■節子への挽歌480:節子のいないクリスマス
節子
君がいたら、今日はにぎやかなクリスマスです。
節子はいつも、家族みんなにささやかなプレゼントを用意していてくれました。
「ささやか」でしたが、心はしっかりとこもっていました。
しかし、今年は節子のいないクリスマスでした。
前にも書きましたが、私にはあまり「贈りもの」という思想がありません。
手元にある物をだれかにもらってもらうのは大好きですが、プレゼントのために何かを買うという行為が不得手なのです。
私はそもそも「買物」行為が苦手なのです。
節子へのプレゼントまで、節子に頼んで買ってきてもらおうと思ってしまうため、結局、プレゼントにならないのです。
ですから、私は節子にあまりプレゼントした記憶がありません。
節子
もっと君にプレゼントをしておけばよかったです。
ところで昨年のクリスマスはどうだったのでしょうか。
昨年のブログを読み直してみました。
1年前のことは、ほとんど私の記憶にはないのです。
ブログによれば、わが家全体が沈んでおり、プレゼントのやりとりはなかったようです。
でも今年はちょっと違っていました。
今日は出かけており、帰宅したのは6時すぎでしたが、娘たちがわが家らしい食卓を用意していてくれました。
ジュンが手づくりのいちごケーキを、ユカがいつもよりちょっと豪華な手づくり料理を用意してくれていたのです。
3人でこじんまりと、節子を話題にしながら、久しぶりに笑いの多いディナーでした。
節子にもケーキを供えました。
2年前に戻ったようです。
それにしても、節子がいないのが、私にはまだとても不思議でなりません。
どこかにいるような気がしてなりません。
愛する人を亡くした人は、きっとみんなこんな風にして、クリスマスや正月を過ごしているのでしょうね。
理由は何であろうと、節子を思い出せるのであれば、こうした行事もいいものです。
これでわが家もみんな、元気で年も越せそうです。
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