■節子への挽歌439:思い出が充満している部屋に戻ってきました
節子
こちらは急に寒くなりました。
凍えそうな日が続いています。
そのせいか、こたつのある和室にまたノートパソコンを持ち込みました。
そこでパソコンを使い出すと、床の間においてある節子の大きな写真が目に入ってきました。
その節子の写真の額の上に、節子がお気に入りだった帽子がかぶさっています。
そしてその前に、節子の話し相手だった「話す人形」が陣取っています。
床の間の掛け軸ははずされていて、節子が書いた色紙がかざってあります。
一瞬、時間が戻ったような気がしました。
そして、しばらく忘れていたこの部屋での体験が一挙に思い出されました。
この部屋は、節子を見送った部屋ですから。
写真を見ていると、今もって節子の不在が実感できません。
節子は私の不在を実感しているのでしょうか。
節子には私が見えているのでしょうか。
それをとても知りたいですが、今の私には知りようもありません。
まあまもなく私も節子と同じ彼岸に行きますので、それまでのお楽しみにしておきましょう。
この部屋には節子の思い出が充満しています。
あまり良い思い出ではないのですが、思い出は不思議なことに良いとか悪いとかを超えていくような気がします。
良いも悪いも含めて、思い出は私にはすべて大切なものになってきています。
節子との思い出は、もう増やすことができないからです。
そのせいか、すべての思い出はほとんど同価値になってきているのです。
とても不思議です。
これからますます寒くなると、この部屋で過ごす時間が増えそうです。
節子を思い出すことが増えそうですね。
節子から元気をもらえるといいのですが。
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