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2008/11/30

■戦時中の「赤紙」復活を思わせる裁判員候補者通知

来年5月に始まる裁判員制度に向けて、候補者への通知が出されたそうです。
もし届いたら、勝手には断れないわけですが、これは戦時中の召集令状、いわゆる「赤紙」の復活です。
国家は、1枚の紙で、すべての国民に対して、暴力をふるう役割や人を裁く役割を強制することができるのです。
さらに不快なのは、裁判員になったことやそこで体験したことを、家族友人など以外には口外してはいけないということになっています。
つまり公開できないような秘密を持てと、国民に強いているわけです。
どう考えてもおかしいです。
司法の透明性は高まるどころか、隠し事の奨励は司法そのものをおかしなものにしていくでしょう。

司法改革は、目的と手段にずれがあるわけです。
これに関しては、2004年以来、何回も書いてきました。
世間のことを知らない特権階層の司法界の人たちが中心になって考えたのでしょうが、どう考えても納得できません。

人を裁く責務を特権的に与えられた司法界の人たちは、その重責のために、特権ともいえる生活保障や身分保障などがきちんと与えられています。
にもかかわらず、その重責が充分に果たせなくなったために、国民参加の口実で、生活の保障も与えることなく、国民にランダムに責任を分散してしまおうというわけです。
いくらもっともらしい理屈をつけても、事実はそういうことです。
アメリカの陪審員制度などとは似て非なるものだと思います。
それに陪審員制度も問題がたくさんあります。
もし裁判の公正さを高めたいのであれば、裁判の透明性を高めたり、共創的正義(修復的司法)の要素を検討したりするのが筋でしょう。
全く無縁の人を巻き込んで、人を裁けというのは、あまりに暴力的です。

もし私のところに、裁判員候補の連絡が来たらどうすればいいでしょうか。
異議申し立てをしたいほどですが、そんなことをしたら、私自身が犯罪者にされかねません。
犯罪とは、前にも書いたように、法に反する行為なのですから、簡単に犯罪者はつくれます。
私も瑣末なことで、その体験をしています。

昨日、報道ステーションで、この問題に関連して、寺島実郎さんが「良心的兵役拒否」に言及していました。
私も、そのことを先ず頭に浮かべましたが、良心的兵役拒否が承認されてきたのは、多くの場合、宗教の信条に基づく場合でした。
日本でも先の第二次世界大戦で、灯台社の明石順三の話が有名ですが、ことはそう簡単ではありません。
それに「悪法もまた法」なのです。

しかし、人を裁くことは、私の生活信条にはなじみませんし、隠し事を持つことは私には耐えられないことです。
このブログで、事の顛末を書きたくなるでしょう。
書いてしまうとどうなるでしょうか。
たぶん検挙されるでしょう。
裁判員制度によって、新しい「犯罪」がまた成立しかねないのです。

いずれにしろかなりの苦痛を背負い込むことになります。
しかし、私にとって一番不快なことは、「赤紙」が復活したことです。
能力不足で利己主義の法曹界の人たちを呪いたくなります。
日本はまた一歩、奈落に向かって進んでしまいそうな気がします。
法曹界の中にも反対者は少なくないと、知人の弁護士から聞きました。
自由法曹団のなかでは賛否は半々だとも聞きました。
しかしなぜ効果的な反対の動きは出ないのか。
マスコミはほとんど反対の動きを報道していないように思います。

映画「ニュールンベルグ裁判」での判事ヘイウッド(スペンサー・トレイシー)の言葉が思い出されます。
「最初に無実の者を死刑にしたとき運命は決した」

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