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2008/11/16

■「ひきかえす勇気」を失った社会

TBSのテレビ番組の時事放談をみました。
今朝は渡邉恒三さんと加藤紘一さんでした。
給付金が話題になった時に、司会者の「こんなに国民も反対しているのにやめられないのですか」という質問に、加藤さんが「ここまできたらやめられない」応えました。
それが時代の気分のようです。
いや日本社会の基底を流れる文化かもしれないと思いました。

私は中学3年の後半と高校の1年の前半、何と山岳部に入っていました。
通算しても1年ちょっとの体験ですが、登山でよく言われる言葉に、
「登頂をあきらめる勇気、ひきかえす勇気」
という言葉がありました。
すぐ目の前に山頂があっても、登頂を諦めなければならない時がある、と言う話です。

もし自民党に「信念を持った政治家」がいれば、首相に諫言して引き返させられるはずです。
大義はいくらでも見つけられるでしょう。
加藤さんご自身、いわゆる「加藤の乱」の時に、まさに直前で引き返しました。
あの時の加藤さんには、ひきかえす勇気というよりも、前に進む勇気がなかったからかもしれませんが、それでも引き返したことがある人です。

国民給付金がどれだけの弊害をもたらすかは、多くの人が表明していますし、一番問題なのは、それによって本当に大切なことが行われなくなることです。
自治体の混乱は大きいでしょうし、さまざまな詐欺事件の契機になる恐れもあります。
国民の受ける被害は2兆円どころではないでしょう。
それにもかかわらず、誰も「バカ殿」を止められない政府とは何のか。
自ら率先して税金の無駄遣いをする政府に、官僚の無駄遣いなど止められるはずがありません。
日本の政権に対して、諫言する人はもういなくなったのかもしれません。
それが、社会が壊れていくということなのでしょうか。

引き返すべき時に引き返さずに、引き返さなくてもいい時に引き返すのが、昨今の文化のような気がします。
70年前も、きっと今と同じようだったのでしょう。
もしそうだとしたら、20年後の日本の姿が見えてきます。

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コメント

引き返す勇気は大切な事だと思います。
先の15年戦争(満州事変から第2次世界戦争)に於いて、何度も止める機会は有ったのに、シビリアンコントロールは全く働かず、拡大を続け、玉砕をつづけても、1945年7月26日のポツダム宣言もうけいれなかった為に広島、長崎に原子爆弾が落ち死の町に変わりました。
田母神元幕僚長の時も感じましたが、強大な軍隊が勢力を持ちシビリアンコントロールがきかないようになれば大変です。
諌言する勇気と言いますが、発言するのも命がけな時代が来ないように、自分が信じることは主張し発言してゆきたいとおもいます。国民給付金い付いては周りの人はみんな反対です。

投稿: maron | 2008/11/19 02:09

maronさん
ありがとうございます。

ホームページも少し読ませてもらいました。
「素晴らしい憲法の理念は人々に希望をあたえた。」
「63年も戦争が無く平和を保てたのは憲法第9条のおかげだと思っている。単純だと言われるかもしれないが、それは砦のようなものだ。」

とても共感できます。
またゆっくりと読ませてもらいます。
ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2008/11/20 07:24

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