■節子への挽歌447:箱根の紅葉
また合宿で箱根小涌園ホテルです。
前回は日帰りしてしまいましたが、今回は宿泊することにしました。
今回は見事にいい天気でした。
箱根の紅葉は、年によって全く違います。
節子が病気になってからも、10回以上来ていますが、2人が満足できる紅葉にはあまり出会えませんでした。
最後に芦ノ湖を船で渡った時の紅葉も、いまひとつでした。
でもその1年前に小田原の大雄山に行った時の紅葉は見事でした。
紅葉狩りをしていた節子の姿がはっきりと思い出せます。
節子は、1枚の紅葉を効果的に活かす術を知っていました。
そういう分野では、とても創造力があったのです。
自然を楽しむあそび心がありました。
ですから、紅葉を見ると節子を思い出します。
いえ、自然の風景はすべて節子につながっているのです。
新緑の自然も、紅葉の自然も、すべてその中に節子を感じます。
とりわけ箱根の自然は節子そのものなのです。
節子は、新緑も紅葉も好きでした。
今年の箱根の紅葉はきれいです。
今日は真っ青な空なので、ひときわ栄えてみえます。
おそらく今日は見事な富士山が見えるでしょう。
でも箱根の上には行かずに帰ります。
まだ一人では行けそうもありません。
節子がいたらきっと拾うだろうもみじ葉が道に散っていました。
1年近く前、まだ節子を送ったばかりの時に箱根に来た時には、そうした風景も目には入りませんでした。
不思議なほど、記憶に残っていません。
どうやってホテルまで来て、どうやって戻ったかの記憶も残っていないのです。
しかし今回は、紅葉の風景が残りました。
私の中の節子が、紅葉を楽しんだのかもしれませんが、私にとっては、ただただ寂しいだけでした。
紅葉が散るさまは、桜の花の散るのとはまた趣が違います。
散るさまに美しさのある桜と違い、落葉は寂しさをそそります。
桜とは反対に、なぜか節子が去っていくような姿が見えてしまうのです。
紅葉を楽しむ人たちの声が、とても遠くに聞こえました。
まだ紅葉を楽しむ気分にはなれずにいます。
困ったものです。
| 固定リンク
「妻への挽歌03」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌600:真実に生きる(2009.04.24)
- ■節子への挽歌599:遍在転生の死生観(2009.04.23)
- ■節子への挽歌598:寄り添う2人(2009.04.22)
- ■節子への挽歌597:美野里町の牡丹(2009.04.21)
コメント