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2008/11/25

■節子への挽歌451:節子のことを思い出すことが最大の学びです

以前、スマナサーラ師の本「偉大なる人の思考」の中に出てくる「遠離」のことに関する違和感を書きました。
その本は、僧籍を持つ若い知人から薦められたのですが、その違和感を彼にも伝えました。
彼は、私のためにわざわざその本を持ってきてくれたのですが、私が途中で違和感を持って読まずにいることを気にしていて、いつか話そうということになっていました。
先日、会いました。
とても素直な誠実な若者です。

スマナサーラ師は小乗仏教の立場から、
できるだけブッダの生の声を伝える活動をしているので、
大乗的な日本人には違和感があるかもしれません、と説明してくれました。
教団仏教の教えと個人ブッダの考えとは違っていたでしょう。
だからこの書は、仏教の書ではなく、ブッダの考えを説いた書なのです。

小乗仏教の立場の人が、なぜ多くの人に説教をし、瞑想を施すのか、これにも違和感はありますが、ブッダもまたそうしたわけですから、これは受け入れることにしました。
しかし、そもそも小乗と大乗を分ける考えには、昔から異論をもっていました。
知識人の小賢しい発想だからです。
現場の人にとっては、たぶん自らの救いと衆生の救いは不二のものです。
私の生き方そのものも、その理念の上に立っています。
それは節子も知っていました。
いえ、汗して誠実に生きている人には、小乗とか大乗とかは瑣末の話です。
みんなの幸せこそが自分の幸せなのです。

彼といろいろと話をしました。
スマナサーラ師の「慈悲の瞑想」の手ほどきも受けました。
慈悲とはなんでしょうか。
しかし、彼の誠実さにほだされて、余計な質問はやめました。
そして、もう一度、本を読むことにしました。
どんな書物からも、学ぶことはあるものです。

節子がいなくなってから、若い頃読んだ仏教関係の本や哲学の本を何冊か読み直しました。
最近出版された本も少し読みました。
しかし、どんな本よりも節子のことを思い出すことが、私にとっては最大の学びです。

ちなみに、瞑想ですが、
いろいろと瞑想や内観は勧められますが、いまやっているのは Wii Fit の座禅です。
修らしいね、と節子は思っているでしょう。
ともかく私は「型」がきらいなのですが、せつこはそれを一番よく知っていました。
節子は型にこだわることなく、私に人生を教えてくれました。
節子もまた、私から人生を学んだはずです。
節子も、私と結婚して、かなり型よりも実の人になったように思います。

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