■節子への挽歌408:「節子教」信徒
節子
この挽歌を読んでくださっている田淵さんが、また投稿してくれました。
田淵さんはご主人を亡くされたのです。
もともと田淵さんはカトリック系の学校で学んだそうですし、ご主人の実家は仏教徒だったそうです。
ところが、田淵さんは、現在は「主人教」の信徒になったのだそうです。
その気持ちがとてもよくわかります。
田淵さんはコメントにこう書いてきてくれました。
主人ならどうする?どうしたい?どうしたらいい?と。実は、私もそうなのです。
何となく返事が返ってくるような気がします。
リビングに写真を飾ってますが、その表情も日によって違います。
私が語りかける時も違うのです。
気のせいでしょうか・・・私の思い込みでしょうか。
とすると、私はいまや「節子教」の信徒でしょうか。
そういえば、毎朝、節子の位牌と写真に向かって、お経をあげ、祈りを捧げています。
位牌の隣の大日如来よりも、私の意識は写真に向いています。
困ったものです。
でも大日如来は寛容なはずですから、許してくれているでしょう。
田淵さんはこう書き加えています。
「主人教」を勝手に解釈しないように気をつけなきゃあいけませんが。。。人間にとって、やはり一番自然なのは先祖崇拝なのかもしれませんが、
心が救われるようで気に入ってます。
実は父母を見送った時にはこういう気持ちにはなりませんでした。
夫婦というのは不思議です。
| 固定リンク
「妻への挽歌03」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌600:真実に生きる(2009.04.24)
- ■節子への挽歌599:遍在転生の死生観(2009.04.23)
- ■節子への挽歌598:寄り添う2人(2009.04.22)
- ■節子への挽歌597:美野里町の牡丹(2009.04.21)
コメント