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2008年12月

2008/12/31

■節子への挽歌486:元気で年を越せそうです

節子
今年も何とか家族みんな元気で年を越せそうです。
このブログではあまり書きませんでしたが、それなりの危機もありました。
しかし、年末に近づいてからはそのほとんどが良い方向に向かいだしました。

節子がいなくなってから、家族が背負い込んだものは決して少なくありませんでした。
私自身がもう少ししっかりしていれば、娘たちへの負担も軽減できたのでしょうが、肝心の私自身が一番気を沈めてしまい、前向きになれない日々が続きました。
そのおかげで、友人知人を失ったかもしれませんが、そのおかげで得た友人知人も少なくありませんでした。
娘たちへも大きな迷惑をかけましたが、娘たちにはありのままの私を見せるようにしました。
私にとっては節子の存在はあまりに大きく、節子への依存も強すぎたため自立できていませんでしたから、娘たちは大変だったと思います。
それが必ずしも良かったわけではありませんが、
ともかく自分の思いに素直に過ごしてきたおかげで、
少しは娘たちからの信頼を高められたかもしれません。

節子への挽歌は毎日、その時々の私自身の気持ちをそのまま書いています。
全く無意味な記事も少なくありませんが、時には書きながら涙を出したり、幸せを感じたり、自己反省したり、いろいろです。
パソコンの前にある節子の写真と話しながら書いていますので、
少なくとも1日に1回は節子との会話があるといってもいいでしょう。
1日も休むことなく、節子と話し合ってきたという実感はあります。

1年前に比べると記事のトーンがかなり変わっていると思います。
それがそのまま私の心情の変化なのですが、
心情の根底にある「懺悔の念」は変わりようもありません。
節子への愛しさは高まることはあっても薄れることはありません。
私にとっては、今も節子は最高の伴侶であり、最高の恋人でした。
抱けるものなら今ひとたび抱きしめたいと思います。
しかし、節子といつも一体になっているような気もするのです。
それはとても不思議な感覚です。

娘たちもまるで節子がいるように、今でも節子の名前が出ます。
節子は今もなお家族と共にいるような気がします。
そして今年もまたみんなで年越し蕎麦を食べて、新年を迎えます。
節子がいればどんなに幸せなことでしょう。
それはしかし、欲が深すぎるのかもしれません。
もう少しで今年も終わります。
ホッとしているのが、正直のところです。

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■今年は真実が見え出した年だったような気がします

快晴の穏やかな日が続いています。
気温は低いですが、太陽の光を浴びているとあたたかさに包まれて、幸せな気分になります。

今年は暗いニュースが多かったように思います。
大晦日の今日も、火事や殺人など、聞きたくないニュースばかりです。
その一方で、テレビは相変わらずタレントたちの無意味な番組ばかりです。
仕事もなく、住むところさえない人が増えているなかで、そうしたアンバランスさが気になります。
そういえば、先日テレビを見ていたら、南極点を踏破するツアーに向かう人たちが報道されていました。
なんと一人600万円以上かかるのだそうです。
夫婦で参加する人たちも何組かいましたが、住まいを追い出される人がいる一方で、こうした人たちもいるわけです。

今年は腹立たしいことの多い年でした。
政治と経済には大きく失望しました。
いずれにおいても、リーダーに哲学や信念が感じられないのです。
私にとっての唯一の救いは、ようやく小泉元首相のやったことが問われだしたことです。
私にとって、彼は犯罪者以外の何者でもなく、日本の文化と社会の破壊者です。
そういう犯罪者がぬくぬくと社会で活動していることを思うだけで、内心穏やかではありません。
彼のために一体何人かの人が路頭に迷ったことか。
何人の人が生命を絶ったことか。

日本の企業文化や経営哲学を壊し続けてきた財界のリーダーの真実も見え出しました。
経営とは人間の真実を基本において、価値を高める行為です。
決して金儲けのことではありません。
日本の先人たちが営々と築き上げてきた経営の文化を、目先の金儲けのために壊してきた経済の問題点が見え出してきたことは、せめてもの救いです。

21年前に会社を辞めた時に私のキーワードは「真心と愛」でした。
その原点に、もう一度戻れそうな気がしています。

それにしても、太陽の光の力には感動します。
陽だまりのあたたかさとやさしさは、大きな勇気を与えてくれます。
太陽はただ輝いているだけです。
みんなが素直に自然に生きることができれば、こんな事件ばかり起きる社会にはならなかったでしょう。

今年は、歴史の分岐点だったのかもしれません。
たくさんのことがありましたが、真実が見え出した年だったような気がしています。
1年間、勝手な時評を書いてきましたが、来年はもっと肯定的に時代を受け止められるようにしたいと思っています。
私自身のために。
今年は、私自身の卑しさにも気づかされた年でもあります。
人を批判することは、常に自らを批判の対象におくことでもあるのです。

読んでくださった方に深く感謝しています。

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2008/12/30

■「やさしさ」と「つめたさ」

今年も余すところ1日です。
私にとってだけでなく、今年はさまざまなことがクロスし、
状況が大きく変わっていく「せめぎ合い」の年だったように思います。

このブログの時評編では、社会が壊れてきていると何回も書きました。
しかし、それは新しい社会のはじまりなのかもしれません。
派遣切り問題から広がりだした、支え合いの輪は実に感動的です。
世界が変わりだしたようなイメージさえあります。

私が会社を辞めたのは1984年、平成元年です。
会社を辞めて、独りで活動を開始して体感したのは、時代が大きく変わりだそうとしている風でした。
その頃の年賀状に、よく「地殻変動の予感」とか「地殻変動の確信」とか書いていたことを思い出します。
しかし残念ながら1990年代の後半になるにつれ、その地殻変動の動きは変質してしまいました。
以前の延長に戻りだしたのです。
社会が壊れだすような感じでした。
そしてその流れから見ると、社会はまさにかなり壊れてしまったように思います。

ところがそうした壊れだした社会の中から新しい動きが出始めているのを、最近また感じられるようになりました。
それは社会現象からだけではなく、私自身の少し特殊な体験からも、です。
いや、それがあればこそ、その変化を心から実感できるのかもしれません。

挽歌編で書いていますが、私は昨年、妻を亡くしました。
私にとっては思ってもいなかった体験であり、いまだその事実を受け入れられない状況にあります。
しかし、そのことを通して、人の「やさしさ」や「いのちのつながり」を深く実感させてもらいました。
世界はなんと「やさしさ」で満ち満ちているのかということに改めて感激しました。

一昨日、こんなメールが来ました。

佐藤さんにお元気になっていただきたいと願って居ましたら、いつのまにか私のほうがはげまされている状態でした。
この方は、相談と称して何回も湯島に来てくれました。
その相談の内容がよくわからなかったので、いささかの苛立ちさえ感じていたのですが、
彼女は私を励ましに来てくださっていたのです。
なんと鈍感なことでしょうか。
恥ずかしい話です。

「鈍感さ」とは正反対に、最近、人の「情」に関する「ひがみっぽさ」は敏感になっていました。
自分でもいささか嫌悪したくなるほど、「言葉」に過剰に反応し、人への不信感をもったこともあります。
しかし、みんなそれぞれの事情を抱えていることを思いやる余裕が最近ようやく戻ってきました。
結局、不信感は自らの気持ちの現われでしかありません。
世界は自分のこころの鏡像なのです。

マスコミ報道でみると、社会の冷たさのニュースが多すぎて、いささか気持ちが沈みます。
しかし、もしかしたら、実はさまざまな「あたたかなエピソード」がたくさんあるのではないかと思うのです。
私自身がそうだからですが、これはなにも私のまわりに限ったことではないでしょう。
その証拠が、派遣切り問題から始まった支え合いの輪の広がりです。
自分の心が変われば、世界は違った様相を見せてくれるかもしれません。

年末に友人から教えてもらった、サティシュ・クマールの「君あり、故に我あり」を読みました。
「インド思想が説く平和をめざす新原理」と本の帯に書いてあります。
書かれていることのすべてに共感しました。
ガンジーに対する私自身の偏狭な見方も反省させられました。
この歳になって、やっと自らの卑しさを思い知らされるのは辛いことですが、
もっと「やさしさ」をもって、社会を見ることにしたいと思います。
まず自らのうちにある「つめたさ」を克服しなければ、社会の「あたたか」に気づくことはないでしょう。
サティシュはこう書いています。

「人は平和であるとき、平和を発散するのだ」
最近、やっとこの意味がわかってきました。

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■節子への挽歌485:遠来の友

節子
思わぬ人が訪ねてきてくれました。
トヨタの梅原さんです。
節子もオープンサロンで、何回か会っているはずです。
梅原さんはいまヨーロッパに転勤しており、年末年始の休暇で久しぶりに帰国されたのだそうですが、その合間に立ち寄ってくれたのです。
ブログで節子のことを知り、気にしていてくれていたのです。
先日も福山さんと南部さんのことを書きましたが、まさかヨーロッパにいる梅原さんがブログを読んでいるとは思ってもいませんでした。
思わぬところで、私たちのことを気にかけてくださっている方がいることに改めて感謝しました。

ところで、今年もあと1日になりました。
昨年は、大晦日の朝に突然おかしくなりました。
その記録がホームページにも残っていませんが、書く気力もなかったのでしょう。
大晦日の朝にめまいと吐き気が襲ってきてしまったのです。
節子が呼んでいるのかとさえ思いましたが、娘たちがとても心配してくれました。
夕方になっても回復の兆しがなかったので、救急病院を3か所も回ってしまいました。
CTも撮りましたが原因がわからず、結局、投薬で様子を見ることになりました。
そのため今年の3が日は自宅で過ごしましたが、喪中だったこともあり、初詣にも行きませんでした。

結局、ストレスのせいだったようです。
伴侶を失った暮らしには、きっとどこかに大きな無理が生じているのです。
配偶者を亡くした高齢者の多くは2年で亡くなってしまうという話を聴いたこともありますし、3年間は要注意だといわれたこともあります。
おそらくこれは自分ではコントロールできない話なのでしょう。
40年も連れ添っていれば、生活はそれを前提に展開していますから、その片割れがいなくなってしまえば、生活が変調を来たすのは当然のことです。
自分では気づかなくても、心身的には大きな影響を受けているはずです。
そうしたストレスから解放されるのは、そう簡単ではないでしょう。

今年は私にとってはさまざまな思いのつまった年でした。
さほど意識しませんでしたが、ストレスも大きかったと思います。
しかし、いろいろな人たちに支えられながら、元気に年を越せそうです。
梅原さんも別れ際に、前とお変わりありませんね、と言ってくれました。
ブログを読んでいると、きっと今にも死にそうな私のイメージになるのでしょうね。
まあ、それもまた否定できない一面なのですが、今年はたぶん明日も元気に過ごせそうです。
1年間、支えてくださった皆様方に感謝しています。

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2008/12/29

■ラーメン屋を好きになる理由

近くのラーメン屋さんのオーナーが代わりました。
新たなお店は「らーめん大」です。
開店4日間、なんとラーメン100円というチラシが入りました。
その4日間、お店に長い行列です。
とてもトライする気にはならないほどです。
先日、マックの顧客動員づくりが問題視されていましたが、このか移転キャンペーンも私にはあまり感心できません。
しかし凄い行列が印象に残りましたので、一度は試してみようと思っていました。
その意味では私も見事に宣伝活動の掌中に落ちてしまっていたわけです。

最近やっと並んでいる人を見なくなりましたので、娘を誘って行ってみました。
カウンターのお店で、食券を最初に購入するのです。
基本は600円で、そこにトッピングなどをいろいろと加えていきます。
全席で8人、とても小さなお店です。
歯応えのある太い緬とスープが自慢だそうです。

トッピングは有料ですが、野菜とにんにくだけは無料で乗せてくれます。
味の濃さや緬の茹で具合はここに対応してくれます。
野菜の無料追加は、その量が半端ではなく、大山盛りなのです。
野菜好きの私でも、半分でいいと頼んだほどです。
しかしその盛り方が豪快なので、それがとても気にいってしまいました。
そうしたことを通して、客と店主が会話するようになっているので、何となく人間的な雰囲気が生まれます。
もちろん味もよかったです。

もう一つ感心したのは、カウンターには顧客ごとにふきんが用意されていて、客は食べ終わった後、それを使ってカウンターを拭く仕組みになっていることです。
いや仕組みになっているかどうかはわかりません。
そんなことはどこにも書いていないからです。
でも私たちの前のお客さんはそうしていましたので、私たちもそうしました。
これがまたとても気にいってしまいました。

自分で拭くシステムは最近は増えていますが、
このラーメン屋の雰囲気のよさのせいか、実に新鮮で自分の家で食べているような居心地の良さを感じました。
なんだかとても大切なことを教えてもらったような気がします。
この店にはもう一度来ようと思いました。

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■節子への挽歌484:年賀状はやめました

節子
年賀状を書かなければいけないのですが、どうも書く気が起きません。
最近は年賀メールに切り替えているので、ハガキで出す人は100人くらいしかいないのですが、それが書けません。
昔は、私の年賀状のメッセージを楽しみにしていてくれた人もいたのですが、最近は年賀状もいささか定型的になりがちでした。

節子との共通の友人や親戚への年賀状は節子の担当でした。
節子も以前は手づくりの年賀状でいつも制作が大変でしたが、病気になってからは私たち夫婦の写真を使うようになりました。
それでも節子は一人ずつに、手書きの文章を書いていました。
時間はかかりましたが、それは節子のスタイルでした。
手紙を書きながら、節子はいつも相手の人のことを思い出しながら話題にしていました。

節子は私の年賀状の書き方には否定的でした。
たとえ年賀状でも、いや年に1回の年賀状であればこそ、心を込めて、書くプロセスを大事にすべきだというのが節子でした。
私にはとてもできませんでしたが、そういうスタイルにこだわっている節子が、私はとても好きでした。
何日もかかって年賀状を書いている節子の姿をもう見られないのがさびしいです。

年賀状に限りませんが、年末にいろいろと家事に取り組んでいた節子の姿がもうわが家には戻ってこないのかと思うと悲しいですが、今年は2人の娘がいろいろと計画しながら、節子の文化を継承しだしています。
彼女たちのおかげで、私は節子がいた時と同じように、年末でも楽をさせてもらっています。

どんなに忙しくても、年末に出版される塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読み上げるのも、数年続いた私の習慣でした。
しかし、「ローマ人の物語」も、一昨年の15巻で終わってしまったので、昨年はそれができませんでした。
出版されてもとても読む気にはなれなかったでしょうから、私にとってはよかったのですが、今年、その続巻「ローマ亡き後の地中海世界」が出版されたのです。
先週書店で見つけて、なんだか偶然とは思えずに、早速、翌日に読み終えました。
とても面白かったですが、そんな厚い本は来年にして年賀状を書いたら、と言っている節子を思い出します。

でもまあ一人で年賀状を書く気は起きないので、今回は年賀状はやめることにしました。
今の気分では、これからずっとやめようと思います。
年賀メールもかけないような気もしています。
節子がいない世界では、年が新たになる意味が、実感できないからです。

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2008/12/28

■「ローマ亡き後の地中海世界」と現代の世界

CWSコモンズにも書きましたが、塩野七生さんの「ローマ亡き後の地中海世界(上)」を読みました。
一昨年まで15年間にわたり毎年刊行されていた「ローマ人の物語」の続編です。
「ローマ人の物語」もそうでしたが、豊富なエピソードが、退屈な通史では味わえない面白さを醸し出し、読み出すと途中でやめられなくなります。
今回も面白くて、一気に読んでしまいました。

実は読み始める時、イスラムがどう描かれるのか、中世の暗黒イメージはどう打ち砕かれるのか、楽しみだったのですが、その期待は見事に裏切られました。
塩野さんはいつものリアリズムで、そんな期待は断ち切ってしまっています。
イスラム教は好戦的で、中世はやはり暗黒なのです。
本書の中心である第2章は、「聖戦」です。
イスラム教の聖戦 ジハードとキリスト教の聖戦 グェッラ・サンタです。
そこで語られているのは「海賊行為」なのですが、読んでいるうちに、最近の金融資本の動きとイメージが重なってきてしまいました。
当時の海賊といまの金融資本家とが同じように見えてきてしまいました。
ジハードとグェッラ・サンタもそうです。
一昨日起こったイスラエルとハマスの聖戦ゴッコは海賊行為の延長でしかありません。
まさに歴史はまた、暗黒の中世に戻りだしているのかもしれません。

本書の帯に、こう書かれています。

秩序なき地中海を支配したのは「イスラムの海賊」だった
秩序なき現代世界を支配したのは金融資本だったのかもしれません。
問題は、それに続く歴史です。
本書の下巻は1月に出版されます。
そこにこれからの世界を考えるヒントはあるでしょうか。

本書には、「ローマ人の物語」の時と同じように、現在の世界を見るヒントがたくさんちりばめられていました。
人間味豊かな塩野史観の面白さも堪能できます。
いつも読み終えると世界が少し違って見えてくるような気になります。

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■節子への挽歌483:「野菜便」

節子
九州の蔵田さんから、手づくりの野菜便が届きました。
もう5回目の野菜便です。
毎年、どんどん見事になってきています。
節子に見せたいです。とても。

「野菜便」。
この言葉は節子の思い出なしでは語れない言葉です。
ですから蔵田さんからの野菜便を開いた時には、理由もなく目頭が熱くなりました。
実は、先週は節子の姉からも「野菜便」が届きました。

私たちにとっての「野菜便」のはじまりは、節子新聞に投稿した小文でした。
その年に節子の母が亡くなり、それまで毎年届いていた手づくりの野菜が届かなくなったのです。
翌年、敦賀に嫁いでいた節子の姉から「野菜便」が届くようになりました。
そしてさらに、会社を辞めて九州に転居した蔵田さんからも「野菜便」が届きだしたのです。

蔵田さんは上場企業の部長でした。
定年後、会社をすっぱりと辞めて九州に転居され、そこで自然の中で悠々と暮らしだしたのです。
そして、農業も始め、その見事な収穫を毎年届けてくださるのです。
今でもなお「やんちゃ坊主」の雰囲気のある蔵田さんが、まさか農作業などしないだろうと思っていたのですが、その成果を見る限り、どうも半端ではないのめり込み方をしているようです。
品種も実に多様なのです。
昨日は、ユカとジュンががんばって野菜たっぷりの料理を作ってくれました。
ベジタリアンの私としては幸せ一杯でした。

蔵田さんは、節子のことも良く知っていてくださいました。
九州からわざわざ献花にも来てくださいました。
その時は、私はまだ憔悴していたのでしょう、とても心配してくださり、私を元気づけようといろいろとお気遣いいただいています。
実際、私自身、その時、蔵田さんと何の話をしたか思い出せないのです。
自分ではしっかりしているつもりでも、やはり以前の私はおかしかったのでしょうね。

節子
こんな感じで、いろんな人が応援してくれるので、私たちも元気で年を越せそうです。
来年は、みなさんにお返しできるようになりたいと思っています。

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2008/12/27

■節子への挽歌482:「節子だったら怒るだろうな」

娘たちとテレビを観ていて、よく出てくる言葉があります。
「節子だったら怒るだろうな」。

節子は生真面目な人でしたので、テレビ番組で食べ物を無駄にするようなシーンが許せませんでした。
パイの投げ合いさえも大嫌いでしたし、ビールを掛け合うシーンも好きではありませんでした。
ともかく食材や料理を粗末に扱うようなことがあると本気で怒り出すのです。

食材だけではありません。
節子はともかく「無駄」が嫌いだったのです。
たとえテレビ番組とはいえ。物を簡単に壊してしまうようなショーは節子の怒りをかっていました。
そのくせ、自分はけっこう賞味期限切れで食材を無駄にしていましたが。

不真面目なものも嫌いでした。
たけしの不真面目な、特に独りよがりな駄洒落のような言動は大嫌いでした。
たけし軍団のメンバーに対する、暴力的な仕打ちには本当に腹を立てていました。

相方の頭をたたいたりする行為も嫌いでしたし、
裸に近い格好で出てくるタレントも大嫌いでした。
それに意味のない行為や言葉も好きではありませんでした。
中国雑技団の曲芸でも、たとえば頭で跳び歩いたり、お腹の上に石を置いたりするのは、なんでそんな馬鹿なことをやるのかと怒っていました。
節子は、自分でも言っていましたが、真面目すぎて時代についていけていなかったのかもしれません。
もちろん私も同じなのですが。

ニュースキャスターに腹を立てていたこともあります。
久米宏の、最後にごまかしてしまうような笑いにしてしまうコメントが嫌いでしたし、はっきりものを言わないニュースキャスターも好きではありませんでした。
自分が単純だったせいもあり、複雑な物言いも好きではなかったようです。

ほかにもいろいろありますが、時々、テレビに向かって腹を立てていたわけです。
その姿を私たち家族は時々思い出すわけです。
いつの間にか、そうした節子の反応が、私のものにもなってしまっています。
上にあげたような事例は、一つの例外を除いて私も同じです。
例外は、「意味のない行為や言葉」です。
たとえば、「ハンマーカンマー」のようなものは、絶対に節子は理解しないでしょう。
まあ、私も理解しているわけではないのです。はい。

残念ながら、節子が怒るような場面は。相変わらずテレビでは多いです。
いえ、ますます多くなっているようです。
節子が元気だったら、と思うと、最近の私の社会への反応の鈍さを反省しなければいけません。
今年の年末は、心が平安になりそうもありません。
節子に救ってほしいほどです。

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■派遣切りしているのは「企業」ではなく「経営者」です

テレビや新聞の報道で、いつも気になることがあります。
たとえば、今回の契約期間中の期間工の解雇や派遣切りなどですが、
それを行ったのは誰かということです。
報道では、ほとんど例外なく主語は「企業」です。
以前も書いたことがありますが、
この種の行動の主語は「企業」ではなく「経営者」ではないかと思います。
役員会で組織の方針として決定されたとしても、
決定したのは組織としての「企業」ではなく、
企業を経営する個人としての「経営者」です。
そこを曖昧にしては、問題が見えなくなるはずです。

つまりそれぞれの企業の経営者が決定したことなのです。
その人たちは果たして「痛み」を感じているでしょうか。
中小企業の経営者であれば、従業員の顔が見えていますから、
「痛み」は感じたくなくても感じざるを得ないでしょう。
しかし大企業の経営者はどうでしょうか。

さらにいえば、状況は厳しいとはいえ、
大企業が口を合わせたように一斉に派遣切りを始めました。
「談合」があったと勘ぐりたくなりますが、
それがないとしても、財界という組織の中での暗黙の合意があったように思います。
そうでなければ、それぞれの会社が巨額な内部留保を蓄積しながら、
一斉に解雇宣言をするようなことは起こらないでしょう。

今回、企業(金儲けのための出資者)のために人を解雇した経営者の名前は、
私は決して忘れることはないでしょう。
いや世間も忘れるべきではないと思います。
彼らが奪ったのは、解雇した人たちの人生設計だけではありません。
企業への信頼感を壊してしまったのです。

先日会った若いベンチャー企業の経営者が、
まさか大企業の経営者が実際にこんなことをするとは思ってもいませんでした、
と驚いていました。
以前、私が派遣労働の問題性を話した時には、
むしろ働き方の選択肢が増えるから良いことだと思っていたそうです。
彼は当時まだ、大企業の経営者を信頼していたのです。
彼は誠実な経営者です。
大企業に「経営」はなくても、中小企業には「経営」があるのが、救いです。

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2008/12/26

■「君あり、故に我あり(Estis, ergo sum)」

挽歌462で、プライベートの語源は「奪う」にあるという話を紹介させてもらったところ、友人から、ジャイナ教の「5戒」でも「アパリグラハ(蓄えないこと、所有しないこと)」があげられているというメールをもらいました。
ジャイナ教の「非所有(アパリグラハ)」も、法頂師が書いているように、否定的意味合いではなく、すべてを分かち合うという積極的意味があるようです。
人間が自然のなかで素直に暮らしていくためには、非暴力と非所有が大事であり、それができれば、それは同時に、魂の解放につながるというわけです。
この「非所有」の思想からいまの社会を見ていくと、いろいろなことに気づきます。
日本にはもともとそうした発想がありましたし、今もなおいろいろなところにそれが残っています。
いつかそれに関しても書ければと思っているのですが、それを書くにはまだ私自身が「所有の文化」に埋もれてしまっていますので、気恥ずかしさが残ります。。
法頂さんのように、思いのまま、書ける生き方をしている人が時にうらやましいこともあります。

それはともかく、その人から「君あり、故に我あり」と言う本を教えてもらいました。
シューマッハー・カレッジに関わっているサティシュ・クマールというジャイナ教の元僧侶の人の本です。
それにしても、とても気になる書名です。
少し調べてみたら、インドで良く知られている格言「ソー・フーム(So Hum)」の訳なのだそうです。
そのまま訳すと、「彼は我なり」となるようですが、それをサティシュは「君あり、故に我あり」と言い換えているのです。
西洋近代の出発点は、デカルトの有名な「我思う、故に我あり」です。
それと対照的な世界観を予感させます。

早速、読んでみました。
心にとても素直に入ってきました。
貫いているのは「関係を見る哲学」。まさにシューマッハーです。
こういう文章があります。

デカルト的二元論の帰結は、個人をお互い及び世界全体と対立させ、人生を戦場とする。
各個人は自力で生きていかねばならず、自らの利益のための行動に没頭する。
個人主義が強者による弱者の搾取を生み、権力や富のための争いを生む。
まさに昨今の日本社会の状況です。
それを克服する知恵が、「君あり、故に我あり」の世界観にあります。
サティシュはこう書いています。
私たちは、自分自身だけで存在することはできない。
これは私たちの存在は他者の存在があって初めて可能である。
それに気づけば、突然の派遣切りなどは起こらないでしょう。
派遣切りの動きに対して、各地で広がりだした住宅や仕事の支援の動きに、「関係を見る哲学」の文化はまだ消えずに残っていることを確信できました。
その文化を支えているのは、やはり大企業経営者や政治家ではなく、やはり現場で汗している人たちであることも見えてきました。
文化が大きく変わる予兆が見えてきたような気がします。

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■節子への挽歌481:ロゴセラピーと「人生の意味」

先日、お会いした精神看護学教授の福山さんからメールが来ました。

私はヴィクトール・フランクルのロゴセラピー的な考え方が好きです。
人生の意味を見出している人は、苦悩にも耐えることができるというものです。
だから、その時、その時を、その辛い体験と向き合い、その体験に意味づけられるように、臨床看護の場では、病む患者さん、ご家族と、いつも一緒でした。
それは実は自分の課題でもあるんです。
そのようにして、人は人と真に出会い、生かされているように思えてなりません。
ロゴセラピーとは、対話を通して、その人の「人生の意味」に気づかせることで心の病を癒す心理療法のことだそうです。
私には初めての言葉でした。
創始者はヴィクトール・フランクル。
ナチスによって強制収容所に送られ、そこでの体験を『夜と霧』にまとめた精神分析家です。
学生の頃、読んで以来、その印象があまりに強くて、私には不得手な人です。
しかし、その『夜と霧』のテーマも、「希望」が根底に流れているといわれています。
彼を支えていたのが、きっとこのロゴセラピーの理念なのでしょう。
だからこそ、フランクルは過酷な収容所生活を生き抜けたわけです。

「人生の意味を見出している人は、苦悩にも耐えることができる」。
全く同感です。
そして、人生にはすべて「意味」がある、ということもわかっていたつもりです。
しかし、その確信が、節子との別れによって、もろくも瓦解してしまったこともまた、事実なのです。
もし1年前だったら、ロゴセラピーのことを知っても、たぶんどこかで拒絶反応が起きたでしょう。
しかし、いまは素直に納得できるのです。
1か月ほど前から、そうしたことを受容する素地ができてきたように思います。
まさにその時に、福山さんから声をかけてもらい、ロゴセラピーの話を教えてもらったのは、きっと意味のあることなのでしょう。
ちなみに、福山さんにお会いした翌日、初めてオフィスに来てくださった初対面の方から「生と死」についての話をお聞きしましたが、その人が話していたことが、まさにロゴセラピーの考え方でした。
その奇妙な符合にも意味を感じます。

12月になってから、「節子がいなくなった人生の意味」を積極的に考えることを促されているようなことが続いています。
これも決して偶然のことではないでしょう。
私にとっては、今もなお「節子のために生きている人生」であることには変わりはないのですが、最近、改めて節子のために何が出来るかを考える気力が生まれてきているような気がします。
ちょっと気が戻ってきているのでしょうか。

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2008/12/25

■節子への挽歌480:節子のいないクリスマス

節子
君がいたら、今日はにぎやかなクリスマスです。
節子はいつも、家族みんなにささやかなプレゼントを用意していてくれました。
「ささやか」でしたが、心はしっかりとこもっていました。
しかし、今年は節子のいないクリスマスでした。

前にも書きましたが、私にはあまり「贈りもの」という思想がありません。
手元にある物をだれかにもらってもらうのは大好きですが、プレゼントのために何かを買うという行為が不得手なのです。
私はそもそも「買物」行為が苦手なのです。
節子へのプレゼントまで、節子に頼んで買ってきてもらおうと思ってしまうため、結局、プレゼントにならないのです。
ですから、私は節子にあまりプレゼントした記憶がありません。
節子
もっと君にプレゼントをしておけばよかったです。

ところで昨年のクリスマスはどうだったのでしょうか。
昨年のブログを読み直してみました。
1年前のことは、ほとんど私の記憶にはないのです。
ブログによれば、わが家全体が沈んでおり、プレゼントのやりとりはなかったようです。
でも今年はちょっと違っていました。

今日は出かけており、帰宅したのは6時すぎでしたが、娘たちがわが家らしい食卓を用意していてくれました。
ジュンが手づくりのいちごケーキを、ユカがいつもよりちょっと豪華な手づくり料理を用意してくれていたのです。
3人でこじんまりと、節子を話題にしながら、久しぶりに笑いの多いディナーでした。
節子にもケーキを供えました。
2年前に戻ったようです。
それにしても、節子がいないのが、私にはまだとても不思議でなりません。
どこかにいるような気がしてなりません。

愛する人を亡くした人は、きっとみんなこんな風にして、クリスマスや正月を過ごしているのでしょうね。
理由は何であろうと、節子を思い出せるのであれば、こうした行事もいいものです。
これでわが家もみんな、元気で年も越せそうです。

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■渡辺喜美議員の造反と党議拘束制度のおかしさ

昨日の衆議院で、民主党が提出した衆院解散要求決議案に対して、自民党の渡辺喜美元行革相が賛成しました。
それに対して、自民党は早速、党議拘束違反として、戒告処分にすることを発表しました。
渡辺さんの賛成は、衆院解散にはつながりませんでしたが、
自分の主張を貫くことのできない国会議員の活動として、敬意を表したいと思います。

というのも、私は以前から「党議拘束」なるものに大きな違和感を持っています。
私自身は明らかに憲法違反だと思いますが、
仮にそうでないとしても、人心をゆがめ、議員の意志を壊すという側面は否定できません。
郵政民営化の時のおかしな成り行きを見ただけで、その制度がいかにおかしいかは明白です。
党議拘束を維持しているような、非民主的な組織がいまなお国政を担う政党であることに、時代錯誤を感じます。
政党までが、人間の自由意志や価値判断を認めない官僚組織になっているわけです。
どう考えてもありえない話です。

党議拘束は、簡単に言えば、「議会で採決される案件に対し、あらかじめに賛成か反対かを決めておき、所属議員に投票行動を拘束する」(ウォキペディア)というものです。
つまり国会の表決における議員は、単なる投票マシンでしかありません。
その制度の下では、膨大な資金を使って「人」を選ぶ選挙などは不要ではないかと思います。
個人を選ぶ選挙ではなく、政党を選ぶ選挙であれば、資金は桁違いに下げられるでしょうし、おかしな選挙違反も起こりにくくなります。

念のために言えば、私はそういう選挙が良いと考えているわけではありません。
せっかく、資金と労力と時間をかけて、「人」を選ぶ選挙をしているのであれば、個々人の自由意志を尊重すべきではないかと思うのです。
しかも社会の状況は刻々と変化しますから、選挙時の意向が在任期間中、変化しないわけはありません。
それに対象となる案件は多種多様ですから、すべてを党議拘束するわけにはいきません。
事実、時には拘束が緩和される場合もあるわけですが、むしろ「原則」と「例外」を逆転すべきです。

党議拘束が厳しい場合は、郵政民営化の時に露出されたように、議員は時の権力者の奴隷に成り下がります。
国民のためではなく、総裁のために自らの信念をも曲げさせられるのです。

こんなおかしなルールがなぜ温存されているのでしょうか。
渡辺さんの行動を契機に、党議拘束の可笑しさを問題にしてほしいと思います。
国会議員の人たちも少しは主体性をもった自立した人間になったらどうでしょうか。
今の生き方は、あまりにも惨めで卑しいです。

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2008/12/24

■派遣切りトヨタと飲酒運転事故

昨年度あれほどの高利益を上げていたトヨタが赤字に転落というのは驚くべきニュースです。
この大きな変化にはいささかの疑念は残りますが、状況変化のすさまじさを感じさせます。
しかし、変わらないままのものもあります。

年末に向けて、飲酒運転事故は相変わらず多いです。
ネットで検索すると、毎日数件の飲酒運転による殺傷事故(事件)が起きています。
法改正により罰則は強化されていますが、その強化度合いは知れています。
たかだか数年の免許停止です。
本気を全く感じさせません。
このブログでは何回も書いていますが、飲酒運転は未必の故意のある殺傷事件未遂を構成するはずですが、もし万一、事故を発生させた場合は、免許の永久剥奪が当然のことだと思います。
なぜそれができないのか。
私の考えすぎかもしれませんが、そこにトヨタを初めとした自動車会社の圧力を感じます。

私がもしトヨタの社長であれば、自社商品の適正な使用を守るために、当然、飲酒運転事故を起こした人の免許の永久剥奪の法制化を働きかけると思います。
それが「危険な商品」を販売するものの責任です。
それをしてこなかった自動車会社の経営者の人間観が、今回の派遣切りにつながっています。
つまり、トヨタの経営理念は、人を軽視しているということです。
それは私の言葉では「経営」とはいいませんが、ほとんどの経営学者はトヨタの経営は凄いと昔から高く評価しています。

ものをつくることの意味を、企業経営者はもっと真剣に考えるべきです。
トヨタの創業者の血を引いている人であれば、もしかしたらそのことがわかるかもしれないと、期待しています。
創業者の哲学は、いつも誠実ですから。

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■節子への挽歌479:「迷った時には行動する」

昨日書いたように、節子に話したいことがどんどん増えている理由のひとつは、10月くらいから少しずつ活動の度合いを広げてからです。
節子がいた頃とはまだ大きく違いますが、それでもかなり飛び込んでくる情報に心身的に対応しだしています。
後押ししてくれる節子はもういませんし、落ち込んだ時や壁にぶつかった時に救ってくれる節子ももういません。
しかし、動き出したら、どんどん向こうから問題が飛びこんできます。
それに、不思議なほど、それらがつながっていくのです。
ですから動かざるを得なくなっていくのです。

しかし、行動は以前に比べるとたぶん重苦しくリズミカルではありません。
迷いもあり、後悔もあります。

先日、隠岐の海士町に行った話は書きましたが、大きな後悔があります。
海士の診療所の榊原所長に会ってこなかったことです。
会おうと思えば会えました。その診療所の前をタクシーで通ったのですから。
以前なら躊躇なく会いに立ち寄りました。
でもなぜか診療所の前を素通りしてしまいました。
タクシーの運転手さんに、よろしく伝えてくださいと、全く意味のない伝言を頼んだだけでした。

実は榊原さんとは友人でも知人でもありません。
榊原さんは私のことなど全く知りません。
私が知っているのは、榊原医師が地域医療でがんばっていて、第1回目の地域医療貢献賞の受賞者であることだけです。
その賞の事務局の人から、海士に行ったら会ってみたらといわれただけなのです。
海士に行く前は会いに行こうと思っていましたが、いざ行ってみたら、何だか気が重くなったのです。
なにを話せばいいのか、それにお土産も忘れてしまったのです。
それで迷った結果、結局立ち寄らなかったのです。
以前ならこんなことは絶対ありませんでした。

「迷った時には行動する」
これが節子の信条でした。
私の信条でもありました。
私たちの信条やルールはかなり共通していましたが、どちらから言い出したかはいまやわからないほど、私たちは夫婦の文化を一緒に創ってきたのです。
「迷った時には行動する」は、かなり強いわが家の文化でした。
その文化のおかげで、実はいろんな失敗も少なくなかったのですが、節子も私も気に入っていました。
夫婦で迷った時には、どちらかがそう言い出し、行動しました。

その信条が、この頃、どうもうまく作動しないのです。
節子の病気が再発してから、この言葉をお互いに口に出せなくなったのです。
迷うだけで行動できない自分に、最近時々出会います。

今回の海士町の件で、それに気付きました。
節子
迷った時に行動していれば、今頃、君に会えていたかもしれませんね。
これからはまた、「迷った時には行動する」生き方に戻そうと思います。

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2008/12/23

■節子への挽歌478:節子に話したいことが山のようにたまってしまいました

節子
先週はとても話題が多い週になりました。
多すぎていささか疲れました。
以前であれば、節子と喜びを分かち合い、辛さを分かち合うことができました。
私が出合った話題や事件、あるいは課題や問題も、節子と話しながら、その取り組みを考えることもできました。
でも、それらを分かち合う節子はいません。
そのため、話題や思いや情報が、溢れ出てしまうほど私の心身にたまってきています。
どこかで吐き出したいのですが、たまる一方です。

かなりプライバシーに関わる問題もありますから、そう簡単に口外はできません。
隠し事のできない私としては、これが一番辛いです。
「王さまの馬はロバの耳」というお話がありましたが、最近、それをよく思い出します。

節子と私は完全に情報をシェアしていましたから、友人知人のどんな個人的な話も分かち合うことができました。
それがどれほど私の活動を広げてくれていたか、最近、改めて実感します。
私が同時並行に多様なプロジェクトに取り組めたのは、節子のおかげだったのです。
いわばパソコンの外付けハードのような役目を、節子は果たしてくれていたのかもしれません。

あまり親しくない知人のことであろうと、個人の事情を引き受けることは、それなりのエネルギーが必要です。
「いのちの電話」などで相談に乗っている人の強さは、私には驚嘆に値します。
節子がいるときには、しかし、たぶん私にもその強さがあったのかもしれません。
私に生きる意味を与えてくれる節子がいればこそ、今の私があるのですね。
でも、「いまの私」は、「以前の私」ではないのかもしれません。
どんな体験も分かち合う人がいればこそ、昇華されますが、自分の中に抱え込んでおくと身勝手に増殖してしまいます。
その先行きがいささか心配です。
あまりに抱え込んだ情報で、自分がパンクしなければいいのですが。

それにしても、節子がいなくなったというのに、
私の周りでは相変わらずさまざまな事件が続発しています。
少しは私の事情も考えてくれ、といいたいですが、そんなわけにはいきません。
しかも、悪いことには、節子がいなくなってから、私自身の感受性はむしろ高まってしまっています。
昔もそうでしたが、それ以上に涙がよく出ますし、怒りを感じます。
素直に対応していたら、たぶん身が持ちません。
泣きたい時には泣き、怒りたい時には怒ればいいのですが、それがまた感情を増幅させることも少なくありません。

たまってしまった、たくさんの話題や思いを、早く節子に直接話したいです。
でもそうしたたくさんの問題を前にすると、そう簡単に節子のところにも行けません。
海士町からの帰りに船の上から飛び降りたら、今頃は節子に話せていたかもしれませんが、節子はきっと喜ばないでしょうし、私自身の心残りはそれ以上のものでしょう。

早くこの世界も、平安な浄土になってほしいです。
そうなれば、きっと彼岸と此岸との往来も可能になるような気がします。

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■居座ることの罪、居座らせることの罪

ついに麻生首相の支持率は20%を割ってしまいました。にもかかわらず、解散や辞職は眼中にないようです。
相変わらず国税を浪費するがごときの大盤振る舞いを国内外に向けて続けています。
国民の評判の悪い施策も考え直す気がみられません。
官僚の無駄遣いが話題になっていますが、首相の無駄遣いはそうしたものを勇気づける結果になっているのかもしれません。
それにしても多くの人が無駄だと思っていることを止めることもできないリーダーと言うのは一体なんのでしょうか。
無能というよりも、これは犯罪と言うべきではないかと思います。
居座ることの罪深さを知るべきでしょう。
彼がハローワークに行くために費やした経費で、何人の失業者を救うことができたででしょうか。

しかし、居座る罪以上に非難されるべきは、居座らせる罪かもしれません。
麻生さんではダメだといいながら、自民党議員は辞職を迫ることもしません。
かつての「加藤の乱」の無様さを覚えているだけに、私には期待感も起きてきませんが、加藤さんを留めた文化が相変わらず麻生さんを留めているのでしょう。
自民党の組織はホメオスタシス機能が働かないほどに壊れてしまっているのでしょうか。
野党もなす術をしりません

しかし、居座らせる罪の一半は私たち国民が負っているのです。
麻生さんが日本では一番首相に相応しいと、つい先日まで思っていた国民が一番多かったのですから。
マスコミも、そうした状況づくりに寄与していました。
今の不幸のすべては、私たちの自業自得なのかもしれません。

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2008/12/22

■「生きるための仕事」から「稼ぐための仕事」

先週は実にたくさんのことがありました。
それに話題もかなり重いものがありました。
孤独死、自殺問題、子どもの虐待、企業倒産、介護、居場所、家庭崩壊などなどです。
すべてに関わっているわけではありませんが、それぞれに少しずつ私の役割がありそうです。
社会にはたくさんの問題が山積みですが、それに取り組んでいくことを考えれば、それはすべて「仕事」になります。

仕事にはいろいろな種類があります。
先週のホームページの週間報告に、次のような文章を書きました。

今週はたくさんのことを引き受けてしまい、いささか気が重いです。
どうしてこんなに世の中には問題が山積しているのでしょうか。
それなのに仕事がないということは、どういうことでしょうか。
「生きるための仕事」から「稼ぐための仕事」になってしまったのがとても寂しいです。
先週、中小企業の社長から、融資してもらっても消費が落ち込んでいて、仕事がないから動きがとれない、といわれました。
「消費」ではなく「浪費」に依存していた仕事で構成されていたのが、これまでの経済です。
「生きるための消費」であれば需要は一気になくなることなどありえないのです。
その認識が財界にも政治家にも欠落しています。

以前、このブログでも、「過疎地には仕事が山積みです」と書きました。
いま社会に不足しているのは、「稼ぎ仕事」であって、「仕事」ではないのです。
「生きるための仕事」と「稼ぐための仕事」は本来全く違いますが、お金に依存する社会においては逆に「生きるための仕事」こそが「お金を得る」仕事になっています。
これはとても不幸な話です。

江戸時代には、仕事と稼ぎは別のものとされていました。
そして、その両方ができてはじめて一人前とされたのです。
「稼ぎ」とは、「家」のために「飯のタネ(お金)」を得ることです。
「仕事」は、孫子を含めて自分たちみんなのために必要なことをすることです。
社会が壊れだしている昨今では、後者は少なくなり、「仕事」といえば、「稼ぐこと」になってしまっています。

ボランティアという言葉は、日本では無償性が強調されました。
しかし、ボランティアと上記の意味での「仕事」は全く違います。
ボランティアなどというおかしな英語を当てはめた結果、それは金銭基準の概念に成り下がってしまいました。
さらに、そうした流れの中で「儲け仕事」というものも増え始めました。
書き出すときりがないので、やめますが、「仕事」と言っても、いろいろあるわけです。

話を元に戻せば、仕事はいまもたくさんあるのです。
しかし対価としての「お金」がもらえない仕事は、みんなの目には入らなくなっているのでしょう。
そこに問題があるわけです。

経済システムがおかしくなり、困窮者が増えている今であればこそ、お金などにこだわらずに、そうした山積みされている「仕事」に着目すれば、景気対策も今とは全く違ったものになるように思います。

皆さんの周りにもきっと「仕事」は山積みされています。
そうした仕事に取り組む人が、生きていける状況を創っていかない限り、社会は変わっていかないように思います。

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■節子への挽歌477:受け入れたくない事実

460で書いた藤原さんの奥さんから手紙が来ました。
藤原さんは、奥さんに私のことも話をしてくれていたようです。

佐藤様とご一緒に楽しく仕事をさせていただきましたこと、主人はいつもありがたいと申しておりました。
藤原さんがそう思っていてくれたのかと思った途端に涙が出てきました。
そして、果たしてその藤原さんにきちんと対応させてもらっていただろうかと不安になりました。

藤原さんが私と一緒に取り組んだ仕事は一つだけです。
私はまだ東レという会社におり、彼はユニチカにいました。
もう一人東洋紡の人も加えて、3人で繊維産業の実態をマクロに捉える試みに取り組んだことがあるのです。
通常の仕事とは違い、ちょっと研究的な活動でしたので、企業の枠を超えて、楽しくやれたのかもしれませんが、その当時はそれぞれに危機感を持っていました。
しかし、その後、それぞれの企業も厳しい状況に向かい、そんなマクロ的な活動は難しくなってきました。
結局、私は企業社会から脱落し、藤原さんは企業のトップの座に着きました。

企業のトップの座が、いかに孤独で厳しいものか、私には体験がありません。
責任感と正義感の強い藤原さんにとっては、それこそ生命を賭した仕事だったでしょう。
それは彼がトップになってから2回ほど会った時にも感じられました。

藤原さんは肺に疾患が生じ、昨秋ごろから呼吸が苦しくなっていたようです。
私のところに留守電が入ったのはその頃でした。
藤原さんは、たぶんそれを誰にも知らさなかったのでしょう。
そしてたぶん会社の経営改善に全力を投じていたのです。
彼はそういう人でした。
そして夏に体調を崩してしまったのだそうです。

今は主人が亡くなったことを受け入れたくなく、何年経ようとも(受け入れることは)無理なようでございます。
と奥さんは手紙に書いています。
私もそうでしたが、頭ではわかっていても、受け入れられないのです。
1年3か月経た今もなお、私もそうです。

それにしても、なぜ男たちは生命を縮めてまで会社のために働くのでしょうか。
藤原さんは「任侠の人」でしたから、社員のために休めなかったのでしょう。
彼にとっては、会社の社員が家族と同じように大切だったのかもしれません。
藤原さんは、正義と義憤の人でした。

以前、生命を捧げることができるほどの仕事が持てる人は幸せだといった人がいます。
そうかもしれません。
しかし遺されたものが、仕事よりも、正義よりも、自分のために生きてほしいと思うのもまた当然です。

私にとって、生命を捧げるに値するのは節子と娘たちだけです。
おそらく藤原さんもそうだったはずです。
それなのにそうならなかったことが悲しくてなりません。
遺された者の思いは、おそらくみんな同じです。

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2008/12/21

■節子への挽歌476:「書は散なり」

節子
「空海の企て」(山折哲雄)を読みました。
空海というとちょっと距離感がありますが、弘法大師といえば、節子のなじみのある存在になります。
節子はいつも故郷に戻ると近くの「太子堂」に行って、弘法さんをお参りしていました。
時々、私もつき合わせてもらいました。
節子の位牌壇にも大日如来の隣にはちゃんと弘法さんをお祭りしています。

空海は不思議な人です。
宇宙の虚空蔵ともつながっていたという噂もありますが、真言密教による国家乗っ取りを図った策士だという見方もあります。
私がこの本を読み出したのは、空海の戦略という話を、早稲田大学の松原教授に聞かせてもらったからです。

この本を読んでいて、ハッとした言葉がありました。

「詩は身心の行李を書きて、当時の憤気(ふんき)をのぶ。」
「古今時異なりと云ふと錐も、人の憤りを写(そそ)ぐ、何ぞ志を言はざらむ。」
あんまりよくわかりませんが、何だか最近の私の気持ちそのままのような気がしたのです。
心のうちの怒りと悶えを解放すること、それが「憤りを写ぐ」ということであると著者の山折さんは書いています。
そして、文を書くことは、「憤気」の解放、つまりカタルシスだというのです。

「書は散なり」という言葉もあるそうです。
中国の後漢時代の文人の言葉だそうです。
空海はその言葉を引用し、「書の極意は心鬱結する感情を万物に投入放散し、性情のおもむくままにして、そののちに文に書きあらわすべし」というようなことを書いているようです。

私のこの挽歌は、単に「憤気の解放」「鬱結する感情の放散」に留まっているような気がします。
もっとしっかりとその「憤気」に身を任せ、「そののちに文にあらわす」ならば、もう少しきちんとした挽歌になるのかもしれません。
まだ「書くための挽歌」であり、書いているときの自分の解放感のためのものでしかないとしたら、読んでくださっているみなさんには申し訳ない気がします。
いつか「読んでもらえる挽歌」が書けるような気がしていましたが、実は最近その自信がなくなってきているのです。
その理由が、この本を読んで少しわかったような気がします。

私は、この挽歌を書いているおかげで、そしてその挽歌を読んでいてくださる人がいることを感じているおかげで、自らの気を鎮めていられるのです。
心の中にしっかりした志(目的)があれば、その文は「述志」になります。
空海と私が、全く違うのは、志の有無でしょう。
空海であれば、愛する人との別れにどう対処したでしょうか。
「散としての挽歌」を書いたでしょうか。
それとも「志としての挽歌」を書いたでしょうか。
もし後者であるとすれば、人を愛することにおいては、私は空海を上回れたかもしれません。
まあ、上だ下だなどということには空海は無頓着だったでしょうが。

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■裁判員制度はやはり白紙にするべきではないでしょうか

新聞報道によれば、来年5月に始まる裁判員制度の候補者約30万人ののうち4割にあたる約12万人から、18日までに辞退を希望するなどの回答票が返送されたそうです。
たぶん辞退者はもっと増えるでしょう。
こういう反応があっても、まだ政府は裁判員制度を進めようとするのでしょうか。
4割の人が反対しているということの意味をきちんと受け止めて、考え直すべきではないかと思います。
定額給付金と同じで、国民の反対など意に介さないのであれば、裁判員制度の拠り所を自己否定することになります。
つまり裁判員制度の拠って立つ「国民参加」の根本が否定されているのですから。
いずれにしろ、裁判員制度の本質が少し見えてくるでしょう。
私の友人知人の弁護士もこの制度にかなり深く関わっていますが、彼らはいずれも誠実な人だけに、なおさら権力というものの持つ狡猾さを感じます。

ところで、昨日20日、裁判員制度に反対する団体が、都内で会見を開きましたが、そこに最高裁から通知を受け取った候補者3人が実名で反対や制度廃止を訴えたことがテレビなどで報道されています。
ネットの産経ニュースにはその3人のコメントが掲載されていました。

都内の男性会社員(65)は「(候補者が実名を公表することなどは)違反と知っていたが、素人が審理しても意味がない。反対の声を大きくしなければと(今回)参加した」と訴えた。候補者通知を開封せずに送り返したという千葉県の無職男性(65)は「死刑や無期懲役という重大事件を裁くことは心に傷を残す」、千葉県のコンサルタントの男性(63)は「職業によって参加が義務だったり、そうでなかったりするのはおかしい」などと語った。
テレビでは、「私は人を裁くことをしないことを信条にしている」という発言もありました。
いずれも、とても共感できます。

もし私も候補者になっていたら、辞退の返事を書くつもりでした。
裁判員制度を導入してしまえば、このブログでも何回も書いていますが、裁判制度は全く異質なものになるでしょう。
そもそも何のための裁判制度かわからなくなります。
専門職としての裁判員の責任感は一体どこに行ったのでしょうか。

友人から、どうして佐藤さんは裁判員制度に反対なのですか、と聞かれたことがあります。
しかし、そもそも私の頭の中には、そういう問題はありえません。
むしろ、なぜ裁判員制度が必要なのかと問いたいです。
問題の立て方を間違えてはなりません。

今の裁判制度に問題があることは認めますが、その問題を解決するために裁判員制度がどうつながるか私には全くわかりません。
個々の裁判を通して、裁判員を弾劾する仕組みとしての国民の監視機構や、それを適切にするための裁判の透明性の確保、さらに事件当事者の適正な参加を保証する仕組みなどを考えるべきだろうと思います。

私は、自分の生活に大きな影響を与える統治側の職務にある人たちを評価することはできますが(このブログでも批判しているのは、そうした職務にある人たちです)、統治されている人たち同士の、しかも自分の生活に直接繋がらない関係(事件)を裁く意味が理解できませんし、その自信や気力をもてません。
それに、もし私が被告になったとしても、制度に裁かれるのは受け入れられますが、人に裁かれるのは受け入れがたいと思います。

わずかでも自分が当事者になっている事件であれば、ぜひ参加したいですが、それでも「判決」は専門家に任せたいです。
それを崩せば、「ブレイブワン」のような、私刑制度につながっていくでしょう。
つまり社会が壊れていくということです。
それを目指すのであれば、それは別の話ですが。

■国民参加の裁判員制度
■裁判員制度よりも裁判の透明性の実現を
■裁判員制度の意味することの顕在化

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2008/12/20

■節子への挽歌475:みんな、どこか知らないところで気にしていてくれる人をもっている

節子
思ってもいなかった人から節子へのお供えをいただきました。
もう1年以上たってしまって、といいながら。
その人たちは、節子には会ったことのない人たちです。
でも、ライフリンクのメンバーといえば節子には通じるでしょう。

ライフリンクは自殺予防対策を目指して活動しているNPOです。
その立ち上げに、ささやかに協力させてもらいました。
節子も応援しており、代表の清水さんがテレビに出るといつも私に教えてくれました。
節子は「生命」の大切さを知っていましたから、この活動への関心も大きかったのでしょう。

先日、そのコアメンバーであるFさんとNさんから一緒に食事をしたいと連絡がありました。
NPOの活動をしている人たちから相談を受けることは多いので、何か相談があるのかと思っていたのですが、何か準備する必要があるかと思って、直前になって、「お会いする目的は何ですか」とメールしました。
Fさんから意外な返事が来ました。

大変遅くなりましたが、奥様がお亡くなりになり、お参りにもあがらないままでしたので、供養の気持ちを表したく、2人で考えておりました。
節子の症状がかなり厳しくなってきた頃、NPO関係の活動からもすべて手を引こうと考えました。
若い仲間が、私の卒業式に当たるフォーラムを開いてくれました。
全国のコムケア仲間に声をかけました。
急だったので心配していたのですが、全国から仲間が集まってくれました。
そのフォーラムに、お2人はライフリンクとして参加してくださったのです。
お2人は、ライフリンクの活動がここまで来ていることを報告する意味で、参加してくれたのだそうです。
その時は、私には精神的な余裕がありませんでしたので、そんなこととは全く思ってもいませんでした。
でもそう考えると、もしかすると山口のSさんも福井の茂さんも、大阪のMさんも、みんなそういう思いで参加してくださったのかもしれません。

私が取り組んでいるコムケア活動の基本は、表情のある人のつながりです。
「表情のある人のつながり」の大切さを教えてくれたのは節子です。
節子を見送った後、そのつながりに、私はどのくらい支えられたでしょうか。
それにしても、そのフォーラムで立ち話でしかお話していないお2人から、まさか節子の供養のお気持ちをいただくとは思ってもいませんでした。
おそらく私が少しずつ元気になってきたことを知って、声をかけてくださったのでしょう。

Fさんは大学の教授ですが、看護師でもあり、自殺の問題に早い時期から取り組まれており、さまざまなことをきっと身近に体験されているのでしょう。
Nさんは、ご主人を見送ったのが契機になって、ずっとライフリンクの活動に関わっています。
ですからお2人とも、愛する人を見送ることの意味を深く実感されているのです。
初めてであるにもかかわらず、2時間以上も話をさせてもらいました。

節子
私たちが知らないところで、こうやって私たちのことを気遣ってくれている人たちがいるのです。
それにしても、1年以上、気遣っていてくれたことがとてもうれしいです。

節子
人のつながりって、こういうことなのでしょうね。
これはきっと私たちだけのことではありません。
だれもがみんな、どこか知らないところで気にしていてくれる人をもっているのです。
それに気づけば、自殺などなくなるのではないかと、お2人と別れた後、思いました。
それに気づかせてくれたお2人にはとても感謝しています。

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■企業の反乱

最近の企業の凋落振りは驚くべきものがあります。
戦後最長の景気拡大が終わった」といわれだしたのは、ついちょっと前の今年の夏でした。
それが、あれよあれよといううちに、大企業が軒並み従業員解雇に取り組みだす状況です。
以前も書きましたが、最近の経済はまさに砂上の楼閣でしかありません。

企業もまた、人に支えられた組織ではなく、金に支えられた組織になっていますから、そうした経済の動きをもろに受けてしまいます。
企業をそうやって、金に売ってしまったのは、この15年の大企業経営者ですが、彼らにはその自覚はないでしょう。
鉄面皮にも従業員を解雇して乗り切ろうとしているのですから、良心のかけらさえも私には感じられません。
20年前に、13人の経営者をインタビューする機会がありましたが、その時にはまだ「経営者の心」を感じましたが、今はそう思える経営者は見当たりません。

それにしても、企業の財務構造がこれほど脆くなっているとは驚きです。
トヨタなども業績悪化を円高のせいにしていますが、しっかりしたエコノミストがいたら見通せたはずですし、しっかりした経営者がいたら、円高リスクを防ぐ手立てはあったはずです。
いずれも、いまの企業にはいなくなったのでしょう。
金のことしか頭にないアナリストたちに振り回されるだけでなく、自らの短視眼的な私欲に目がくらんで目先の浮利ばかりをおってきた結果ですが、その責任を自らは背負うことなく、従業員にしわ寄せしている姿はさびしいものがあります。
かつての経営者の「浮利を追わず」や「企業は人」という思想は忘れられてしまっています。

前にも書きましたが、経済などの複雑な要素が絡む事象には、本来、「突然」などと言うことはありえません。
カタストロフィーという現象はありますが、当然のことながら、予兆もあれば、回避策もあります。
高水準の黒字から赤字に一転するのは、「経営の不在」以外の何物でもありません。
責任を取るべきは、経営者であって、従業員ではありません。
いまこそ、改めて「経営とは何か」「企業とは何か」を考える時ではないかと思います。

経営とはいうまでもなく、その基本に「愛」がなければ成り立ちません。
経営とは愛」というのが、私の20年来の姿勢ですが、経営は同時にまた「不変の道理の実現」です。
その「不変の道理」が見失われているのです。

私の友人が、20年以上前から企業経営者に「経営道」を呼びかける活動をしています。
昨日、その話をある人にしたら、「その効果はあがっていますか」と質問されました。
残念ながらあがっていないとしか思えません。

企業は人間が発明した素晴らしい仕組みの一つです。
それは、金のための仕組みではなく、人のための仕組みなのです。
その企業がいまや人に対して「反乱」をしているような状況が生まれています。
いまこそ日本経団連や経済同友会は、経営の原点に返って、自らを問い直す必要があります。

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2008/12/19

■節子への挽歌474:「よかった」「よかった」

昨日に続けて、雪絵ちゃんの話です。

雪絵ちゃんは、どんな時も、「よかった」「よかった」と言うのだそうです。
山元さんはこう話しています。

たとえば、「私ね、今日、車ぶつけちゃったの」って言ったらね、雪絵ちゃんがね、「よかったね」って言うんです。それでね、私が「どうして?」って。
そのとき、私、車買ったばっかりのときだったのにね、バックしてね、自分の家の塀にばーんとぶつけちゃったんですね。本当にね、最初に運転をしたときだったから、雪絵ちゃんに「大ショック」って言ったら雪絵ちゃんが「よかったね」って。
「だって私、ぶつけちゃったんだよ」って言ったらね、雪絵ちゃんがね、
「かっこちゃんぴんぴんしてるじゃない。かっこちゃん、少しぶつけといた方がいいよ。そうしたら後ろ向いて、ちゃんとバックするようになるから」って。
「ありがとう」と「よかったね」。
自分の小賢しさと身勝手さが、これほどに思い知らされたことはそうありません。
こういう生き方は、私が目指してきた生き方です。
でも全くできていません。

「ありがとう」は、最近はかなり素直に思えるようになりました。
これは節子のおかげだと思っています。
節子は「ありがとう」の人でしたから。
でも「よかったね」は、まだ口だけのような気がします。
一応、「現実をベストと思う」のは、私の日頃の心がけでした。
かなり若い時からの基本姿勢でしたが、なかなかそう思えないことが多かったです。
そして、節子が居なくなってしまってからは、ますます「現実がベスト」など思えなくなってしまったのです。
節子が居ない今がベスト?
そんなバカな!

でも、雪絵ちゃんの話を知って、少し意識が変わりました。
もしかしたら、節子もまた、「よかったね」と言ってほしいかもしれません。
「よかった」と思わなければ、節子が救われないような気がしてきました。
節子はとても見事に生き抜きました。
だから悲しまないで、ほめてやらなければいけません。
節子
人をほめることが、こんなに悲しいことだとは思ってもいませんでした。

節子、ありがとう
そして「よかったね」

雪絵ちゃんは、2003年12月26日に亡くなりました。
山本さんは、ホームページにこう書いています。

けれど、雪絵ちゃんは亡くなってなお生き続けるのだと思います。
私はこれからもずっと雪絵ちゃんのことをお話しして、文章にもしていきたいです。
そうすることで、雪絵ちゃんはもっとたくさんの方に出会っていくことができるでしょう。
たくさんの方が、雪絵ちゃんに出会えるでしょうから。
ぜひホームページを読んでください。

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2008/12/18

■疲れる毎日

今週はどうもハードな話との出会いが多く、気が沈みがちです。
ブログもなかなか書けずにいます。

久しく会っていない友人を訪問しました。
経営が大変だというのです。
オフィスのあるビルの前に若い人が立っていて、ビルに入ろうとしている私を観察しているような雰囲気です。
あとで聞いたら、友人のオフィスの隣の会社の再建取立ての人なのだそうです。
隣の会社の社長は行方不明で、オフィスにはもう誰もいないようですが。
そうした人に会うのは初めてなのですが、一見する限り、その人も普通のビジネスマンです。
きっとその人の会社も、苦境に立たされているのでしょう。

彼の会社も仕事が急減し、今の社員の人件費をとても負担できなくなっているようです。
でも小さな会社なので、社員の顔を毎日見ていますので、とても解雇などとはいい出せないのだそうです。
大企業の経営者がいとも簡単に大量解雇発表するのとは大違いです。

そうかと思うと行政の景気浮揚策での無駄遣いの話もいろいろと入ってきます。
こんなにもらっていいのかと思うと言っている友人がいますが(まあ、額は知れていますが、きっと誰かがもっと大きな利益を得ているのでしょう)、別の友人に聴いたら、どうも全国的な話のようです。
景気浮揚のためのお金の使い方の仕組みがあまり効果的でないような気がします。

私が取り組んでいるコムケア活動の仲間の分野でもいろいろとあります。
孤独死や自殺の問題もあります。
DV問題もあれば、メンタルヘルスの問題もあります。
活動を再開したら、急にドッと問題が流れ込んできましたが、たぶんそれは時代状況のせいなのでしょう。
どの問題に、どこまで関わるか、悩ましい話です。
それに私自身にまつわる問題もそれなりにあるのです。

最近、ちょっと落ち込んでしまい、時評を書く気力が萎えています。
元気づけてくれる伴侶がいないので、なかなか元気が出てきません。
困ったものです。

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■節子への挽歌473:雪絵ちゃんの願い

節子
いつかこの挽歌に登場した郁代さんのお母さんの大浦さんが、山元加津子さんのことを教えてくれました。
山元加津子さんは、石川県加賀市の養護学校の先生です。
そこで出会った仲間たちのことをまとめた「本当のことだから」を、郁代さんは読んで励まされていたそうです。
その本が、「1/4の奇跡~本当のことだから~」という映画になり、いま各地で自主上映会が広がっているようです。
それに関しては、「たんぽぽの仲間達」に詳しく書いてあります。
来年の2月7日には、サントリーホールで講演会&コンサートも予定されています。

山元加津子さんは各地で講演もされていますが、そこで聴いた話を大浦さんは一部、伝えてきてくれました。
そこに「雪絵ちゃんの話」が出てきます。
雪絵ちゃんは、多発性硬化症という病気で、熱が出ると、目が見えなくなり、手や足が動かしにくくなるという病気だったそうです。

雪絵ちゃんは口癖のように
「私は病気であることを後悔しないよ」と言っていたそうです。
山元さんが、「どうして?」と聞くと、
「だってね、病気になったからこそ気がつけたことがいっぱいあるよ。
もし病気でなかったらその素敵なことに気がつけなかったと思う。
私は、気がついている自分が好きだから病気でよかった」
と雪絵ちゃんは言ったそうです。

その雪絵ちゃんが書いた「ありがとう」という文章があります。

私決めていることがあるの。
この目が物をうつさなくなったら目に、
そしてこの足が動かなくなったら、足に
「ありがとう」って言おうって決めているの。
今まで見えにくい目が一生懸命見よう、見ようとしてくれて、
私を喜ばせてくれたんだもん。
いっぱいいろんな物素敵な物見せてくれた。
夜の道も暗いのにがんばってくれた。
足もそう。
私のために信じられないほど歩いてくれた。
一緒にいっぱいいろんなところへ行った。
私を一日でも長く、喜ばせようとして目も足もがんばってくれた。
なのに、見えなくなったり、歩けなくなったとき
「なんでよー」なんて言ってはあんまりだと思う。
今まで弱い弱い目、足が、どれだけ私を強く強くしてくれたか。
だからちゃんと「ありがとう」って言うの。
大好きな目、足だからこんなに弱いけど大好きだから
「ありがとう。もういいよ。休もうね」って言ってあげるの。
たぶんだれよりもうーんと疲れていると思うので……。
「ありがとう。もういいよ。休もうね」
節子のことを思い出しました。

長くなるので、後半は明日にします。

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2008/12/17

■節子への挽歌472:台湾の呉金倉さん

節子
昨日、台湾の呉さんから電話がありました。
元気そうでした。
今年の初めに節子のことをメールで伝えたのですが、どう返信したらいいかわからずに、オフィスに電話したそうです。
しかし、オフィスの電話は最近外してしまっていたので、連絡がつかなかったようです。
私たち夫婦のことをよく知っているので、きっとどう対応していいかわからなくなってしまったのでしょう。
いかにも呉さんらしいです。
幸いに最近、昔の手紙が見つかり、そこにわが家の電話番号があったようです。
10年ほど前の手紙を読み直していますと電話の向こう側で言っていました。

もう15年ほど前になりますが、毎月、定期的に湯島のオフィスを開放し、留学生たちのたまり場に提供していました。
異国で友達もなく、一人でがんばっている若者たちの支えになれればと思って始めた活動でした。
その常連たちが、正月にわが家に来て、故国の料理を作ってくれたこともありました。
呉さんもやってきて、手料理を作ってくれました。
そうした活動も、節子がいなければ出来なかったことのひとつです。
節子はみんなから好かれていました。
3年くらい続けたでしょうか。
いま日本に残っている人もいますが、みんな忙しそうで、交流が途絶えてしまったのは残念です。

その集まりに、ほぼ毎回、来てくれていたのが呉さんです。
とてもおだやかで、やさしい若者でした。
その後、台湾に帰り、仕事を始めました。
私たちも会ったことのある人と結婚したのですが、突然、結婚式の招待状が届きました。
とても行きたかったのですが、ちょっと大きな集まりでの講演と重なっていたため、行けませんでした。
その後、節子の体調があまりよくなくなってしまい、呉さんからは毎年お誘いがあったのですが、結局、台湾訪問は実現しませんでした。
しかし、呉さんが来日した時に、一度だけわが家にも来てもらいましたので、節子も台湾で活躍しだしている呉さんとも会えました。

呉さんも、私の元気そうな声を聞いて安心したようです。
節子さんのためにも元気になって、また台湾にも来てくださいといわれました。
行きたいような、行きたくないような、複雑な気持ちです。
節子が元気だったら、故国に戻って活躍している若者たちのところを回れるはずだったのですが。

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2008/12/16

■空家率10%社会における「寝食の場」のない人の増加

企業が正規雇用者を含めて大幅な解雇を始めていることは、「企業とは何か」という問いを私たちに突きつけています。
今もなお、企業とは利益を稼ぎ出すマシンと考えている人も少なくないでしょうが、近代経営学を打ち立てた一人でもあるバーナードは、「人間が個人として達成できないことを、他の人々との協働によって達成しようとしたときに組織が生まれる」とし、組織の一般理論を構想しました。
この組織原理の上に立って取り組めば、事態の解決はそう難しいことではないような気がしますが、どうもそうはならないようです。

つい20年ほど前までは、まだこの考えは日本企業の経営の根底にあったように思います。
その発想が失われだしたのは、非常に皮肉なことに、メセナとかフィランソロピーとかがいわれ出した時期に重なっています。
企業の社会的責任論も、そのころから変質してきています。
いささかの「憤り」も込めて、私の記憶に鮮明に残っているのは、経団連の社会的責任を議論する場にゲストで呼ばれたので、この考えを話したところ、当の経団連の事務局の人が言下に否定したことです。
その瞬間に、経団連とその方の「本音」を感じました。
経団連の1%クラブもまた、企業の商品価値を高めるための「戦略」でしかなかったのです。
もちろん、そうした活動に取り組む担当者の姿勢は、それとは全く無縁に、誠実で真剣だったと思いますし、そうした動きが悪かったなどと言うつもりもありません。
しかし、すでにそうした活動の中に、いまの「企業の実態」の予兆があったということです。

私自身はかなり早い時期から、コーポレートシチズンシップやフィランソロピーに関心を持ち、企業の人たちに呼びかけて研究会などもやっていましたが、問題はそうした「活動」や「意識」ではなく、「企業パラダイム」そのものだと思っていました。
今にして思えば、企業の社会貢献活動もまた両刃の剣であり、結果的に企業は金融資本パラダイムへと向かってしまったわけです。

また余計なことを書いてしまいましたが、
今日、書こうと思っていたのは、日本における「住宅空家率」のことです。
日本の空家率は大体10%強で、上昇傾向にあるようです。
地域によって空家率もかなり違うでしょうが、都市部でもだいたい10%強の住居が空き家になっているようです。

解雇された従業員が、社宅や寮を追い出されるということが大きな問題になっています。
この問題も考えると、まさに「企業パラダイム」に繋がっている問題です。
つまり、戦後の高度経済成長の推進のために、自宅から引き剥がされて若者が集団就職によって都会の会社に入った際には、生活拠点と仕事がセットになっていたのです。
福祉政策としての、日本の土建業も同じ構造でした。
出稼ぎシステムは、「飯場」と「仕事場」がセットになっていたのです。
そうした「生活と仕事」をセットにすることは、経営にとって大きな意味をもっていますが、その後の経済の発展はそうした不条理な仕組みをなくしだしていました。
しかし、それがこの20年、反転しだしていたわけです。

その一方で、人口減少基調に変わったこともあり、空き家が増えているわけです。
「空いている住居」があり「住む住居のない人」がいる。
それをうまくマッチさせれば、お互いにウィンウィンの関係が実現します。
仕事がないのが問題と言う人もいますが、まずは「安心して住む場」の確保です。
人間の生活の基盤は「安心して寝食できる場」です。
それがあれば、ホームレスから脱却できる人もいますし、何よりも安心して仕事を探せます。
仕事を作るのは時間がかかりますが、空き家と人をマッチングすることは、仕組みさえうまくつくれればすぐにでもできるはずです。

もちろんそんなことはもうどこかでやっているのでしょう。
しかし、空家率10%という数字と歳末に向けて「寝食の場」のない人の増加が、気になって仕方がありません。

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■節子への挽歌471:「声がとても元気なのでうれしい」

節子
九州の蔵田さんが、電子レンジで焼き芋ができる「小国紅さつまいも」を送ってきてくれました。
一つずつプラスチック包装されていて、それをレンジすると焼き芋になるのです。
いかにも蔵田さんらしいと思って電話をしたら、阿蘇の小国町で見つけた「あそび心」を送らせてもらった、というのです。
蔵田さんは人を喜ばすのが大好きな人ですから、その気持ちはよくわかります。
節子さんにも食べてもらってくださいね、といわれました。
節子が元気だったらとても喜ぶでしょう。
蔵田さんは、ともかく元気にならないとダメだよと、いつもメッセージをくれるのです。
この「さつまいもセット」も、私を楽しい気分にさせるために探してくれたのです。
うれしい話です。
蔵田さんとは、昔、仕事関係でお付き合いさせてもらったのですが、仕事が終わった後も、こうして心遣いしてくれることがうれしくてなりません。
節子も、蔵田さんの明るさが大好きでしたが、お互いに夫婦一緒にお会いする機会がなかったのが、本当に残念です。
「声がとても元気なのでうれしい」と、最後に言ってくれました。

福岡の加野さんからは唐津の干物が届きました。
電話させてもらうと、とてもお元気そうな声が返ってきました。
加野さんはもう80代なのですが、とてもお元気です。
私たちと交流のあった娘さんのことを忘れないでいてほしいと、毎年、干物を送ってくださるのです。
娘さんを見送らなければいけなかった加野さんの辛さはどれほどのものだったでしょうか。
私がそれを知ったのは、節子を見送った後のことです。
愛する人と別れる辛さは、体験してみないとわかりません。
娘さんを亡くされた加野さんは、私の辛さがわかっていたので、その後、何かと気遣ってくれるのです。
加野さんも、最後に「声がとても元気なのでうれしい」と言いました。
期せずにして、お2人から同じことを言われたのです。

実は私も、お2人の声がとても元気に感じました。
元気になると、ほかの人の元気も伝わってきます。
私も最近、みんなの元気を感じられるようになってきたようです。

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2008/12/15

■なぜルボックスはアメリカでは販売されないのか

CWSコモンズのほうに書いたのですが
先週、メンタルヘルス総合研究所の久保田所長から、SSRIの話を聴きました。
SSRIは、Selective Serotonin Reuptake Inhibitorの略で、
そのまま訳すと「選択的セロトニン再取り込み阻害剤」になります。
要するに、抗うつ薬の一つで、薬としては、ルボックス、デプロメール、パキシル、ジェイゾロフトなどがあるそうです。
詳しくはネットで調べてください。

問題は、この薬には重大な副作用の疑いがあるということです。
念のためにいえば、その疑いが事実なのかどうかは、ここでは問いません。
私には全く評価能力がないからです。
それに、薬は当然、副作用を持っていますし、それは人によって全く個別に発現しますので、
素人の私が議論すべきテーマではありません。

ここで問題にするのは、次の点です。
1999年にアメリカのコロンバイン高校銃乱射事件の主犯者はSSRIの一つである、ルボックスを服用していました。
そしてその服用と銃乱射の因果関係が裁判で争われたのだそうです。
その裁判の結果、ルボックスの製造会社であるアメリカのソルベイ社は、2002年にルボックスの国内販売を止めたのだそうです。

私が疑問に思うのは、止めたのは「国内販売」だけという点です。
その後も輸出はされているようです。
日本では、アステラル製薬が今でもルボックスを販売しています。
ネットで調べても、ルボックスがアメリカで販売停止になっていることはわかりません。

アメリカの企業にとって、国内市場と海外市場は別物なのでしょうか。
薬品に限った話ではありませんが、この話題は以前からよくありました。
遺伝子操作したトウモロコシは海外輸出用などという類の話は決して少なくありません。
極端に言えば、アメリカには生活者が住み、海外には消費者が住んでいると考えているのではないかと思わせるような話です。

日本の厚生労働省は、こうした問題をどう考えているのでしょうか。
薬害事件の根幹に関わる問題ではないかと思います。
フィブリノゲン問題の時に比べて、厚生労働省が変わったと、どうも確信できません。

ホームページには書きましたが、12月4日の日経新聞には全面2頁にわたる、「仕事とメンタルヘルス2008シンポジウム」の広告特集がありました。
10月31日に開催されたシンポジウムの記録です。
タイトルは「正しい知識と適切な体制を構築 うつ病の理解促進」。
パネリストには医師や研究者、企業のメンタル担当者、厚生労働省の課長などが参加しています。

その広告主は、ソルベイ製薬、アステラス製薬、損保ジャパンです。
そのシンポジウムは、メンタルヘルスがテーマですから、もちろん上記のような問題は触れられていませんが、SSRIに関しては、とても好意的な紹介がなされています。

そこには薬学の専門家は一人もいません。
厚生労働省の人は、労働衛生課長ですからたぶん「労働省」系の人でしょう。
ここに、もしかしたら大きな落とし穴がありそうです。
つまり、製薬関係の人たちは、スポンサーサイドにしかいないわけです。
ちなみに、シンポジウムの内容は、日経ネットで公表されていますのでお読みください。

ネット検索をしていたら、薬害オンブズパーソン会議が、今年5月に、「抗うつ薬SSRIに関する要望書」を、厚生労働省、法務省、日本弁護士連合会へ提出していることを知りました。
そこで、「SSRIによる衝動性亢進(自殺・自傷行為・他害行為)と犯罪との関連および本剤による性機能障害の実態把握のための調査を行うこと」を要望しています。
それに対するソルベイ社などからの回答書も同会議のホームページに掲載されていますが、問題認識はすれ違っているようです。

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■節子への挽歌470:生きている以上、良いこともあれば悪いこともある

節子
昨日、新潟のSYさんが会いに来てくれました。
この2年の間に息子さんとお父さんを続けて亡くされたのです。
先日、新潟でお会いした時に少しだけ「心の内」を見せてくれていましたが、元気そうに振舞っていました。
しかし、ずっとどこかに気になるものがありました。
年内にもう一度会いたいと思っていたのですが、幸いに東京に来る機会があってお会いできたのです。

いつものように、つまりお互いに何もなかったように、いろいろと話をしましたが、帰り際に「もう落ちついた?」という言葉を契機に、お互いに真情を吐露することになりました。
元気そうにしていても、みんなどこかに発散させたい気持ちがあるのです。
私は、気持ちを発散させることの大切さを知っていますので、だれかれとなく話してしまいますが、ふつうはそうはしないでしょう。
話してもわかってもらえるはずもないし、わかったという人に限って、勘違いされてしまうことを体験しているために、こういう話はなかなか話せないのです。
しかし、そもそも「わかるはずがない」のです。
愛する人を失った悲しみは、人によって全く違うでしょうから。
ですから、わかったなどといわれるとなおさら寂しくなることもあるのです。

SYさんがしみじみと言いました。

生きている以上、変化していくのだから、良いこともあれば悪いこともある。
みんなそれぞれにそういうことを背負っているんですよね。
たしかにそうです。
子どもたちがまだ幼く、何の屈託もなく、私たち夫婦も元気で、世界がどんどん広がっている頃が、たぶんわが家の幸せの頂点だったのかもしれません。
そのころは、そんな意識など全くなく、幸せは大きくなる一方という気がしていました。
しかし、いろいろな形で悪いことも並行して大きくなっていたのです。
それが「終わり」のある「個人の人生」でしょう。
悪いことがあるから良いことがあり、良いことがあるから悪いことがある、のです。
それはわかっているのですが、生活を共にする人の人生がからんでくると、そう簡単には割り切れないのです。
「個人の人生」ではなく、「夫婦の人生」「家族の人生」になっているからでしょうか。
自分の不幸や自分の死は耐えられても、愛する人のそれは耐え難いものがあるのです。

そんなことを短い会話のうちに、SYさんと共有できました。
短い時間でしたが、お互いに思いを吐露できて、とてもよかったです。
辛さは外に発散しなければいけません。

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2008/12/14

■オバマのスピーチ

3人の友人から「オバマ演説集」のことを聴きました。
みんなとても感動したようです。
日本の首相とは大違いです。

言葉には人を奮い立たせるエネルギーがあります。
オバマのスピーチを聴いて涙した人は少なくないのでしょう。
なにしろ日本の若者でも、その演説集を読んだだけで感動するのですから。

たまたま今読んでいる本(「空海の企て」)の中に、「統治のための詩文の道」という章があります。
空海もまた、言葉の巧みな創り手・送り手だったようです。
考えてみれば、仏陀もキリストも、言葉で人の心を捉えたわけですから、言葉の持つ力は偉大です。
日本は「言霊の国」と言われてきましたが、本当にそうなのかと、最近疑問を持っています。
「言霊」は日本だけのものではなく、むしろ日本は「言霊」を殺してきた国ではないかと思います。
少なくとも最近は間違いなくそうです。

オバマのスピーチには「ステラテジー(戦略)」という言葉がほとんど使われていないそうです。
とても納得できます。

オバマの演説の草稿を書いているのは30代前半の2人の若者だそうです。
友人から聴いた話なので間違っているかもしれませんが、これもとても納得できます。
未来へのビジョンを熱く語れるのは、たぶん30代の特権でしょう。
40代になると、そろそろ現実に囚われだしてしまいます。
20代は、現実を知らなすぎます。
50代は私欲が強すぎますから、現実も未来も見えなくなっています。
60代以上は語るべき未来が絵空事でしかありません。

日本の政治にビジョンがないのは、30代が語るべき場がないからかも知れません。
オバマのスピーチのような演説を語れる政治家を、私たちはいつ持てるようになるのでしょうか。

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■節子への挽歌469:フェリー甲板での衝動

節子
島根県の隠岐の海士町に行ってきました。
いろんなことが海士町につながっていたので、行く気になったのです。
ある研究会のメンバーのTAさんと一緒に出かけました。
隠岐は遠いので、一人ではまだ行く元気は出てこなかったかもしれません。

朝、5時前に自宅を出ました。
米子空港から七類港に行き、そこからフェリーで3時間以上です。
TAさんが気遣ってくれて、特別室を予約してくれていたので、快適なベッドで横になっていたおかげで幸いに大事には至りませんでしたが、船酔い止めを飲んでいたにもかかわらず、少し危なかったです。

海士はとても刺激的でしたが、それ以上に、同行したTAさんとの会話が刺激的でした。
なにしろ、早朝の羽田から始まって翌日東京で別れるまで、まる2日間、ずっと議論をし続けていました。
これほどロングランで、2人で議論したことはもしかしたら始めてかもしれません。
そのおかげde
、2日間の旅行中、節子のことを思い出す空白の時間はあまりなかったのですが、2回ほど、少ししんみりと思い出すことがありました。

1回目は、後鳥羽上皇の住まい跡に立った時でした。
海士は後鳥羽上皇が流されたところなのです。
上皇の寂しさや孤独感が、なぜか節子のそれに感じられたのです。

もうひとつは、帰路のフェリーの甲板で、海を見下ろした時でした。
ある思いが全身を貫きました。
一緒にいたTAさんに、下の波を見ていると飛び込みたい衝動が出てくるね、と話しました。
若い彼は賛成してくれませんでしたが、飛び込みたくなるような衝動が足の下から全身を包み込んできたのです。
彼がいたおかげで、そしてその言葉を口に出せたおかげで、その瞬間的に湧き上がってきた衝動を抑えることができましたが、それは思ってもいないほどの衝動でした。
私の心身の中にある節子への思いは、実は何も変わっていないのだと気づきました。
生命体は本当に不思議な存在です。

フェリーはかなり大きいので、波間まで10メートルくらいありました。
かなり高速で走行していますので、波が泡立ちながら後ろに流れていく様子を見ていると、そこに吸い込まれそうな気分になってしまうのです。
人は簡単に死ねるのかもしれないと、ふと思ってしまいました。

帰宅すると東尋坊の茂さんからメールが来ていました。

派遣会社の「契約止め」により生活が苦しくなり、多くの人が東尋坊の岩場にたつため、その対応に四苦八苦しています。
そのことがすごくリアルに感じられます。

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2008/12/13

■節子への挽歌468:「やっと来ることができた人」と「まだ来られない人」

高崎のTYさんが友人と一緒に湯島に来てくれました。
会うなり、「やっと来ることができた」とTYさんは言いました。
TYさんは私よりも5歳上です。
そして私より3年ほど前に伴侶との別れを経験されました。

私が彼女と最初に出会ったのは、たぶん5年ほど前です。
ちょうど節子が手術をした少し後でした。
当時、TYさんも夫と一緒に闘病していたのです。
しかし、私は節子のことで頭がいっぱいで、たぶん彼女の状況をきちんと理解できないでいました。
しばらくして、彼女が主催したイベントに参加しました。
その直前に彼女が夫を見送ったことを知って驚きましたが、彼女はそのイベントを見事にやり遂げました。
その時の彼女の思いを、私は十分に理解することができていませんでした。
彼女の気持ちを知らされたのは、その数年後、節子を見送った時でした。
節子を見送った後、彼女からたくさんの元気付けをもらいましたが、
その言葉や文字の中に、彼女が体験し、今も抱えている悲しみや辛さに気が付いたのです。
「見た目」と「内部」は全く違うことを知りました。

TYさんを知ったのは、犯罪被害者にテディベアを送る彼女の活動計画に共感したのがきっかけです。
TYさんは、今もテディベアづくりをベースにさまざまなところに「元気」と「癒し」を送り込んでいます。
節子の病床にも、彼女が創ったデディベアがありました。

節子はTYさんには会ったことはありませんが、その活動は知っていました。
TYさんの書いた本も読んでいました。
読み終えた後、「すごい人ね」と一言、つぶやいたのを今も覚えています。

そのTYさんが、わざわざ高崎から新幹線で来てくれたのです。
帰り際に、彼女が言いました。
来ようと思っても来られなかった。
でももう大丈夫。
また来ます。

彼女は最愛の夫を看病し見送りました。
その衝撃は大きすぎて表情に出せないほどだったのです。
そして、最愛の妻を見送った私の姿が、ご自身のことと重なっていたのかもしれません。
だから高崎駅まで行けても、新幹線には乗れなかったのです。
とてもよくわかります。
私もしばらくの間、会いたいのに心身が拒絶して、会いにいけなかった人が少なくありませんでした。

愛する妹を見送ったSBさんから、会社を辞めることにしたとメールが来ました。
良かったら会いに来ませんかと、メールしました。
TYさんに会った日、SBさんから「まだ会いに行けない」と返信が来ました。

愛する者を見送ってしまうと、心身がなかなかうまく動かなくなるのです・
なんでもないようなことが、時に大きな壁になって、自分の前に立ちふさがってしまうようことが、やはり私にもあります。
そうしたことを一つひとつ超えながら、前に進んでいかねばいけません。

帰宅したTYさんから、
「肩の荷を下ろされた安堵感がすごく伝わってきました」
というメールが届きました。

節子
私も前に進んでいるようです。

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2008/12/12

■元気な町

島根県隠岐海士町。
いま話題の町のようです。
明日もテレビの、早朝のみのもんたの番組で取り上げられるそうです。

その海士町に来ています。
久しぶりに元気な町と町役場職員に出会い、元気をもらいました。
町長も魅力的な人で、久しぶりに町長らしい町長に会いました。
海士町に関するシンクロにシティの話は先に書きましたが、
出発の2日前に、私も以前出演していた朝日ニュースターの番組にも町長は出演したことがわかりました。
その司会をしている安藤さんもはるばる海士に取材に来たそうです。
町長をはじめ、昨日お会いした人たちの多くが彼女のことをよく覚えていました。
おかげで話もしやすくなりました。
シンクロ二シティはさらに広がっています。
ところが転居していた宮崎さんは行き違いで東京に出張していました。
実に皮肉です。
ところが、町長と話していたら、東京にいる宮崎さんから私に電話がかかってきました。
結局、宮崎さんには会えずじまいの海士訪問になりました。

海士の産業起こしは、新しい産業パラダイムを示唆しているように思います。
それはいつかここにも書くつもりですが、それ以上にうれしかったのは、市町村合併という愚策にのることなく、信念を通した町長の見識とその後の物語です。
財務的な危機を乗り越え、海士町の未来は開きつつあるように感じました。
いろいろなことが、ここでは好循環に回りだしているようです。
さまざまな立場の住民たちの間に、信頼関係が育ってきており、支えあいの関係が広がっているようにもお見受けしました。
海士に惚れて転居した人たちも、この数年で100世帯を超えているそうです。
そこにも大きな希望を感じます。

書きたいことがたくさんありますが、また徐々に描いていこうと思います。
市町村合併に背を向けて、自立しようとしている町村が、まだあることを多くの人に知ってほしいです。
平成の市町村大合併の愚は、10年もしたら明確になるでしょう。

企業にしろ自治体にしろ、合併して大きくなる愚策から、そろそろ抜け出ないと私たちの未来はないでしょう。
企業も同じかもしれません。

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2008/12/11

■節子への挽歌467:世界が変わったのか、自分が変わったのか

ブレイブワンシリーズの初回(挽歌443)に、

失ったのは自分ではなく、周りの世界なのですが、当初は、その違いに気づけません。
しかし両者は全く違うものです。
と書きました。

変わったのは自分ではなく、周りの世界だということですが、これは考えてみれば当然のことです。
節子がいなくなった世界は、私にとってはそれまでとは全く違った世界であることはいうまでもありません。
いなくなってから気づいたことですが、私にとって世界の半分は節子だったといえるほど、節子の存在は大きかったのです。

しかし、エリカもそうでしたが、愛する者を失うと、自分の人生が音を出して壊れてしまうのです。
まさに「自分を失ってしまう」という感じです。
世界に関しては、いつか書きましたが、節子がいなくなったのに何で以前と同じように動いているのだと、むしろ変化しないことに怒りさえ感ずるのです。
まあ、自分勝手な話です。

ぞんなわけで、世界が変わったのにもかかわらず、自分が変わってしまった、自分の人生も終わってしまった、そんな気になってしまうのです。
意識し思考する自分さえがいないような奇妙な気持ちにさえなることもあります。

しかし少し立ち止まって考えれば、変わってしまった世界との付き合い方がわからずに、おろおろしている自分に気づくはずです。
変わったのは自分ではない、世界なのだと。

それでも悩ましい問題があります。
それにしても、愛するもの、私の場合は節子ですが、それがどこにいるのか、と考え出してしまうのです。
彼岸に行ってしまったということはわかっているのですが、2人で創りあげてきた世界の中に節子がいないはずがない、という奇妙な確信が心身のどこかに消えずにあります。
存在しない節子の存在を否定できない何かが、心のどこかに残っています。
つまり、世界は変わっていないと思い続けたいのです。
そうした心の帳尻をどこでつければいいのかは、悩ましい問題です。

こう書いてきて、今気づきました。
自分と世界を分けて考えているから、こうした悩ましい問題が生じるのかもしれません。
私の世界には、私が包括されています。
ですから、変化するもしないも、私と世界は同調しているはずですね。
変わったのは、私であり世界である。
そうであれば、私も世界も変わっていないともいえそうです。

ややこしくなってきましたが、何だかますます引きずり込まれそうです。
でもこれ以上、読者の方にお付き合いいただくのは気が引けます。
もう少しまとまったらまた書くことにし、「ブレイブワン」ものはもう終わりにします。

このブレイブワンシリーズでは、よくわからないことを長々と書いてきてしまいました。
すみません。
いろいろと考えさせられたのですが、消化不良なのです。
肝心のことが書けていないような気がするのですが、これ以上書くと読者がいなくなりそうなので、今回でやめます。
付き合ってくださった方には感謝しなければいけません。
ありがとうございました。

たぶん節子は付き合ってくれていないでしょう。
もっとシンプルに考えなさいと笑っている彼女の顔が目に浮かびます。
いやはや。

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2008/12/10

■節子への挽歌466:心身から発するもの

まだ「ブレイブワン」シリーズは続くのですが、今日は少し寄り道をします。
6日に日本構想学会の集まりがありました。
いろいろな分野と世代の集まる、議論の場です。
そこでの議論のいくつかは、CWSコモンズの週間報告に書きました。

そこで、1年ぶりに会ったメンバーたちから「佐藤さんが元気になってよかった」といわれました。
これも何回か書いていますが、そういわれるのは、1年前がかなりひどかったということです。
そんなにひどかった? と訊くと、そうだったといいます。
私の意識では、人に会った時は元気になっているはずですので、そう感ずるのは相手の気持ちがそう見えさせるのだろうと確信していました。
今もそう思っています。
しかしどうもそればかりではないようです。
きっと私の心身から発するものが違っていたのでしょう。

婚約者を殺害されたエリカは、元気そうに振舞いながらも、人の目線を気にしない時は、壊れた生命体を思わせるほどです。
婚約者の墓の前で、「また戻れるか、答えてよ」と問いかける時のエリカの姿は、とてもジョディー・フォスターの演技だとは思えないほど、生々しいです。
もしかしたら、1年前の私は、それに似た姿だったのかもしれません。

だとしたら、周りの人から元気を吸い取っていたのかもしれません。
これまでは、「元気になったね」という指摘に反発を感じていましたが、
素直にそれを受け入れることにしようと思い出しました。
外観は取り繕えても、心身から発する生命力はごまかしようがないのですね。
そうなると、やはり「半身を殺がれていた」というのは事実かもしれません。

ややこしくなりましたが、いずれにしろ、元気になってきていることを喜びたいと思います。
しかし、まわりから元気を吸い取る何かが、まだ私には付きまとっているのでしょうね。
いつになったら、「私の元気」が話題にならなくなるのでしょうか。
早くそうなるように、取り繕う元気ではない元気を高めていこうと思います。

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2008/12/09

■節子への挽歌465:「人は何かを失う度に、新しい何かを得る」

また「ブレイブワン」シリーズです。
このシリーズは、ややこしいのと退屈なのが欠点です。
しかも、私の素直な考えの変化の書きなぐりですので、論旨に乱れもあります。
お許しください。

エリカが得たのは、「新しい自分」だけではなかったでしょう。
「永遠のデイビッド」(デイビッドはエリカの愛する婚約者でした)も得たのです。
映画が終わって、それを感じました。
新しい人生の始まりと言ってもいいでしょう。

私は、抱きしめることのできる節子を失いました。
しかし、決して愛し合うことの終わらない「永遠の節子」を得ました。
それがどれほど「あたたかな気持ち」になれることか、たぶん体験した人でないとわからないでしょう。
もちろん、その「あたたかさ」は、涙を抑えきれないほどの「さびしさ」と同居しているのですが、時に訪れる至福の瞬間があるのです。
いつかそのことを言葉にできればいいのですが、まだ言葉にはできません。
体験したのもまだ2回だけです。

ところで、「人は愛する何かを失う度に、自分の一部を失う」というエリカの言葉は、
「愛する何か」と「愛する自分」が一体化していることを示唆しています。
つまり、「愛する何か」への変わることのない「愛」への気づきを起こします。
それは新しい気づきであり、新しい「愛」との出会いです。
そうであれば、「人は何かを失う度に、新しい何かを得る」といってもいいわけです。

人を支えているのは、やはり「愛」なのではないか。
昔からずっと頭だけで考えていた、その考えが、最近、実感できるようになりました。
愛の対象は「伴侶」とは限りません。
親の場合もあれば子どもの場合もある。
妹の場合もあれば、友人の場合もあるでしょう。
自分への愛もあるかもしれない。
いや、人に限った話ではありません。
なかには「お金」と言う人もいるかもしれません。
形のないものの場合もあるでしょう。
誇りや夢、あるいは信念。
愛の対象はさまざまです。

事件前のエリカは、「人は愛する何かを失う度に、自分の一部を失う」と考えていました。
「愛する人」を失った直後のエリカは、「自分を失ってしまった」と考えていたように思います。
私もまさにそうでした。
しかし、「愛する人」を失うことはあっても、「愛」を失うことはないのです。
「愛するもの」と「愛」とは、違うのです。
「愛」は、自分と愛する人との間にあるのです。
最近、ようやくそのことに気づきだしました。

時評編に書いたように、この映画は、観る人にエリカの行動を「許しますか」と問いかけていますが、私の関心は、「戻れますか」にあります。
その答えは、いまは明確です。
「戻れます」
そして、エリカは「戻った」のです。

人は、愛する何かを失うと全く別人になるのかもしれません。
しかし、その「愛」の深さに気づけば、人はまた戻れるのです。
しかも、愛する人と一体になって。
人を支えているのは「愛」なのです。

何回も言いますが、節子は私にとって最高の伴侶でした。
会えないことは、言い表せないほど、悲しいですが、
でも、「永遠の節子」を得たのですから、喜ばなければいけません。
節子、きみも彼岸で喜んでいてくれますか。

最近、少しは「男前」に生きようかと思い出しています。
まあ、daxさんのようにはいきませんが。

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■責任放棄の時代

日本経団連の御手洗会長(キヤノン会長)が昨日の記者会見で、

国内の大手メーカーで非正規従業員の削減が相次いでいることについて「景気の急激な落ち込みで各社は減産に追い込まれ、苦渋の選択で雇用調整を行っている。やむを得ない事情がある」と述べ、理解を求めた。そのうえで「景気を回復させることが大事だ」と語り、雇用環境の改善には政府による早期の景気対策が不可欠だと強調した
と新聞で報じています(毎日新聞)。

この10年の政治の基調にあるのは「責任放棄」でしたが、経済界も「責任放棄の時代」に入ったようです。
経済界の誇りはどこに行ったのでしょうか。

利益が減少すれば雇用を切って、組織を守るという哲学は、1995年に当時の日経連が打ち出した「新時代の日本的経営」から推進されだしました。
アメリカからの圧力があったとしても、日本の財界も誰一人、異を唱えませんでした。
そこから労働者の権利が壊されていく方向に動き出したわけです。
キャノンの御手洗さんやトヨタの奥田さんは、その当時の財界のリーダーでした。
私は、彼らが日本の経済を最終的に壊した張本人だと思っていますが、そのツケを今受けているわけです。
しかし、彼らは、今なおしゃあしゃあと、「やむを得ない事情がある」と弁解し、「雇用環境の改善には政府による早期の景気対策が不可欠だ」と述べているわけです。
この人たちは、恥と言うものをしらないのでしょうか。
経済界のリーダーが、政府の責任にしているわけです。
その点においては、厚顔無恥な麻生さんと同じ仲間です。

これは日本だけの話ではありません。
アメリカでは、自動車メーカー3社の経営者がそろって、政府に「お助け」を哀願しているわけです。
何という恥知らずか。
麻生さんばかりを笑っていられません。
世界中が責任放棄の時代になっているのです。

そもそも企業のコンプライアンス論議は、そうした責任放棄の時代への対策として議論されだしたわけですが、現実的には逆にそれが責任放棄あるいは責任回避の仕組みになりだしています。
ちょっと考えれば、いたるところで責任放棄の動きが加速しているのに気づくでしょう。
責任放棄は生活面にも広がっています。

それにしても、大企業経営者による、あくどい派遣切りは、触れ込み詐欺以上に悪質です。
40年前までの日本には、そんな卑劣な発想はありませんでした。
経営者の最大の誇りは雇用を守ることでした。
困った時は従業員も一丸になってがんばりました。
そうした信頼関係が日本の経済を発展させてきたのです。
御手洗さんや奥田さんは、その文化を壊しました。
おそらく彼らは「経営」というものを知らないのでしょう。
能力以上の役割を与えられてしまったのでしょう。

ところで、派遣切りは決して企業を守ることにはならないでしょう。
トヨタやキャノンの時代は終わりました。
いや、人間を忘れてしまった大企業の時代は終わったのです。
IBMももはや先はないと思います。
あと10年持つでしょうか。

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2008/12/08

■私的復讐を許せるか

「ブレイブワン」が突きつけている問いかけも 少し考えてみたくなりました。
エリカは、恋人を殺した犯人を警察に逮捕させ、裁判で処罰する方法を選びませんでした。
警察に嘘を言ってまで、自らの手で処罰しようとしました。
エリカの心情を知った刑事も、最後にエリカに加担してしまいます。
そして、エリカの私的復讐は成就しました。
この映画は観客に、そうした私的復讐を許しますか、と問いかけてきます。

おそらくこの映画を観た人のほとんどが、この結末でホッとしたでしょう。
アメリカでは議論が盛り上がったということですが、論理はともかく、感情的には、多くの人はエリカと刑事に拍手を送るはずです。
それが自らを守る本能を持っている生命体としての素直な反応だと思います。

加害者を裁く権利を放棄することによって近代国家は成立しました。
私自身は、そこに大きな問題があると考えています。
生命体としての素直な感情にはそぐわないからです。
ビオス的な立場からは肯定してしまいますが、いざ自分が被害者になったら、その解決を国家にゆだねられるかどうか。
もし、その国家が、そして司法が信頼できるものであれば、状況は少しは違うかもしれませんが、少なくとも今の日本の国家や司法界には任せたくない気もします。
もし私が天涯孤独の存在であったら、エリカと同じ方法を選ぶかもしれません。
そしてきっとムルソーのように、死刑を選ぶでしょう。

議論を飛躍させます。
いま始まろうとしている「裁判員制度」の、裁判員に「事件の被害者」を含ませるのはどうでしょうか。
事件の当事者は客観的な判断ができないという理由で、そんなことは論外だとみんな考えるでしょうが、なぜ「客観的な判断」でなければいけないのでしょうか。
いや、そもそも「客観的な判断」などというのがあるのでしょうか。
そこに「制度化」の罠を感じます。
裁く側に被害者がいてこそ初めて、秩序維持のための無機質な裁判を克服できるという論理も成り立ちます。
もちろん、裁かれる側の弁護に、加害者自身がいてもいいでしょう。
要は、人を裁く権利は他人にはないというのが、私の考えです。
ですから、近代の第三者による裁判とは違った裁判制度もあるはずです。

さて肝心の、この映画の問いかけへの回答です。
私は、この事件に関しては「許したい」です。
しかし、これを許したら、際限なく私刑が広がるでしょう。
現実の事件は、映画ほど単純ではないからです。
ですから、結論的には「許さない」が、私の答えです。

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■節子への挽歌464:「私に言えるのはあなたが私の人生に必要だということ」

「ブレイブワン」シリーズその2です。

今回は理屈っぽい話はやめて、映画の最後のエリカの語りを紹介します。

もう戻れない
昔の自分にも
あの場所にも
自分の中の見知らぬ他人
それが今の自分のすがた

私に言えるのは
あなたが私の人生に必要だということ
星が光を失っても
あなたが明るく輝き続ける

エリカは、新しい自分に出会いました。
エリカは復讐を成し遂げることで、前に進めたのだろうと思います。
しかし、復讐すべき相手が、自分だったらどうなるのか。
私はエリカとは違う状況にいますから、エリカのようにはいきません。
節子を失ったことを、誰かのせいにはできないのです。
不謹慎な言い方ですが、復讐できたエリカがうらやましくもあります。

それはともかく、事件を決着させた後も、エリカはこう言います。
私に言えるのは
あなたが私の人生に必要だということ

新しい自分にエリカが出会えたことに、実はいささかの違和感を持っていましたが、
最後にこの語りが出てきたので、とても救われた気持ちがしました。

新しい自分とは、過去と切り離された自分ではありません。
昨日書いたように、壊れてしまった自分がまた一つになって生まれた自分なのです。
そこに、愛する者がしっかりと組み込まれている。
そんな感じを、最近強く持てるようになりました。
手塚治虫が「火の鳥」で繰り返し描いたような、愛する者と一つになり、それがさらに広がっていくような感覚です。

先日、帰宅途中の夜空に「笑顔」を見つけました。
私には初めての光景で、目を疑いました。
三日月の上に、水星と火星が並んで輝いていて、笑顔のように見えました。
これまで見たことのなかった組み合わせでしたので、夢をみているような気がしました。
出かける前に、「ブレイブワン」のエリカの語りを繰り返し聴いていた日だったので、
節子が私に送ってくれたメッセージだと思いました。
つまり、私だけに見えたのだと思っていました。
しかし、夜のニュースで、誰にも見えて風景だったことを知りました。
ちょっとがっかりしましたが、そこに私と節子が見えたのは私だけでしょう。
節子のおかげで、見えない世界がいろいろと見えるようになってきています。

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2008/12/07

■「人は愛する何かを失う度に、自分の一部を失う」〔時評編〕

挽歌編に同じタイトルの記事を書きました。
それに絡ませながら、社会時評編を書くことにしました。

こちらの話題は、最近発生した元厚生次官連続襲撃事件の犯人の動機です。
犯人は、子どものころ、飼い犬を殺された復讐だと弁明しています。
後付けの理由だという人もいますし、そんなことで30年近くたってから人を襲うかという人もいます。
私もそう思っていました。
そんな理由が納得できるわけがないからです。
しかし、挽歌編で「ブレイブワン」のエリカのことを書いているうちに、この事件の犯人の顔を思い出しました。
もしかしたら、彼の言っていることは本当かもしれない。

この事件は悲劇ですが、社会的な意義はないと思っています。
テロなどではありませんし、そこから大きな教訓も得られない、特異な事件です。
マスコミは盛んに取り上げますが、追随者を生み出す恐れのほうを危惧します。
事故的事件として、犯人も無視すべきではないかと思います。
最近のマスコミは、こうした事件に関して、詳細な経緯や犯人の過去を報道することが多いですが、そうした姿勢には疑問を感じます。
あまり意味のないものに過剰な意味を与えるのは危険です。

しかし、そう思いながらも、愛する飼い犬を失ったことが、彼の人生を大きく変えてしまったということが、とても気になりだしました。
人の生き方には、常に「危うさ」が付きまとっています。
ちょっとした事件が、人生を大きく変えていくのです。
バタフライ効果を体験した人は決して少なくないでしょう。
ですからこの事件の犯人の言っていることも、事実と思うべきではないかと思いだしました。

エリカの他に、もう一人思い出した人がいます。
カミユの「異邦人」の主人公ムルソーです。
ムルソーもまた、愛するママン(母親)を亡くします。
それが彼の人生を一変させます。
それも極めて特殊な方向へと人生を変えていくわけです。
彼は殺人事件を起こし、自らも死刑になります。
彼がそうなったのは、なぜでしょうか
もしかしたら、彼を素直に受け入れる人がいなかったからです。
そこで、今回の事件の犯人と重なってきてしまいます。

エリカもムルソーも、今回の事件の犯人も、みんな「愛する何か」を失いました。
その時に、その衝撃をわかってくれた人がいたかどうか。
そうした衝撃を緩和してくれる仕組みが、どうも社会からなくなりつつあるのかもしれません。
そこをこそ、考えたい気がします。

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■節子への挽歌463:「人は愛する何かを失う度に、自分の一部を失う」〔挽歌編〕

タイトルの言葉は、映画「ブレイブワン」の主人公、エリカ・ベインの言葉です。
彼女はラジオの「ストリート・ウォーカー」という番組でパーソナリティをしているのですが、映画の冒頭、彼女がその番組で語った言葉です。
その直後、彼女は夜のニューヨークを恋人と一緒に散歩中、暴漢たちに襲われ、恋人は生命を落とします。
彼女自身は奇跡的に生還するのですが、まあ、その後の展開はチャールス・ブロンソンの「狼よさらば」のような話です。
要するに私的な復讐劇ですが、「狼よさらば」から始まるポール・カージーものに比べるとリアリティがあります。
この映画が公開された時のメッセージは、「許せますか?」でした。
これは、難しい問題です。

挽歌編ですので、ここではそういう話ではなく、タイトルの言葉に戻ります。
恋人を失ったエリカは、たぶんこの言葉の間違いに気づいたでしょう。
「愛する何かを失う度に、自分の一部を失う」というのは、論理の世界です。
しかし、エリカがそうであったように、実際には、失うのは「一部」などではありません。

以前、私も「自らの半分」を失ったようだと書きましたが、それも不正確でした。
失うのは、自分の一部でも半分でもありません。
すべてです。
すべてが変わってしまう。
正確に言えば、失ったのは自分ではなく、周りの世界なのですが、
失った当初は、その違いに気づけません。
しかし両者は全く違うものです。
最近、やっとそれがわかってきました。

エリカの話に戻します。
事件後の番組で、彼女はこう語ります。

その衝撃はあまりに大きすぎて
何も感じられない。
自分の中の他人
その他人は同じ腕を
同じ脚を、同じ目をもつ 
おそらく、「一部」ではなく「すべて」を失ったエリカは、犯人への復讐だけにすべてをかけていきます。
その新たな思いだけが彼女を存在させ続けるわけです。
そして、エリカはこう続けます。
かつての自分に問いかける
昔に戻れる?
「かつての自分」、そして「自分の中の他人」
この感覚もすごくよくわかります。
しかし、その2人を見ている、「もう一人の自分」もいるわけです。
愛する人を失った人は、こういう複雑な状況にいるわけです。
言い方を替えると、「自分」が壊れてしまっているのです。

「ブレイブワン」は、先週、テレビで放映されたので録画して観たのですが、
エリカの「語り」がとても気になって、その部分を何回も観てしまいました。
そこからさまざまなことを考えさせられました。
少し「ブレイブワン」シリーズを続けます。

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2008/12/06

■「お金がなくても暮らせる生き方」を目指して宝くじを買う中途半端さ

ある集まりで、「お金がなくても暮らせる生き方を目指したい」と言ったら、ある人からうらやましがられました。
「目指したい」というくらいですから、今の私はそうではないのですが、彼はとても感心してくれました。
このブログでも、「お金」関係の記事は少なくありません。
たとえば、次のようなのがあります。

■お金はあったほうがいいのか 08/09/25
■「お金がないと生きていけない」と「お金がなくても生きていける」とどちらが「たわごと」だと思いますか08/09/23
■支え合いの文化があればお金などなくても生きられるはず 08/09/21
■お金を基準にした社会から抜け出せないものでしょうか 08/07/24
■お金がなければ活動ができないNPO 08/04/06
■お金で豊かさを買うのではなく、豊かさでお金を買う社会 2007/02/28
■お金と幸せの反比例 2006/10/12
■つながりを壊すお金とつながりを育てるお金 2006/06/14
■お金がお金を生み出すことへの疑義  2005.07.07
■お金がお金を生む経済の不思議さ  2004.12.22

何回も同じようなことを書いているのですが、それだけ私が「お金」にこだわっていることを物語っているのかもしれません。
なかなか「お金」からは抜けでられません。

実は今回もついふらふらと「宝くじ」を買ってしまいました。
今年は年初に買った宝くじが3000円当たりました。
ですから、もしかしたら年末には3億円が当たるかもしれません。
「お金がなくても暮らせる生き方」を目指す人間としては、許しがたい行為です。
でも3億円あれば、周りの人たちにいろいろと役立てることも事実です。
言行不一致ではないかと怒られそうですが、そこがまだ悟りきれていない者の弱さなのです。
困ったものです。

宝くじが当たったら、私の生き方はどう変るでしょうか。
それにとても興味があります。
やはり当たらない方がいいでしょうか。
しかし、3億円当たれば、たぶんお金のことなど気にせずに、気になっているに取り組むことができるようになるでしょう。
そういう暮らし方と、私が目指している「お金がなくても暮らせる生き方」とはどこが違うのでしょうか。

さてどちらを選ぶべきでしょうか。
宝くじを焼却すべきか、もう1組追加で買うか。
悩み多き凡人としては悩みます。

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■節子への挽歌462:これまでに取り組んできた活動の資料を捨てることにしました

節子
漸く部屋の片づけを開始しました。
もっとも、節子のものにいく前に、まずは私の関係の片づけから始めました。
節子がいなくなってから、私自身の周辺の片付けさえもあまりやっていないのです。
時々取り組みましたが、いつも途中でやめてしまいました。
私の書類関係などは、節子が病気になって以来、あまり整理せずにいますから、かなりの量の書類が山積みになっています。
いつか取り組みたいと思って、準備のために集めていた資料や書籍も少なくありません。
しかし、今回は思い切ることにしました。
たぶんもう新しいテーマに取り組むことは難しいでしょう。
節子がいない今、新しいテーマに取り組む意味もありません。
全く論理的ではないのですが、そんな気もします。

私のこれまでの活動の多くは、情報面では節子とシェアできていました。
いろいろな取り組みについて、相談するでもなく話をする相手が節子だったからです。
節子は、私の仕事に関して、とても関心を持ってくれました。
そして、私とは全く違う側面から、そして次元から、アドバイスしてくれました。
それが私にどれほどの力を与えてくれたかは、計り知れません。
ですから仕事関係の資料を見ると、取り組んでいた頃の節子のことが思い出されるのです。

いずれも思いのあるものだけに、簡単には捨てる気にはなれません。
それで内容を見ながら捨てているのですが、いつもはその途中で捨てきれなくなります。
しかし今回は原則としてすべてを捨てる決意で取り組んでいます。

「無所有」の著者の法頂の最新作「すべてを捨てて去る」にこんな文章があります。

英語で私有を意味する private という言葉は「奪う」という意味のラテン語 privare に由来する

私有とは奪うことというのは、よくわかります。
他の人の利用を排除するわけですから。
しかし、結局は自分からも奪っていると、法頂はいうのです。
そして、「私たちが何かに強く執着するとき、それが自分自身を縛る鎖になることは経験を通して誰もが知っている」と書いています。

資料を捨てることは過去を捨てることかもしれません。
しかし、節子との思いは捨てないように、しっかりと心身に刻み込んでおこうと思っています。
「すべてを捨てる」には、まだほど遠いです。

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2008/12/05

■節子への挽歌461:シンクロニシティと海士町

節子
最近よくシンクロニシティを体験します。
3年前に自宅を火災で失った友人の話を娘としていたら、その友人から突然の電話で、やっと問題が解決し、建て直すので地鎮祭に来ないかといわれました。
先日大阪に行った時に会おうかと思いながらも連絡しなかった友人から、帰宅した翌日、なぜかラフランスが届きました。彼から贈ってもらう理由はないはずなのですが。
こうした、私の心のうちが伝わっているようなことが時々集中的に起こるのです。
最近またそういう状況が続いています。

驚異的なのは隠岐の海士町の話です。
どうも海士町から呼び寄せられているのです。
ホームページの方に書きましたが、細胞を生かしたまま生体を氷結させる技術を、私が住んでいる我孫子にあるアビーという企業が開発しました。
ある研究会でそれが話題になり、その研究所に取材に行きました。
自宅の近くだったので、私も同行しました。
その技術を活用してまちおこしをしているところがあると聞きました。
島根県隠岐の海士町だそうです。
その話を聞くまで、私は海士町の名前も知りませんでした。
その数日後、友人から海士町に転居するというメールが届きました。
学校と地域の融合教育研究会を立ち上げた宮崎さんです。
驚きました。
先週、大阪に行って住友生命社会福祉事業団に寄りました。
昨年から地域医療貢献奨励賞というのをスタートさせたそうです。
その第1回受賞の一人が、海士町の榊原医師でした。
こう続けて海士町関係の話が出てくると奇妙な気分になります。
そんな話を友人の宮部さんに話したら、海士町の人に先日会ってお茶を購入したというのです。
NPOだんだんさくらの家の「福来茶」です。
これはきっと海士町が私を呼んでいるに違いありません。
研究会の調査も兼ねて、海士町に行くことにしました。

実は15年ほど前の話ですが、花巻から呼ばれたことがあります。
今回と同じように、花巻の関する話が次々に飛び込んできました。
かなり不思議な話も含めてです。
もしかしたら私の前世の秘密が解き明かされるような話までありました。
しかも突然、花巻と縁もゆかりもないはずの友人が花巻に転居すると長電話をかけてきました。
その時もとても不思議な気持ちになりましたが、前世への関心はなかったため、花巻に行きませんでした。
いまはそれを少し悔いています。
その時、花巻に入っていれば、人生が変わっていたかもしれません。
節子との別れも避けられたかもしれないのです。

ユングは、さまざまな出来事の生起は因果律によってだけ起こるわけではないと考えました。
そうした「非因果的連関の原理」をシンクロニシティと名づけました。
日本語では「共時性」とか「意味ある偶然」などと訳されます。
必然的な偶然という言い方もあります。
集合的無意識の世界を想定したユングにとっては、すべてはつながっているのです。

物事の生起に関しては、因果律やシンクロニシティの他にも、縁起という捉え方もありますが、ボームのホログラフィモデルを使えば、それらは繋がってくるようにも思います。
明在系の世界の背後に、時空間のない暗在系の世界があると考えれば、偶然とか必然とかはもちろん、そもそも物事の生起さえもが意味を失います。
彼岸と此岸とを揺れ動いている最近の私にとっては、こうしたことが違和感なく腑に落ちてくるようになりました。
時には、節子の配慮かと思うことさえあります。

花巻の失敗は繰り返さないように、今回は海士町に行こうと思っています。

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■「女性活用」という罠

一昨日の挽歌に書きましたが、月命日なのについつい出かけてしまった集まりは、女性活用をテーマにした委員会でした。
その様子はまたCWSコモンズのほうに書きますが、各社の事例発表を聞いていて、いささかの懸念を感じましたので、それを書いておこうと思います。
こんなことを書くと委員会から外されそうですが。
それに、CWSコモンズでは何回も書いてきていますし、いささかしつこい話ではあるのですが。

企業に限りませんが、「女性の活用」が大流行です。
「男女共同参画社会」も違和感がありましたが、「女性の活用」にも違和感があります。
だれが活用するの?と思ってしまいます。

「男女共同参画社会」の時には、参画していないのは「男性」だろうなどと、私は考えていましたが、これは「女性の社会進出」と同じで、どこに立脚して発想するかの問題です。
「女性の活用」は、男性が女性をもっと活用してやろうというふうに聞こえてきます。
とりわけ企業における「男性活用」論をきいていると、そうしたことを感じます。

一昨日の会では、企業の「先進事例」を3社から聞きました。
いずれの企業もみんな「女性の活用」に苦労しているようです。
女性活用を推進する専任の部署を創ったり、女性管理者登用の目標を設定したりしています。

どこかおかしいと思えてなりません。
それで、「そんなに無理して女性を活用する必要があるんですか」と暴言をはいてしまいました。
誰が一体望んでいるのか。
当の女性は活用されたいと思っているのか。
そもそも「活用」って何なのか。

もう大昔ですが、私も25年ほど前、東レで企業文化変革に取り組みました。
その時のポイントの一つが、女性による企業文化の見直しでした。
いろいろと挑戦しましたが、トップの交代で、残念ながら頓挫しました。
しかし、その時感じたのは、女性は男性とは違った意味で、
企業活動に大きな活力を与えてくれるということでした。
久しぶりに、当時のことをいろいろ思い出しました。
ちなみに、その時の取り組みは、「女性の活用」などという動機は皆無でした。
女性がエンパワーされたら、会社の業績はよくなるし、みんなも働きやすくなるだろうという思いでした。

女性が男性とは違った能力を発揮している会社は少なくありません。
しかし、それがすぐに管理職比率などにつながるわけではありません。
管理職の女性比率を増やそうということ自体が、実は男性の発想かもしれません。

その発想では、企業は変わりようがありません。

現在の枠組みの中で、女性の活用策を整備していくことは、もしかしたらせっかく女性が持っている男性とは違った能力を活かせなくすることかもしれません。
つまり、女性活用が、逆に女性の特質を疎外してしまうという罠に陥りかねません。

私は、男性とは違った女性の能力と感性が、袋小路に入ってしまっている企業や経済をブレークスルーするのではないかと思っています。
そういう視点から、女性をエンパワーし、その活躍の場を育てていくことが、いま求められているように思えてなりません。
それは「女性の活用策」ではありません。
女性が活用できるように企業を変えていくことです。
「女性」は、目的語ではなく主語なのです。

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2008/12/04

■節子への挽歌460:年賀欠礼の報せ

節子
年末になるといろいろな人から年賀欠礼のはがきが届きます。
だから年末は好きではありません。

節子を見送った昨年、私は年賀欠礼のハガキを出しませんでした。
事務的に報告する気分にはなれませんでした。

昨日、差出人に見覚えのない年賀欠礼状が届きました。
手書きの文章が添えられていました。
「大変お世話様になりましたこと、心より厚くお礼申し上げます」
ドキッとして、本文を読みました。

会社時代に付き合いのあった友人の奥さんからでした。
彼は私より2歳若く、65歳でした。
会社が違っていたのですが、あるテーマで彼と話したことが契機になって、ささやかな付き合いが始まりました。
そんなに親しかったわけでもありませんし、考え方もライフスタイルも全く違いました。
ただ共通点が一つだけありました。
自分でいうのもなんですが、うそが嫌いだという点です。

私が会社を辞めてからは、年賀状だけの付き合いになりました。
15年ほどたって、彼が突然部下を連れてやってきました。
名刺を見たら、副社長になっていました。
仕事の接点を探しに来たのかもしれませんが、私の生き方を知って、仕事の話は一切せずに帰りました。
世界が違ってしまっていたのです。

しかし2年前、大阪の関係会社の社長になったとまた連絡がありました。
何となく会いたくなって、大阪にある会社を訪問しました。
彼自らが工場を案内してくれました。うれしそうでした。
彼が、奥さんはどうかと訊いたので、必ず治すよと答えました。
彼も、自分はこの会社を建て直したいと話してくれました。

昨年の今頃でしょうか、東京に来たのだがと携帯に留守電が入っていました。
私も彼の携帯に節子のことを話し、会いにいけないと伝言を残しました。
その後、連絡のないままになっていました。

長々と書きましたが、最後の留守電のやりとりが、実は奇妙に心に残っていました。
彼はなぜその後、電話をくれなかったのだろうかと思ったこともありました。
義理堅い彼のことだから、何か理由があるはずです。
そして、突然の訃報。
ハガキにはこう書いてありました。

主人は努力、信念、情熱の人でした。
そして、家族をいっぱい愛してくれました。

彼とどんな話をしたのか、今ではほとんど思い出せません。
私は家族の話をしましたが、彼からは聞いたことがありません。
古武士のようなタイプの彼は、無駄口をたたくことは一切ありませんでした。
しかし、彼が私を信頼してくれていたことだけは確信が持てます。
私も彼を信頼していました。
嘘をつかない人であり、信念のためには命も投げ出す人でした。

また一人、友を失いました。
しかしもし仮に、彼が私よりも長生きしたとしても、せいぜい会うのはあと1~2回だったでしょう。
いや会うことはなかったかもしれません。

そう考えると、死とはなんだろうかと改めて考えたくなります。

節子
君も会ったことのある藤原さんです。
そちらで会ったらよろしく伝えてください。

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■豊かになる出発点は、「ありがとう」の一言

アフリカのケニヤのある地域では、相手に何かをしてあげた人が「ありがとう」と言う文化があるそうです。誰かに何かしてあげることができる自分を感謝するとともに、その善行を拒否せずに可能としてくれる相手に感謝するのだそうです。
とても共感できます。

先日の支えあいサロンで、ボランティアの人にお礼をすることの是非が少しだけ話題になりました。
そのときに思い出した話です。
日本では無償行為がボランティアだと考える人が多いです、
そのため、ボランティアの人にお礼をすると怒り出す人さえいます。
お金をくれるようなら、もうやりたくないというわけです。
こういう人は、「お金のため」にやっている人と同じ類の人だろうと、私は思います。
お金に囚われているわけですから。

それに素直な感謝の気持ちとしてお礼を差し出した人に対して、かたくなに断るなどということは相手に対して失礼な態度としか言いようがありません。
ケアマインドが全くないというべきでしょう。
言い換えれば、相手より自分を上に置いていることになります。
そうした人の施しは、目線の高い施しであり、決してボランティアとはいえないと私は思っています。
人からの施しをもらうこともまた施しなのです。

うまく伝わったかどうか心配ですが、ケアとかボランティアとかは、一方的な行為ではなく、双方向的な関係概念だと思います。

最近中断していますが、以前やっていたコモンズ村の通貨ジョンギでこんなことがありました。
ある人がテーマパークのチケットを購入したのに行けなくなってしまいました。
それで誰か行く人はいないかと呼びかけました。
幸いに村民の一人が、孫と一緒に行きたいと言ってくれました。
そこでチケットはその人に譲られたのですが、その取引において、通貨はどちらからどちらに動いたと思いますか。
チケットと一緒に通貨も動いたのです。
つまり、「チケットが無駄になるところだったのに使ってくれてありがとう」というわけです。
そして、同時に、チケットを譲ってもらった方の人も、「使わせてもらってありがとう」と同額の通貨をその人に送ったのです。
詳しくは私のホームページを読んでください。

この取引は、まさに上のケニアの話に通じています。
そして、そうした文化においては、いつか通貨は不要になっていくはずです。

取引手段としての通貨は、本来、貧しい時代の過度的な手段なのです。
目指すのは、「ありがとう」を言い合う文化でした。
しかし、残念ながらその過度的な取引手段が、主役になってきました。
それに伴って、「ありがとう」がなくなってきたのかもしれません。

私は、目線を同じくする人からの施しは進んでもらうようにしています。
そのせいかいろんな人がいろんなもの(こと)をくれます。
ですからお金がなくても、私はいつも豊かなのかもしれません。
豊かになる出発点は、「ありがとう」の一言なのです。

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2008/12/03

■節子への挽歌459:罪悪感

今年最後の月命日です。
月命日の日はいつも自宅で過ごすことにしていましたが、今日は、ある委員会に参加するため、午後、家をあけました。
午前中は在宅し、お墓にもお参りしたのですが、何だか少し気が落ちつきません。
節子の月命日に出かけたのは、今回で2回目です。

ある事が起きて、その事がどうしても受け入れられない場合、一番簡単な方法は、自らの罪悪感であがなうことです。
愛する者の死は、まさにそれに当たります。
おそらく事故や犯罪で愛する人を失った場合も、そうなのではないかと思います。
加害者をとがめたくなるのは当然でしょうが、とがめて何かが変わるわけではありません。
結局、自らを責めることになるような気がします。
愛する人を失った責任は自分にあると思うと、発想を完結させられるからです。
私の場合は、そうです。
節子を治せなかったのは私の責任ではないという考えを裏付ける理由はいくらでも見つけ出せます。
しかしそれを見つけたり考えたりするのはとても辛いので、考えないようにしていますが、ともかく心の奥に深い罪悪感があるのです。
何回か書いていますが、誰が何と言おうとその罪悪感は消せません。

いつもはお墓でも位牌でも、口に出るのは「節子、ありがとう」です。
でも月命日だけは、「ごめんね、節子」になります。
月命日は、私にとっては懺悔の日なのです。
ですから月命日には自宅で「懺悔の1日」を過ごすことにしているのです。
そしてそれ以外の日は、できるだけ罪悪感は封印しています。

その懺悔の日なのに、今日は出かけてしまいました。
こうして生活がまた元のようになっていってしまうのでしょうか。
昔の私なら、問題は懺悔の心であって、型ではないよ、というでしょう。
しかし最近は、型にも意味があるような気がしてきています。
節子も型よりも実の人でしたが、今はどうでしょうか。
やはり月命日は自宅で節子と一緒にいようと思いました。

委員会が終わって急いで帰宅したら、敦賀の義姉から節子への供物が届いていました。
今年最後の月命日だからといって、節子の好物を送ってくれました。
節子と一緒に、家族みんなで食べました。
こうして15回目の月命日は終わりました。
節子、ありがとう。

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■どの掟に従うか

最近、リンクさせてもらったブログで読んだ記事がずっと気になっています。
daxさんという、5年前までヤクザだった人の「手垢のついたメモ帳」というブログです。

俺は日本の法律をたくさん犯したが、ヤクザの法律はきちんと守ってきた。
ヤクザの法律を守るということは、日本の法律に背く事になるのだが、
その部分については、日本の法律に決められた方法に従って、責任を果たしてきた。
「服役」という責任の取り方で・・・。
ヤクザの法律は、「ヤクザの掟」と言ってもいいでしょう。
そもそも人が集まれば、集団を秩序化するために掟(ルール)が生まれます。
掟があることで、メンバーは行動しやすくなります。
しかし、集団の掟は、その集団の実状に合わせて創られますから、ほかの集団の掟とは同じになるとは限りません。
その組織集団が結束力を高めようとすればするほど、掟も特殊化しかねません。
会社には会社の、役所には役所の、学校には学校の、掟が生まれるでしょう。

掟違反に対しては罰則が適用されます。
しかし、そうした罰則にも、かつては救いの仕組みが用意されていました。
その典型が「村八分」の知恵です。
掟を破って村人が絶縁した人にも、葬式と火事の際には付き合いが保証されていました。
しかし、掟が明文化され、近代的な法律に整備されるとともに、救いの仕組みは消える傾向があります。

ちなみに、ヤクザの掟と日本の法律の、どちらが正しいかというのは無意味の質問です。
そもそも法とか掟は秩序化のための判断基準でしかありませんから、それ自体が正しいかどうかとは無縁の存在です。
内容がどうであろうと、その秩序の内部では守ることが正しいということになります。
ですから「悪法もまた法」なのです。

しかし、ヤクザの世界もまた日本の中に存在する以上、上位の世界のルールには従わなければいけません。
それが秩序というものだからです。
自分の属する社会の掟とその社会を包括する上位の社会の掟とが食い違った時に、人は悩みます。
上位の社会の掟を守ることを是とする人もいるでしょうし、より身近な社会の掟を守ることを是とする人もいるでしょう。
少し前までの日本には、後者の文化がかなり残っていました。
しかし、どちらに従っても、もう一つの掟から罰せられることになります。
daxさんは、ヤクザの掟を守ったために、服役することになったわけです。

長々書いてしまいましたが、こうした視点で昨今のさまざまな事件をみていくと考えさせられることが多いです。
また社会がどう変質してきているかも見えてくるような気がします。
掟の構造化は社会を見る場合の大きな基準になります。

人の行動は、すべて何らかの「掟」に従っているはずです。
個人の信条も、ある意味では心の中に決めた通時的な掟です。
各人の心の掟(信条)から宇宙的な自然の掟(摂理)にいたるまで、さまざまな掟がありますが、それらが有機的につながっているかどうかは重要な問題です。
近代国家システムは、そんなことに配慮することなく、ある視点で作られた掟を「国家の法律」とし、それを最優先することにしたわけです。
それが「法治国家」の理念です。

社会が成熟してきたいま、そうした「掟の階層構造」を見直していくことが必要になってきているような気がします。
つまり掟の階層化のベクトルを反転させることが検討されてもいいような気がしますが、どうでしょうか。

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2008/12/02

■黄柳野高校はなぜこうなってしまったのか

愛知県新城市の黄柳野(つげの)高校(全寮制)の学生寮に喫煙室が設置されていたことが大きな問題になっています。
校長は書類送検されましたが、記者会見で「話し合いで指導しきれなかった。法令違反と認識しているが、このような方法しか考えられなかった」と述べたといいます。
ちなみに、その喫煙室は「禁煙指導室」だったそうです。
こうした発言に対して、喫煙をやめさせる方法が考えられなかったのであれば校長を辞めるべきだったと、テレビではかなり厳しく批判されています。

黄柳野高校設立のことを知った時は感激しました。
協同総合研究所の機関誌で、その経緯を知ったのです。
学校から締め出されて、行き場のない子どもたちを受け入れる全寮の学校を「市民立」でつくろうという、そのプロジェクトは、新しい学校の歴史の始まりを予感させるものでした。
1990年に設立準備委員会が発足し、全国に募金の呼びかけが始まりました。
岸田今日子や永六輔などもチャリティに協力し、予定よりも1年遅れましたが、1995年4月、開校しました。
詳しいことはもう忘れていますが、当時は私にとって、「きのくに子どもの村学園」と並んで、新しい学校のモデルでした。
全寮制で、子どもたちの個性を伸ばしていく教育を目指していたはずです。
しかし、その後、あまり名前を聞くこともなく、いつの間にか忘れてしまっていました。
それがこんな形で話題になるとは、とても残念な話です。

日本の高校がどのくらい荒れているか、それは想像を絶しているようです。
私にも高校の先生をしている友人が何人かいますが、その人たちの話はすさまじいです。
ですから、私はその校長先生をとがめる自信はありません。
それにさまざまなひずみや問題を一身に背負っていたのかもしれません。
もちろん「禁煙指導室」が喫煙室になっていたことは批判されるべきでしょうが、問題はそんなに簡単だったのかどうかです。
すべてを教師の責任にはできませんし、喫煙がすべてではありません。
高校の時に酒や煙草を経験していたと、悪びれることなくテレビで発言しているタレントや有名人こそ、断罪されるべきでしょう。
いやそれ以上に、今も路上喫煙している大人たちだって糾弾すべきです。
酒を飲んで周りに迷惑を与えている大人たちも、私には許しがたい存在です。

学校の現場で、どれほど先生たちは苦労しているか。
それを思うと、事はそう簡単ではないような気がします。
それにしても、市民立の最初の高校が、こういう結果になってしまったことがとても残念です。
喫煙問題の奥にある、もっと大きな問題に目を向けて行かなければいけないような気がします。

私にとってのもう一つの「希望の星」だった、きのくに子どもの村学園のほうはどうなったのでしょうか。
最近、ある人から、ここもちょっとおかしくなっているようだと聞きましたが、本当でしょうか。
どなたか最近訪問した方があれば、印象を教えてくれませんか。

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■節子への挽歌458:お茶の時間

わが家の文化のことを書きましたが、今はほとんどなくなった文化もあります。
一昨日の日曜日、庭のふじ棚の手入れをみんなでしました。
みんなと言っても、下の娘が中心で、あとの2人はその手伝いだけなのですが。
それが終わって、なんとなくみんなそれぞれの役割を終えて、食卓に集まりました。
おやつを食べながら、話をしていたのですが、なんとなく懐かしい気がしてきました。
そして、「そういえば節子がいた時にはお茶の時間があったな」と思い出しました。

節子は、庭の花の手入れなどが終わって一段落すると、家族みんなに「お茶でも飲まない」と大声で呼んでくれました。
それぞれ何かをしていた家族は、その声で食卓に集まりました。
節子が買ってきたおやつや手づくりのおやつが用意されていました。
節子は、家族のためにおやつを作るのが好きでした。
そしてみんなで談笑しあいました。
話の中心は節子でした。
特に何か話題提供するわけではないのですが、節子がいるだけで場が明るくなりました。

こうした「お茶の時間」は、残念ながら節子がいなくなった後、あまり体験することがなくなりました。
節子がいない「お茶の時間」は成り立たないのです。

今でも娘たちは出かけると、節子がそうであったように、ケーキなどを買ってきますので、食卓に集まることはありますが、それぞれに好みの「お茶」がバラバラですので、「お茶の時間」にはならないのです。
とても寂しいですが、もう「お茶の時間」は復活しそうもありません。
家族を喜ばせたがっていた節子が、もういないからです。

今日は節子の珈琲を供えました。
相変わらず美味しくないね、と笑っているでしょう。
500グラム500円のモカ珈琲ですから。

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2008/12/01

■NPO法施行10周年と新公益法人制度のスタート

今日はNPO法が施行されてから10年目です。
そして今日から新公益法人制度がスタートしました。
公益法人制度改革では一時、NPOも含めての議論が行われていましたが、NPOサイドから反発が起こり、別建てでの議論になりました。
私も当時、公益法人改革オンブズマン活動にささやかに参加しましたが、やっている途中でどうもその動きにも違和感を持ち出してしまい、脱落してしまいました。

私もささやかですが、NPO活動や住民運動などにも関わっていますが、こうした動きにどうも関心を持てないのです。
なぜでしょうか。
自分でもわかりませんでした。
しかし、その答が少しわかったような気にさせられるメールを昨日、もらいました。

法人格をとらずに、任意団体で市民活動に取り組んでいる人からのメールです。
ある人から、法人格をとらずに活動しているグループを教えてくれと言われて、彼女を紹介したのですが、その時の感想です。

どうしてNPO法人にならないのか、というご質問でした。
「する必要がなかったから」とお答えしました。
どういう条件があれば、法人格を取りますか? と聞かれ、「思いつかない」とお答えしました。

かえって考えてしまいました。
法人格をとらないということが、そんなにビックリされることなのか…。
何もやらない、めんどくさがりというだけなのに。

事の本質が示唆されているように思います。
私もいま取り組んでいるコムケア活動の事務局をNPO法人にしようかどうか迷った時期があります。
しかしめんどうなので法人化しないままにきています。
法人化したら、もう少ししっかりした活動を展開できたかもしれませんが、組織維持のために苦労したかもしれません。

しっかりした活動をするためには、法人化しなければいけないということはないはずですが、私たちはどうもそう思いがちなのです。
それに一人の市民として、活動するのに、法律などは関係ありません。
そもそも法律に準拠する生き方が蔓延したが故に、コンプライアンス主義とか偽装問題がはびこってきたのかもしれません。
法治国家などというと聞こえはいいですが、要するに自律していない人たちの寄せ集めを秩序化するのが法律ですから、そこにはある種の責任放棄があるわけです。
法律を守っていれば、非難されないなどと言うのは、いかにもだらしない社会です。

それに、そろそろ「公益」などという発想から抜け出なければいけないような気もしますし、NPO、つまり「非営利」などという金銭主義発想からも抜け出たいものです。

またまた暴論めいたことを書いてしまいました。
NPOブームが社会をいい方向に変えてきていることは否定しませんが、何かとても大切なことを見えなくしてしまっているのではないかという懸念があるために、よけいな事を書いてしまいました。
NPO活動に取り組んでいる友人知人から、また怒られそうです。

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■節子への挽歌457:節子が育てた家族のルール

わが家の文化の話を時々書いていますが、こんなルールもあります。
今もなお守られているルールです。

誰かが外出する時、節子は必ず玄関まで見送りました。
私の場合は、時に玄関先まで見送ってくれました。
その文化を私は今もしっかりと守っています。
私が在宅で娘たちが先に外出する時には、それがたとえ近所のお店への買物であろうと、必ず私は玄関まで出て見送るようにしています。
節子の代役をつとめているだけなのですが。
私が外出する時には、むすめたちに「玄関まで見送るのが節子が残した文化だから」と、無理やり玄関まで見送ってもらうようにしています。
まあ、これは必ずとはいえないのですが。

誰かが帰宅するとみんなリビングに集まるのも節子が育てたわが家の文化です。
これはいまでもほぼ確実に守られています。
節子がいる時は、節子が中心になって話も弾みましたが、いまはなかなかそうならないのがちょっとさびしいですが、でもみんな顔を合わせます。

こうした家族のルールが、わが家にはいくつかあります。
そのほとんどは節子が育ててくれた文化です。
まさか私を置いて、自分が先に逝ってしまうことなど、節子は予想だにしていなかったでしょうが、その文化のおかげで、私はいまなお娘たちに支えられているわけです。

そんなわけで、外出する時にはいつも節子を思い出します。
節子は最高の伴侶でした。
感謝しています。

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