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2008/10/10

■節子への挽歌405:生命の樹

節子の仏壇を置いてある場所の改造については、前に書きました。
仏壇の上には何も置いてはいけないというので、棚をなくして下がり壁にしたのです。
しかし、その奥に実は小さな神棚をつけました。
伊勢神宮の神木でつくったミニチュアの神棚です。
外からは全く見えません。

下がり壁には大きなお皿をかけました。
家族でトルコに旅行に行った時に、バザールで買った大皿です。
図柄のモチーフは生命の樹です。
節子が気にいっていた皿の1枚です。

生命の樹といえば、ユダヤ教のカバラの秘義が象徴されているセフィロトの樹というのがあります。
広大な大宇宙(マクロコスモス)と人間という小宇宙(ミクロコスモス)を、時空を越えて繋ぎながら、生命の源泉とそこから生まれる万物の種子が宿る天空を表わした大きな樹です。
それがモチーフなのでしょうが、この大皿の樹は、花がたくさん広がっている生命の樹です。
バザールのお店で、節子と娘たちと土間に座り込んで交渉して買った10枚の皿の一部です。
きっと1枚100円か200円だったのではないかと思います。
トルコは楽しい旅でした。

生命の樹は、天に根を広げ、地に枝を伸ばしていく、上下がさかさまの樹です。
つまり、超越的な根源から宇宙を創りだしていく樹なのです。

節子は再発した後、生命力を宇宙から生命力を引き込むために、寝る前にいつも瞑想していました。
超越的な宇宙の根源から膨大なエネルギーを吸収し、自らの生命力を高めることを目指しました。
私も隣で節子と一緒に瞑想しました。
節子の瞑想は、実に形になっていました。
その姿は、私には座禅を組む如来のように見えました。
しかし残念ながら、生命の樹にはつながらなかったのかもしれません。
ベッドの上で、瞑想している節子の姿は今でも鮮明に思い出せます。
瞑想の時の節子の動きは、神々しいほどに美しかったのです。

皿の生命の樹は、しかし、さかさまの樹にはなっておらず、上に向かってたくさんの花が広がっています。
その樹の下に、節子の位牌があります。
宇宙に向けて、節子の生命が大きく広がっているようにも見えます。
いつか私も、その花の一つになっていくのでしょう。

毎朝、生命の樹の前で、すべてのいのちへの感謝を思っています。
節子と一緒に、です。

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妻への挽歌03」カテゴリの記事

コメント

奥様節子さんの居場所が素敵になったようですね。
節子さんもご家族のみなさんも一緒に過ごす思いのこもった
場所・・・心をこめて作られたんですねえ。いいですねえ。
涙が出てしまいます。節子さんもきっとアイデアを出され
たんでしょうね!そして、とっても居心地がいいのでは?

私は特定の宗教を信じているわけではありません。
育った学校はカトリック系でしたからそれらしいお祈りの
言葉は分かります。主人の家は仏教です。
主人が入院中に脳出血をおこした後、確かに何かが見えて
いました。「お父さんやお母さんが見えるの?」と聞くと
そうだとうなずいていました。もっと他のものも見えた
ようです。。葬儀は主人の家の宗派で行いました。
今眠っている場所はお寺の墓地です。

でも、私はどうも「主人教」を信じているようです。

主人ならどうする?どうしたい?どうしたらいい?と。。
何となく返事が返ってくるような気がします。
リビングに写真を飾ってますが、その表情も日によって
違います。私が語りかける時も違うのです。
気のせいでしょうか・・・私の思い込みでしょうか。

「主人教」を勝手に解釈しないように気をつけなきゃぁ
いけませんが。。。心が救われるようで気に入ってます。

投稿: 田淵 マサ子 | 2008/10/10 19:39

主人教。

私もいまは、節子教の信徒かもしれませんね。
何だかとても分かるような気がします。

ちなみに私は、仏教が一番なじめます。

それから「下がり壁」は、実は節子が前から言っていたことなのです。
田淵さんが書いてくださったとおり、今回の改装は節子がいたら、きっとそうしただろうことでもあります。

投稿: 佐藤修 | 2008/10/11 17:11

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