってしまうのです。
結婚して20年もするとお互いにすべてがわかってしまいますが、節子は私のことを「仏のおさむ」と「鬼のおさむ」の二重人格と見なしていました。
その「鬼のおさむ」と節子はよく喧嘩をしたものです。
年に数回ですが、怒りがこみ上げるととまらなくなることがあるのです。
節子もけっこう我を張る面がありましたので、喧嘩は結構盛り上がりました。
しかし30年も経つと、節子は私の扱い方を身につけてしまいました。
何を言っても「はいはい」と交わすようになったのです。
私がどんなに怒っていても、1時間もしないうちに謝るのを知ってしまったからです。
しかし、それでも節子は私の「やさしさ」にはずっと惚れていたはずです。
もうひとつは「手の指」でした。
節子はどちらかというと「面食い」でしたので、私の容貌には満足しておらず、辛うじて「手の指」に何とか惚れる部分を見つけていたのです。
娘たちには、お父さんの手の指は昔はとても素敵で、それに私は惚れたのよ、とよく話していました。
しかし、これは喜ぶべきかどうか微妙なところです。
指をほめられてもうれしくなるはずもなく、私はいささか不満でした。
それにスポーツマン好みの節子がそういうと、単に修は運動をしないので、きゃしゃな指をしているね、と皮肉られているようにも受け取れます。
しかし、節子がそういいながら、私の指を愛撫してくれるのは、まんざらでもありませんでした。
残念ながら、その手の指も歳とともにしなやかさも何もなくなってしまいました。
そして、昔の「素敵さ」を覚えてくれている人も今はなく、ただの老人の指になってしまいました。
いやはや残念なことではあります。
私は、節子の素直さとパッチリした目に惚れたのです。
結婚してみたら、意外と素直でないことがわかりましたが、私はポジティブシンキングの人ですので、次第に素直でないところに惚れるようになりました。
パッチリした目は病気になる前までは持続していました。
病気になってからは、目がどうもすっきりしないといっていましたが、それでも私には大好きな目でした。
まあそんなわけで、私たちは「手の指」と「ぱっちりした目」が、引き合った恋だったのです。
いやはや、つまらない話を書いてしまいました。
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