■現場の声にこそ歴史を変える力がある
神奈川県立神田高校が入試で服装や態度がおかしい受験生を不合格にした問題で、同校の校長が現場を外されてしまいました。
それに対して、生徒や卒業生、父母、神田高校をよく知っている人たちから、学校現場への復帰などを求める嘆願書が県や教育委員会に出されました。
卒業生や父母が中心になって、駅前での署名運動も行われ、3000人を超す署名が集まっているそうです。
事の良し悪しは現場を知らない者として、軽々に判断できませんが、一部の高校の状況を友人の高校の先生から聴いていますので(彼も果敢に改革に取り組んでいます)、事の大きさはよくわかります。
それはともかく、今回、とても感激したのは、現場の人たち、つまり生徒や卒業生、あるいは父母や地域の人たちが声を上げたことです。
新聞やネット記事を読む限り、同校の先生たちが声を上げていないのがとても気になりますが(批判するつもりはありません。理由は推測できますので)、当事者が異議申し立ての声をあげていく文化がまた少し動き出してきたことを知って、とてもうれしく思います。
20世紀の後半に高まるかに見えた、「異議申し立て」の動きは、その後の経済成長主義に絡め取られてしまい、無残にも現場を軽視する時代が広がってしまったことに、失望していたからです。
学校のことは学校現場の人が一番良く知っています。
地域のことは地域の住民が一番良く知っているのと同じです。
「住民から市民へ」などという、現場を具体的に知らない「有識者」たちの標語に騙されてはいけないと、私は思っています。
ですから、どんなに綺麗に語られようと、「関さんの森」騒動のような事件には疑問を感じてしまうわけです。
在校生からも「校長先生を戻してください。これは生徒みんなの願い」(1年女子)という声があったそうです。
どんな理屈よりも、こうした現場の人の声に迫力を感じます。
「レストラティブ・ジャスティス(Restorative Justice」という言葉があります。
日本語では、損害回復的正義とか修復的司法とか訳されています。
いまのところ、日本では主に刑事司法の分野で広がっている考え方です。
私は、もっと広義なパラダイムだと受け止めています。
提唱者のハワード・ゼアもそう考えているように思います。
この考え方は、関係の強い当事者同士がしっかりと向き合って話し合うことで、問題が解決するだけではなく、状況がさらに前に向かって改善されていくというものです。
司法時評で一度きちんと書こうと思っていましたが、忘れていました。
しかし、今回の神田学校事件で、思い出しました。
長くなるので、改めて書くことにします。
ちなみに、私はRestorative Justiceを「共創的正義」と訳しています。
私の言動の基本パラダイムは「共創」なのです。
「コモンズの共創」が私の関心事であり、同時に「コモンズとは共創のプロセス」だと、最近考えるようになっています。
一生に1冊だけ本を書きたいと思っていました。
そのタイトルは「コモンズの回復」です。
だいぶ中身が見えてきましたが、どうも今世では書けそうもありません。
来世に先延ばししようと思っています。
こまったものです。
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