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2008/12/16

■空家率10%社会における「寝食の場」のない人の増加

企業が正規雇用者を含めて大幅な解雇を始めていることは、「企業とは何か」という問いを私たちに突きつけています。
今もなお、企業とは利益を稼ぎ出すマシンと考えている人も少なくないでしょうが、近代経営学を打ち立てた一人でもあるバーナードは、「人間が個人として達成できないことを、他の人々との協働によって達成しようとしたときに組織が生まれる」とし、組織の一般理論を構想しました。
この組織原理の上に立って取り組めば、事態の解決はそう難しいことではないような気がしますが、どうもそうはならないようです。

つい20年ほど前までは、まだこの考えは日本企業の経営の根底にあったように思います。
その発想が失われだしたのは、非常に皮肉なことに、メセナとかフィランソロピーとかがいわれ出した時期に重なっています。
企業の社会的責任論も、そのころから変質してきています。
いささかの「憤り」も込めて、私の記憶に鮮明に残っているのは、経団連の社会的責任を議論する場にゲストで呼ばれたので、この考えを話したところ、当の経団連の事務局の人が言下に否定したことです。
その瞬間に、経団連とその方の「本音」を感じました。
経団連の1%クラブもまた、企業の商品価値を高めるための「戦略」でしかなかったのです。
もちろん、そうした活動に取り組む担当者の姿勢は、それとは全く無縁に、誠実で真剣だったと思いますし、そうした動きが悪かったなどと言うつもりもありません。
しかし、すでにそうした活動の中に、いまの「企業の実態」の予兆があったということです。

私自身はかなり早い時期から、コーポレートシチズンシップやフィランソロピーに関心を持ち、企業の人たちに呼びかけて研究会などもやっていましたが、問題はそうした「活動」や「意識」ではなく、「企業パラダイム」そのものだと思っていました。
今にして思えば、企業の社会貢献活動もまた両刃の剣であり、結果的に企業は金融資本パラダイムへと向かってしまったわけです。

また余計なことを書いてしまいましたが、
今日、書こうと思っていたのは、日本における「住宅空家率」のことです。
日本の空家率は大体10%強で、上昇傾向にあるようです。
地域によって空家率もかなり違うでしょうが、都市部でもだいたい10%強の住居が空き家になっているようです。

解雇された従業員が、社宅や寮を追い出されるということが大きな問題になっています。
この問題も考えると、まさに「企業パラダイム」に繋がっている問題です。
つまり、戦後の高度経済成長の推進のために、自宅から引き剥がされて若者が集団就職によって都会の会社に入った際には、生活拠点と仕事がセットになっていたのです。
福祉政策としての、日本の土建業も同じ構造でした。
出稼ぎシステムは、「飯場」と「仕事場」がセットになっていたのです。
そうした「生活と仕事」をセットにすることは、経営にとって大きな意味をもっていますが、その後の経済の発展はそうした不条理な仕組みをなくしだしていました。
しかし、それがこの20年、反転しだしていたわけです。

その一方で、人口減少基調に変わったこともあり、空き家が増えているわけです。
「空いている住居」があり「住む住居のない人」がいる。
それをうまくマッチさせれば、お互いにウィンウィンの関係が実現します。
仕事がないのが問題と言う人もいますが、まずは「安心して住む場」の確保です。
人間の生活の基盤は「安心して寝食できる場」です。
それがあれば、ホームレスから脱却できる人もいますし、何よりも安心して仕事を探せます。
仕事を作るのは時間がかかりますが、空き家と人をマッチングすることは、仕組みさえうまくつくれればすぐにでもできるはずです。

もちろんそんなことはもうどこかでやっているのでしょう。
しかし、空家率10%という数字と歳末に向けて「寝食の場」のない人の増加が、気になって仕方がありません。

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