■節子への挽歌476:「書は散なり」
節子
「空海の企て」(山折哲雄)を読みました。
空海というとちょっと距離感がありますが、弘法大師といえば、節子のなじみのある存在になります。
節子はいつも故郷に戻ると近くの「太子堂」に行って、弘法さんをお参りしていました。
時々、私もつき合わせてもらいました。
節子の位牌壇にも大日如来の隣にはちゃんと弘法さんをお祭りしています。
空海は不思議な人です。
宇宙の虚空蔵ともつながっていたという噂もありますが、真言密教による国家乗っ取りを図った策士だという見方もあります。
私がこの本を読み出したのは、空海の戦略という話を、早稲田大学の松原教授に聞かせてもらったからです。
この本を読んでいて、ハッとした言葉がありました。
「詩は身心の行李を書きて、当時の憤気(ふんき)をのぶ。」あんまりよくわかりませんが、何だか最近の私の気持ちそのままのような気がしたのです。
「古今時異なりと云ふと錐も、人の憤りを写(そそ)ぐ、何ぞ志を言はざらむ。」
心のうちの怒りと悶えを解放すること、それが「憤りを写ぐ」ということであると著者の山折さんは書いています。
そして、文を書くことは、「憤気」の解放、つまりカタルシスだというのです。
「書は散なり」という言葉もあるそうです。
中国の後漢時代の文人の言葉だそうです。
空海はその言葉を引用し、「書の極意は心鬱結する感情を万物に投入放散し、性情のおもむくままにして、そののちに文に書きあらわすべし」というようなことを書いているようです。
私のこの挽歌は、単に「憤気の解放」「鬱結する感情の放散」に留まっているような気がします。
もっとしっかりとその「憤気」に身を任せ、「そののちに文にあらわす」ならば、もう少しきちんとした挽歌になるのかもしれません。
まだ「書くための挽歌」であり、書いているときの自分の解放感のためのものでしかないとしたら、読んでくださっているみなさんには申し訳ない気がします。
いつか「読んでもらえる挽歌」が書けるような気がしていましたが、実は最近その自信がなくなってきているのです。
その理由が、この本を読んで少しわかったような気がします。
私は、この挽歌を書いているおかげで、そしてその挽歌を読んでいてくださる人がいることを感じているおかげで、自らの気を鎮めていられるのです。
心の中にしっかりした志(目的)があれば、その文は「述志」になります。
空海と私が、全く違うのは、志の有無でしょう。
空海であれば、愛する人との別れにどう対処したでしょうか。
「散としての挽歌」を書いたでしょうか。
それとも「志としての挽歌」を書いたでしょうか。
もし後者であるとすれば、人を愛することにおいては、私は空海を上回れたかもしれません。
まあ、上だ下だなどということには空海は無頓着だったでしょうが。
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