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2008/11/20

■節子への挽歌446:「永訣の朝」

昨日紹介したSBさんからまたメールをいただきました。
SBさんが妹さんをとても愛していたのがよくわかります。
宮沢賢治の「永訣の朝」を思い出しました。
三好達治の「甃のうえ」と同じように、私が好きだった詩です。
それだけではありません。
節子が入っていたコーラスグループ「道」の昨年の発表会の曲目でもありました。
節子はもう歌う側ではなく、私と一緒に聴く側でした。
曲目として、実は私は不安感がありました。
もしかしたら節子もそうだったかもしれません。
節子と結婚した頃、私はこの詩を何回も節子の暗誦したのを覚えています。

「永訣の朝」はご存知の方も多いでしょう。
こんな始まり方です。

けふのうちに とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)は、賢治の妹が呼びかけているのです。
「雨雪をとってきてよ、賢治おにいちゃん」

そして、賢治は思います。

ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから 
なぜこの詩が私は好きだったのでしょうか。
学生の頃から、なぜか時々暗誦していたのです。
涙が出て、これ以上書けませんが、節子もとし子のように、健気でした。
だから私もまっすぐに進んでいかねばならないのです。

節子は、妹のように可愛かったのです。
「道」の発表会が節子の最後の外出でした。
しかし不思議なことに、その時にたくさんの人たちに会えたのです。
すべてが不思議です。
だからますます哀しくてならないのです。
久しぶりに涙をあふれさせながら、この記事を書きました。

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