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2008/11/24

■恥の文化はどこにいったのか

最近の歴代首相を見ていて思うのは、「恥」というものを知らないのではないかと言うことです。
特に、最近の3代の首相は、弱音ばかりを吐いていて、うまくいかないのは相手のせいにするだけですが、それを恥とは思っていないようです。
その厚顔無恥ぶりは驚くべきものですが、私のようなものには理解を超えています。
できないことは引き受けるべきではないですし、引き受けた以上はそれなりの決着をつけるべきですし、万一、できない時は、きちんと責任を取るのが、日本人でした。

21日の自民党拉致問題対策特命委員会の記事を読んでいて、安倍晋三さんが今なお、委員会の特別顧問として出席していることを知りました。
それがどうもしっくりこず、気になりだしました。
首相の座を途中で投げ出してからも、政治家の職にあり、国費を受け取っているばかりか、途中で投げ出した責務に関わる委員会の「特別顧問」の座に居続けるとは、たいした神経です。
私ならとても恥ずかしくて、そんな場には出ていけません。
首相を投げ出す事の意味が分かっていないのでしょうか。
福田さんは最近目立つ場には出てきませんが、まだ議員をやっているのでしょうか。
恥ずかしくないのでしょうか。

こう思うのは、私だけなのでしょうか。

人の上に立つ者には、責任の取り方と言うものがあります。
それができないのであれば、その職を引き受けるべきではありません。
責任ある職についた人たちの「責任の取り方」が、社会に大きな影響を与えているように思えてなりません。

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