■節子への挽歌452:「今日書こう、明日書こうと思っているうちに」
節子
私が戦中戦後、両親の親元の新潟の柏崎に疎開していたことは話しました。
いつか行ってみようと思いながら、結局、行かずじまいになってしまいました。
その柏崎に「疎開」していたおかげで、家族は全員無事でした。
東京に戻ってきたのは、昭和26年の春、私が小学4年になった時です。
私は記憶力があまりいいほうではないので、その頃の話はほとんど記憶にありません。
覚えているのは海水浴で溺れたことくらいでしょうか。
しかし、いまなお、年賀状のやりとりをしている友人がいます。
おそらく50年以上、会ったことはないのですが。
その友人から手紙が届きました。
昨年末、節子を見送ったことを知らせた返事でした。
もっと早くにお悔やみのお返事を差し上げなければならないところですが、今日書こう、明日書こうと思っているうちに、今年も残すところ40日あまりとなってしまい、意を決して書くことに致しました。そして1年前の中越沖大地震のことや家族のことを書いてきてくれました。
年賀状では全く知らなかったことが書かれていました。
「今日書こう、明日書こうと思っているうちに」
とてもよくわかります。
私も、そうやって結局、「意を決する」ことができずに終わってしまったこともあります。
思いが深ければ深いほど、書けなくなるのです。
人のことなのに、その事実を認めずに忘れてしまいたくなるのです。
昨日も5年ぶりにある人に会いました。
彼も最近、節子のことを知ったのです。
開口一番、お悔やみを言われました。
そういう時には、実に明るく応えるようにしています。
そして話題を変えてしまいます。
話しだすとついつい涙ぐんでしまうからです。
友人は、家族のことを書いてきてくれました。
おぼろげながら記憶していますが、彼の母親は90歳で元気だそうです。
ところが奥さんは車椅子生活をされているようです。
人生はいろいろあります。
それぞれの人生を、それぞれに生きているわけです。
何が幸せで、何が不幸かは、考え方次第ですが、幸せや不幸などと無関係に、いまをしっかりと生きていくことが大切なのでしょう。
最近、私の頭の中から、「幸せ」とか「不幸」とかの言葉がなくなってきたような気がします。
久しぶりに、彼の顔を思い出しながら、少し長めの手紙を書きました。
彼に手紙を出すのは、それこそ50年ぶりです。
年賀状の季節になりましたが、今年も年賀状は出さないことに決めました。
世間の常識には反しますが、何を書けばいいかわからないからです。
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