■節子への挽歌430:吉祥蘭が咲きました
節子
吉祥蘭が初めて花を咲かせました。
節子が数年前に、ジュンと一緒に柏に行った時、駅前にいた行商のおばあさんから買ってきたのだそうです。
節子はどんな花が咲くかも知らずに、おばあさんの勧めで買ったのだそうです。
ところが、その後、花は咲こうともせずにいたのです。
その花が咲いたのです。
節子かもしれません。
吉祥とは繁栄・幸運を意味し、その名前を持つ吉祥天は幸福や美の神とされています。
奈良の薬師寺の吉祥天女画像は有名ですが、薬師寺は私が仏像に興味を持った最初の像です。
中学の修学旅行で初めて薬師寺に行きましたが、金堂の薬師三尊の印象が強く残りました。
戦禍で薬師寺が炎上した時に、金箔が溶けて黒くなってしまったと説明を聞きましたが、その時、炎のなかで歩き出す如来と菩薩を想像したのです。
火花の音が聞こえるような感じでした。
その時から、遺跡や旧い寺院に立つと、人のざわめきが感じられるようになったのです。
それが、私が遺跡好きの理由です。
私が薬師寺の薬師三尊が好きなのは、それだけではありません。
薬師如来のふくよかな肉体が、心を包んでくれるような気がするのです。
節子と薬師寺に行ったのは、そう多くはないでしょう。
せいぜい2度か3度ですが、節子と結婚する前はよく行きました。
まだ薬師寺には東塔しかなかった時代です。
今は、私の好みのお寺ではなくなりました。
吉祥天女画像は、修正会の時に金堂の薬師三尊像のところに公開されると記憶していますが、残念ながら私がこの天女に会えたのは、東京国立博物館での「日本国宝展」でした。
大学1年の時でした。
その4年後に、節子に出会いました。
節子と出会ってからは、私にとっての吉祥天女は節子になりました。
ですから、それ以来、吉祥天女画像は私には興味のない存在になっていました。
そして、節子に会えなくなって1年、まるで節子が仕組んだように、節子が残していった、花の咲かなかった吉祥蘭が咲いたのです。
この吉祥天像は光明皇后がモデルとも言います。
私は毎朝、般若心経の後、光明真言を唱えています。
そのおかげで、節子への思いが届いたのかもしれません。
薬師寺の修正会では、この天女の前で、日頃の罪業を懺悔すると許されると聞いていました。
生前の懺悔をしろと、節子が言っているのかもしれません。
私は節子には隠し事はなかあったといいましたが、正直にいえば全くないわけでもありません。
しばらくは吉祥蘭を節子の写真の近くに置いて、懺悔でもしようかと思います。
どんな懺悔でも、節子は笑ってくれるでしょうから。
それにしても地味な蘭です。
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