■記者に質問されたら、堂々と応えてほしい
テレビで気になる風景があります。事件や問題などに関連して、取材を受けても何も語らずに、無言で通り過ぎたり、自動車に乗ったりしている風景です。
最近の取材者は、不躾で質問の内容も意味のないものが多いですし、相手にしたくない気持ちもわかりますが、やはり無視はよくないでしょう。
被害者の家族にしつこく質問するような不心得な取材者もいますが、
そうした例外的なことを除けば、質問されたら応えるのが人間としての最低限の良識です。
無言で無視することには大きな違和感があります。
多くの事件は、「無言で無視すること」から始まるからです。
向けられた質問を無視するのは、政治家も企業人も、公務員も役人も、スポーツ界の人も、分野を限りませんが、有名な人や組織人に多い態度です。
単なる市民は、マイクをむけられると一瞬腰を引くとしても、うれしそうに話し出します。
それがたぶん現代人の多くの対応かもしれません。
にもかかわらず話してほしい人は、無言で逃げるように去っていくことがあるのです。
語れない何かがあると思われても仕方がありません。
語らないことが大きなメッセージになっているのですから、語っているのと結果的には同じなのですが。
人に問いかけられて返事をしないのは良くないことだと私は教えられました。
しかし、子どもたちに「知らない人に声をかけられても返事をするな」と教えることが行われたこともありました。
その文化が今も続いているのかどうか知りませんが、私にはとんでもない話だと思えてなりませんでした。
話しかけられたら応じなければ、喧嘩になってもおかしくないはずです。
そもそも人間は、他の人に反応して生きているのですから。
私の友人が私の問いかけを無視したとしたら、付き合っていられないでしょう。
無言を通す人は、ほとんど例外なく、フェアに生きていない人です。
そうでなければきちんと話せるはずです。
それにそれなりの地位にいる人には、語る責任があります。
アカウンタビリティなどとわけのわからない言葉を持ち出すまでもなく、
社会的な影響力のある立場の人は、語ることは、その地位に含まれているのだと思います。
応えられない事情が仮にあったとしても、無言はよくありません。
テレビで、有名な人が取材に無言で通す映像は、子どもたちに悪い影響を与えるようにも思います。
都合が悪くなったら、黙って押し通せばいいと教えているようなものです。
考えすぎでしょうか。
記者に質問されたら、堂々と応えてほしいです。
そういう生き方をしたいと思いますし、しているつもりですが、
なぜか私には誰も問いかけてくれません。
問いかけるほど意味のある社会的な役割を果たしていないからでしょうね。
いやはや、それもまた問題かもしれませんね。
それはともかく最近、ずっと気になっていることを書きました。
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