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2008/11/15

■節子への挽歌441:「肩の荷」をおろしていっていいのだろうか

節子
ついに私も降圧剤をのむことにしました。
節子に勧められてから4年が経ちましたが。

今週初め、講演をしたのですが、なぜか息切れがするのです。
もしかしたらと思って、血圧を測ってみたら、なんと下が127、上が197でした。
以来、毎日測っていますが、下が100~120、上が170~190です。
調べてみたら、重症高血圧の領域です。
そういえば、最近、少し頭が重く、手足がしびれますが、これも高血圧のせいかもしれません。
血圧ぐらい自分の意志で下げると節子には豪語していましたが、ダメでした。
娘たちからも強く言われて、昨日、遠藤クリニックに行きました。

実は遠藤クリニックに行くのはとても辛いのです。
遠藤さんは節子のかかりつけのお医者さんでした。
節子のことはよく知っていて、その気丈さをいつもほめてくれていました。
節子が旅立ってから、何度か報告に行こうと思いましたが、行けませんでした。
診察が終わった後、実は、と言い出すと、先生はすぐにわかりました。
報告に来られなくてと謝ると、わかっていました、手の施しようがなかったからね、といいました。
そして、がんばったねと言ってくれました。
もちろん、節子ががんばったという意味です。

遠藤さんは、節子もよく知っているように、静かで寡黙な先生です。
遠藤さんに話せて、また少し肩の荷がおりた気がします。

しかし、こうやって、一つずつ「肩の荷」をおろしていっていいのだろうかと思うこともあります。
ずっとずっと、節子のことを「肩の荷」にしているほうがいいのではないかという気もしないでもありません。
複雑な気持ちです。

昨日から降圧剤を飲み始めました。
飲みだすのが遅すぎたかもしれません。
昨日出かけていたのですが、途中で気分が悪くなって、予定を繰り上げて帰ってきました。
今日もまたシンポジウムのコーディネーター役です。
途中でおかしくならないといいのですが。

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