■裁判員制度はやはり白紙にするべきではないでしょうか
新聞報道によれば、来年5月に始まる裁判員制度の候補者約30万人ののうち4割にあたる約12万人から、18日までに辞退を希望するなどの回答票が返送されたそうです。
たぶん辞退者はもっと増えるでしょう。
こういう反応があっても、まだ政府は裁判員制度を進めようとするのでしょうか。
4割の人が反対しているということの意味をきちんと受け止めて、考え直すべきではないかと思います。
定額給付金と同じで、国民の反対など意に介さないのであれば、裁判員制度の拠り所を自己否定することになります。
つまり裁判員制度の拠って立つ「国民参加」の根本が否定されているのですから。
いずれにしろ、裁判員制度の本質が少し見えてくるでしょう。
私の友人知人の弁護士もこの制度にかなり深く関わっていますが、彼らはいずれも誠実な人だけに、なおさら権力というものの持つ狡猾さを感じます。
ところで、昨日20日、裁判員制度に反対する団体が、都内で会見を開きましたが、そこに最高裁から通知を受け取った候補者3人が実名で反対や制度廃止を訴えたことがテレビなどで報道されています。
ネットの産経ニュースにはその3人のコメントが掲載されていました。
都内の男性会社員(65)は「(候補者が実名を公表することなどは)違反と知っていたが、素人が審理しても意味がない。反対の声を大きくしなければと(今回)参加した」と訴えた。候補者通知を開封せずに送り返したという千葉県の無職男性(65)は「死刑や無期懲役という重大事件を裁くことは心に傷を残す」、千葉県のコンサルタントの男性(63)は「職業によって参加が義務だったり、そうでなかったりするのはおかしい」などと語った。テレビでは、「私は人を裁くことをしないことを信条にしている」という発言もありました。
いずれも、とても共感できます。
もし私も候補者になっていたら、辞退の返事を書くつもりでした。
裁判員制度を導入してしまえば、このブログでも何回も書いていますが、裁判制度は全く異質なものになるでしょう。
そもそも何のための裁判制度かわからなくなります。
専門職としての裁判員の責任感は一体どこに行ったのでしょうか。
友人から、どうして佐藤さんは裁判員制度に反対なのですか、と聞かれたことがあります。
しかし、そもそも私の頭の中には、そういう問題はありえません。
むしろ、なぜ裁判員制度が必要なのかと問いたいです。
問題の立て方を間違えてはなりません。
今の裁判制度に問題があることは認めますが、その問題を解決するために裁判員制度がどうつながるか私には全くわかりません。
個々の裁判を通して、裁判員を弾劾する仕組みとしての国民の監視機構や、それを適切にするための裁判の透明性の確保、さらに事件当事者の適正な参加を保証する仕組みなどを考えるべきだろうと思います。
私は、自分の生活に大きな影響を与える統治側の職務にある人たちを評価することはできますが(このブログでも批判しているのは、そうした職務にある人たちです)、統治されている人たち同士の、しかも自分の生活に直接繋がらない関係(事件)を裁く意味が理解できませんし、その自信や気力をもてません。
それに、もし私が被告になったとしても、制度に裁かれるのは受け入れられますが、人に裁かれるのは受け入れがたいと思います。
わずかでも自分が当事者になっている事件であれば、ぜひ参加したいですが、それでも「判決」は専門家に任せたいです。
それを崩せば、「ブレイブワン」のような、私刑制度につながっていくでしょう。
つまり社会が壊れていくということです。
それを目指すのであれば、それは別の話ですが。
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コメント
はじめまして。
以前、ユニバーサルデザインについてWEB検索していて、こちらのブログを知りました。それ以来、時々拝見しています。
佐藤さんの文章は、いろいろなこと・ものについて考えるきっかけや考えを深める手助けとなっています。ありがとうございます。
僕は裁判員制度に反対です。その上で、この制度の真の目的はなんだろう? と考えていたのですが…
この制度を利用して、国民一人ひとりの意識や思想等のデータベースを作ることも可能だと思うのです。
国や巨大な組織がやることは往々にして… 表面で言っていることの裏に真の目的があるのはいつものことだし、副次的に得られる様々な個人データを流用しないわけないだろうな、と思います。
まだ、この先になにかあるように思えてなりません。この裁判員制度はそのなにかへの布石のようにも感じます。このままでは絶対にいけないと強く思います。
投稿: 渡辺一紀 | 2008/12/22 02:45
渡辺さん
はじめまして。
コメント、ありがとうございます。
制度の先にあるものへの「想像力」が大事だと私も思います。
目的が納得できない制度に従うのは気分的にもいやですよね。
機会があったら、ぜひオフィスにも遊びにお立ち寄りください。
投稿: 佐藤修 | 2008/12/22 09:19