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2008/11/12

■節子への挽歌438:「自分だけではない」という安堵感

このブログのおかげで、あるブログに出会いました。4年ほど前に伴侶を亡くされた方のブログです。
ロビタさんの「往きつ戻りつの記」。
読ませてもらいました。

淡々と語られていますが、その分、心に深く入ってきます。
伴侶のことを直接に語っている記事は少ないのですが、
日常のことを静かに語っている背後に、いつも伴侶の存在を感じさせられます。
私が同じような立場にあるからかもしれませんが、直接、語られる以上に心身に響いてきます。

私のブログと同じで、時に「時評」的な記事もありますが、
これも私と違い、静かに語られていますので、とても読みやすく説得力があります。
こうしたブログに出会うと、自分のブログの騒々しさにいささか恥じ入りますが、しかしこれもまた個性ですから仕方がありません。
節子もきっと、ロビタさんのブログのほうが好きだというでしょう。
読者としては私もそうなのです。
困ったものです。
私のブログもいつかこうなれるでしょうか。

ロビタさんのブログにとても共感できるのは、
日常生活の背後にいつも奥さんが寄り添っているのを感ずるからです。
私ととてもよく重なる風景もあります。

先日、会いに来てくださったTYさんが、
同じ立場の人の記録を読むと、「自分だけではない」とちょっと気が休まるというようなことを話されましたが、その気持ちがわかったような気がしました。
よめなかった本が、もしかしたら読み出せるかもしれません。

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