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2008/11/07

■節子への挽歌433:同棲しはじめた頃の話

節子
こちらは急に寒くなりました。
あまりの寒さに、一昨日、こたつを出してしまいました。
こたつには、いろいろな思い出があります。

私たちはそれぞれの親の了解を得る前に、そして結婚式をする前に、同棲してしまいました。
一緒の暮らしのはじまりは、滋賀県の瀬田でした。
当時、私の貯金は8万円しかありませんでした。
節子はその数倍の貯金があったと記憶していますが、8万円では住む家を借りたらなくなってしまう金額でした。
親には話していませんでしたので、全部自分たちで切り盛りしなければいけません。
私はお金なんかなくてもどうにかなるという考えの持ち主で、実際には節子が苦労を背負い込んでいたのかもしれません。

住むところは2軒長屋の狭いところでした。
同棲しだしたのは、あまり記憶がないのですが、たぶん秋頃からでした。
寒くなってきたにもかかわらず、こたつだけが唯一の暖房器具でした。
暖房器具を買うお金がなかったのです。
テレビもありませんでした。
いや、何もなかったのです。
いつか書きましたが、年末にそれぞれの実家に戻り、親を説得することにしていました。
それまでの生活は、かぐや姫の「神田川」の世界でした。
隙間風が吹き込んでくるようなところで、隣の物音も聞こえてきました。
電気毛布もなかったので、夜はお互いに抱き合って身体を暖めあうようなこともありました。

お金はありませんでしたが、週末には2人で奈良や京都に行きました。
その頃の節子はとてもかわいくて、ローマの休日に出てくるヘップバーンのように私には見えていました。
人を恋すると相手が違って見えるものです。
たぶん、それが「愛」と「恋」との違いです。
これについてはまたいつか書きます。

冬を越したところで、会社の社宅に入れてもらえました。
そしてすぐに私が東京転勤になりました。
社宅には数か月しかいませんでしたので、ほとんど記憶はありません。

瀬田での生活が、私たちの原点でした。
箪笥もなく、ミカン箱の生活でした。
なにしろ突然の同棲でしたから、事件がなかったわけではありません。
テレビドラマの素材になるような話もありましたし、私の非常識さから節子に迷惑をかけたことも少なくありません。
それでもとても楽しかったです。

こたつの話が広がってしまいました。
こんな風に、ちょっとしたことから節子とのことが思い出されてしまうのです。
節子とまたこたつに一緒に入って、他愛無い話をしたいものですが、それはどうも無理なようです。
タイムマシンがほしいですね。

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