■企業の反乱
最近の企業の凋落振りは驚くべきものがあります。
「戦後最長の景気拡大が終わった」といわれだしたのは、ついちょっと前の今年の夏でした。
それが、あれよあれよといううちに、大企業が軒並み従業員解雇に取り組みだす状況です。
以前も書きましたが、最近の経済はまさに砂上の楼閣でしかありません。
企業もまた、人に支えられた組織ではなく、金に支えられた組織になっていますから、そうした経済の動きをもろに受けてしまいます。
企業をそうやって、金に売ってしまったのは、この15年の大企業経営者ですが、彼らにはその自覚はないでしょう。
鉄面皮にも従業員を解雇して乗り切ろうとしているのですから、良心のかけらさえも私には感じられません。
20年前に、13人の経営者をインタビューする機会がありましたが、その時にはまだ「経営者の心」を感じましたが、今はそう思える経営者は見当たりません。
それにしても、企業の財務構造がこれほど脆くなっているとは驚きです。
トヨタなども業績悪化を円高のせいにしていますが、しっかりしたエコノミストがいたら見通せたはずですし、しっかりした経営者がいたら、円高リスクを防ぐ手立てはあったはずです。
いずれも、いまの企業にはいなくなったのでしょう。
金のことしか頭にないアナリストたちに振り回されるだけでなく、自らの短視眼的な私欲に目がくらんで目先の浮利ばかりをおってきた結果ですが、その責任を自らは背負うことなく、従業員にしわ寄せしている姿はさびしいものがあります。
かつての経営者の「浮利を追わず」や「企業は人」という思想は忘れられてしまっています。
前にも書きましたが、経済などの複雑な要素が絡む事象には、本来、「突然」などと言うことはありえません。
カタストロフィーという現象はありますが、当然のことながら、予兆もあれば、回避策もあります。
高水準の黒字から赤字に一転するのは、「経営の不在」以外の何物でもありません。
責任を取るべきは、経営者であって、従業員ではありません。
いまこそ、改めて「経営とは何か」「企業とは何か」を考える時ではないかと思います。
経営とはいうまでもなく、その基本に「愛」がなければ成り立ちません。
「経営とは愛」というのが、私の20年来の姿勢ですが、経営は同時にまた「不変の道理の実現」です。
その「不変の道理」が見失われているのです。
私の友人が、20年以上前から企業経営者に「経営道」を呼びかける活動をしています。
昨日、その話をある人にしたら、「その効果はあがっていますか」と質問されました。
残念ながらあがっていないとしか思えません。
企業は人間が発明した素晴らしい仕組みの一つです。
それは、金のための仕組みではなく、人のための仕組みなのです。
その企業がいまや人に対して「反乱」をしているような状況が生まれています。
いまこそ日本経団連や経済同友会は、経営の原点に返って、自らを問い直す必要があります。
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