■法律と現実のギャップ
今日はいつも以上の暴論です。
大麻問題が広がっています。
大学生や主婦や医師など、普通の生活をしている人たちに広がっているようです。
しかし、大麻は日本では法律で禁止されています。
したがって大麻を吸引したり、売買したりすると犯罪になります。
その犯罪が年々増えているということです。
この問題にどう対応するか。
方法は2つあります。
法治国家として、法律を基本に考えれば、取締りを強化することになります。
事実、その方向で動き出しています。
もう一つの方法は、現実を基本に考えて、法律を変えて大麻の使用を認めていくことです。
後者の方法への賛成者は多くはないでしょうが、いないわけでもありません。
以前、ホームページには書いたのですが、私のオフィスに、大麻の使用を認めるべきだといいに来た人もいます。
そういう活動をしているグループもあるようです。
ほとんどの人は、後者の選択肢などは考えもしないでしょう。
もちろん私もそうです。
しかし、それは「大麻」に対するイメージのためかもしれません。
私は、大麻を体験したことがありませんから、それがいかなるもので、どういう効用と弊害があるのか、見聞した知識しか持っていません。
だから大麻を規制するのがいいのかどうかわからないのですが、規制することになんの異論もありませんし、むしろ当然だと思っています。
さて、問題を少し一般化してみましょう。
法律と現実に違いがある時に、法律に合わせるのか、現実に合わせるのか。
いささか荒っぽいですが、そういう問題に置き換えることができます。
法治国家であれば、当然、現実を法律に合わせるべきでしょう。
では憲法9条と自衛隊はどうでしょうか。
多くの人は、憲法を変えろといいます。
なぜでしょうか。
その人たちは、大麻の使用を認めるのでしょうか。
大麻と自衛問題を一緒にするなと怒られそうですね。
だから「暴論」だと断って書き出したのです。
私の考えは、ここに書いたことから読み取ってもらえると思いますので、あえて繰り返すことはしません。
私は自分の信念を大事にしています。
ですから私と意見が違っていても、信念を大事にしている人には敬意を持ちます。
しかし、信念を通せないのであれば、職を辞し、仕事も断ります。
そうやって生きてきました。
信念は問題ごとに変えていいわけではありません。
信念とはすべての物事を決める判断の根底にあるものです。
その社会が大事にしている価値観が、その社会を構成する人の信念に影響しているはずです。
価値観の多様化などという言葉が流行した時代がありますが、それは多様化ではなく消滅と言うべきだったように思います。
社会から価値観が消滅し、さらに個人からも価値観が消滅しつつある。
そんな気がします。
生きづらい時代です。
田母神さんや麻生さんには、信念は感じられません。
与えられた職責を果たすのではなく、職責を私物化しているからです。
職責を活かすのと、職責を私用するのとは全く違います。
時々、しっかりと自分の信念で生きている人に出会うことがあります。
その時はとてもうれしいです。
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