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2008/10/13

■節子への挽歌408:「節子教」信徒

節子
この挽歌を読んでくださっている田淵さんが、また投稿してくれました。
田淵さんはご主人を亡くされたのです。
もともと田淵さんはカトリック系の学校で学んだそうですし、ご主人の実家は仏教徒だったそうです。
ところが、田淵さんは、現在は「主人教」の信徒になったのだそうです。
その気持ちがとてもよくわかります。

田淵さんはコメントにこう書いてきてくれました。

主人ならどうする?どうしたい?どうしたらいい?と。
何となく返事が返ってくるような気がします。
リビングに写真を飾ってますが、その表情も日によって違います。
私が語りかける時も違うのです。
気のせいでしょうか・・・私の思い込みでしょうか。
実は、私もそうなのです。
とすると、私はいまや「節子教」の信徒でしょうか。
そういえば、毎朝、節子の位牌と写真に向かって、お経をあげ、祈りを捧げています。
位牌の隣の大日如来よりも、私の意識は写真に向いています。
困ったものです。
でも大日如来は寛容なはずですから、許してくれているでしょう。

田淵さんはこう書き加えています。

「主人教」を勝手に解釈しないように気をつけなきゃあいけませんが。。。
心が救われるようで気に入ってます。
人間にとって、やはり一番自然なのは先祖崇拝なのかもしれませんが、
実は父母を見送った時にはこういう気持ちにはなりませんでした。
夫婦というのは不思議です。

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