■節子への挽歌468:「やっと来ることができた人」と「まだ来られない人」
高崎のTYさんが友人と一緒に湯島に来てくれました。
会うなり、「やっと来ることができた」とTYさんは言いました。
TYさんは私よりも5歳上です。
そして私より3年ほど前に伴侶との別れを経験されました。
私が彼女と最初に出会ったのは、たぶん5年ほど前です。
ちょうど節子が手術をした少し後でした。
当時、TYさんも夫と一緒に闘病していたのです。
しかし、私は節子のことで頭がいっぱいで、たぶん彼女の状況をきちんと理解できないでいました。
しばらくして、彼女が主催したイベントに参加しました。
その直前に彼女が夫を見送ったことを知って驚きましたが、彼女はそのイベントを見事にやり遂げました。
その時の彼女の思いを、私は十分に理解することができていませんでした。
彼女の気持ちを知らされたのは、その数年後、節子を見送った時でした。
節子を見送った後、彼女からたくさんの元気付けをもらいましたが、
その言葉や文字の中に、彼女が体験し、今も抱えている悲しみや辛さに気が付いたのです。
「見た目」と「内部」は全く違うことを知りました。
TYさんを知ったのは、犯罪被害者にテディベアを送る彼女の活動計画に共感したのがきっかけです。
TYさんは、今もテディベアづくりをベースにさまざまなところに「元気」と「癒し」を送り込んでいます。
節子の病床にも、彼女が創ったデディベアがありました。
節子はTYさんには会ったことはありませんが、その活動は知っていました。
TYさんの書いた本も読んでいました。
読み終えた後、「すごい人ね」と一言、つぶやいたのを今も覚えています。
そのTYさんが、わざわざ高崎から新幹線で来てくれたのです。
帰り際に、彼女が言いました。
来ようと思っても来られなかった。
でももう大丈夫。
また来ます。
彼女は最愛の夫を看病し見送りました。
その衝撃は大きすぎて表情に出せないほどだったのです。
そして、最愛の妻を見送った私の姿が、ご自身のことと重なっていたのかもしれません。
だから高崎駅まで行けても、新幹線には乗れなかったのです。
とてもよくわかります。
私もしばらくの間、会いたいのに心身が拒絶して、会いにいけなかった人が少なくありませんでした。
愛する妹を見送ったSBさんから、会社を辞めることにしたとメールが来ました。
良かったら会いに来ませんかと、メールしました。
TYさんに会った日、SBさんから「まだ会いに行けない」と返信が来ました。
愛する者を見送ってしまうと、心身がなかなかうまく動かなくなるのです・
なんでもないようなことが、時に大きな壁になって、自分の前に立ちふさがってしまうようことが、やはり私にもあります。
そうしたことを一つひとつ超えながら、前に進んでいかねばいけません。
帰宅したTYさんから、
「肩の荷を下ろされた安堵感がすごく伝わってきました」
というメールが届きました。
節子
私も前に進んでいるようです。
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