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2008/11/27

■「学校を辞めます」

経緯は忘れてしまったのですが、「学校を辞めます」という、1冊の本のことを知りました。
著者の湯本雅典さんは、1昨年まで、東京都の公立小学校の教員でした。
51歳で自主退職しました。
その年、東京では新入教師が2人自らの命を絶ったといいます。
湯本さんも、ぎりぎりまでがんばったのですが、辞めることになりました。
そして、私塾「じゃがいもじゅく」を始めました。

この本は、そうした湯本さんの記録です。
しかし、現在、小中学校の実態や子どもたちの状況が生々しく伝わってきます。
私は、この本を読みながら、怒りではなく涙が出ました。
先生を信じない父母や有識者が、行政と一緒になって、子どもたちを壊しているように思えてならないのですが、それは怒るべきことではなく、悲しむべきことでしょう。

3年ほど前に、自治会長の立場で、地元の学校評議会的な集まりに参加しました。
先生方が萎縮しているような感じで驚きました。
一部の父母と管理側の教育委員会が、たぶん学校を壊し、子どもをいじめているのだろうなと思いました。
しかし、結局、私自身は子どもがもう大きくなっていることもあり、何もできませんでした。
先生には手紙や意見や資料を送りましたが、反応はありませんでした。
たぶん私もうるさい父母と同一視されたのでしょう。

共通テストや管理主義のことは、このブログでも書いたことがあります。
しかし、今回、現場にいた先生の言葉として、ドキッとしたのは次の文章でした。

現在の教員の悩みベスト1は、保護者への対応である。
まさに前に参加した集まりで受けた、私の印象もそうでした。
湯本さんは、こう続けています。
今の学校は、教員が子どものことで悩むことが充分にできない状態にある。マスコミなどが、子どもや保護者が変わったという議論をしきりに流しているが、子どもや保護者が変わったのではない。国の教育行政が大きく変わったのである。
20年前、会社を辞めたころ、小中学校を変えていかなければ社会は変わらないと思い、少し子どもの教育の問題に関わろうと思ったことがあります。
学校を壊し、先生たちの私塾をどんどん作っていったらどうかと思っていました。
学校に子どもたちを合わせる時代は終わり、多様な個性を持った子どもたちに合わせた学びの場を創っていくのが、成熟社会の教育のあり方だと思ったのです。
しかし、とても私の手に負える問題ではありませんでした。
その後、きのくに子どものむら学園の話を聴いた時には感激しました。

ぜひ湯本さんのブログを読んでみてください。
そして興味を持っていただけたら、この本を読んでみてください。
次の更新時に、私のホームページのブックのコーナーでも紹介させてもらうつもりです。

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