■節子への挽歌422:手賀沼エコマラソンの思い出
節子
昨日は手賀沼のエコマラソンでした。
知人も何人か参加していますが、沿道への応援には行きませんでした。
家の窓からランナーが走っているのを見ましたが、それを見ているだけで3年前を思い出してしまいました。
挽歌に書くとなるとその時のことを思い出してしまうので、昨日は書かなかったのですが、1日遅れですが、書くことにしました。
3年前のエコマラソンに、節子の主治医の先生が出場しました。
節子は応援の旗をつくって、みんなで応援に行きました。
応援の旗。
節子はそういうのがとても好きでした。
あまりできばえは良くないのですが、そういうのを手づくりするのが好きでした。
3年前は、節子はだいぶ元気を回復してきていた時でした。
エコマラソンは出場者が6000人以上でしたので、沿道で見ていてもなかなか見つかりません。
諦めていたら、先生のほうが私たちを見つけて、声をかけてくれました。
応援のつもりが、応援されたのです。
そしてその翌年には先生がトライアスロンに出場するというので、またみんなで応援に行きました。
その時にはしっかりと先生を見つけて応援しました。
節子は疲れ気味でしたが、最後まで応援していました。
きっと自分を応援していたのです。
今になって、それがよくわかります。
主治医の先生はとてもいい先生でした。
しかし、人間はとても勝手なもので、病状が急変してしまうと、そして主治医が代わってしまうといろいろと複雑な気持ちを抱いてしまいます。
節子を見送った後、がんセンターにはいけなくなってしまいました。
近くに行くことはあるのですが、入れません。
先生にお礼に行こうと思いながら、まだ気持ちが整理できません。
医師と患者、そして患者の家族の関係はとても微妙です。
もし先生に会ったら、自分が冷静でいられなくなることは明らかです。
涙がとまらないでしょうし、何を口に出せばいいかわからないでしょう。
窓からランナーが走っているのを見て、もしかしたらこの中に先生もいるかもしれないと思うと、それだけで気持ちが揺らぎます。
いつになったら、先生に報告にいけるでしょうか。
今はまだ全くわかりません。
他にも、まだ報告に行けずにいる人がいます。
節子に怒られそうですが、まだ行けないのです。
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