■節子への挽歌479:「迷った時には行動する」
昨日書いたように、節子に話したいことがどんどん増えている理由のひとつは、10月くらいから少しずつ活動の度合いを広げてからです。
節子がいた頃とはまだ大きく違いますが、それでもかなり飛び込んでくる情報に心身的に対応しだしています。
後押ししてくれる節子はもういませんし、落ち込んだ時や壁にぶつかった時に救ってくれる節子ももういません。
しかし、動き出したら、どんどん向こうから問題が飛びこんできます。
それに、不思議なほど、それらがつながっていくのです。
ですから動かざるを得なくなっていくのです。
しかし、行動は以前に比べるとたぶん重苦しくリズミカルではありません。
迷いもあり、後悔もあります。
先日、隠岐の海士町に行った話は書きましたが、大きな後悔があります。
海士の診療所の榊原所長に会ってこなかったことです。
会おうと思えば会えました。その診療所の前をタクシーで通ったのですから。
以前なら躊躇なく会いに立ち寄りました。
でもなぜか診療所の前を素通りしてしまいました。
タクシーの運転手さんに、よろしく伝えてくださいと、全く意味のない伝言を頼んだだけでした。
実は榊原さんとは友人でも知人でもありません。
榊原さんは私のことなど全く知りません。
私が知っているのは、榊原医師が地域医療でがんばっていて、第1回目の地域医療貢献賞の受賞者であることだけです。
その賞の事務局の人から、海士に行ったら会ってみたらといわれただけなのです。
海士に行く前は会いに行こうと思っていましたが、いざ行ってみたら、何だか気が重くなったのです。
なにを話せばいいのか、それにお土産も忘れてしまったのです。
それで迷った結果、結局立ち寄らなかったのです。
以前ならこんなことは絶対ありませんでした。
「迷った時には行動する」
これが節子の信条でした。
私の信条でもありました。
私たちの信条やルールはかなり共通していましたが、どちらから言い出したかはいまやわからないほど、私たちは夫婦の文化を一緒に創ってきたのです。
「迷った時には行動する」は、かなり強いわが家の文化でした。
その文化のおかげで、実はいろんな失敗も少なくなかったのですが、節子も私も気に入っていました。
夫婦で迷った時には、どちらかがそう言い出し、行動しました。
その信条が、この頃、どうもうまく作動しないのです。
節子の病気が再発してから、この言葉をお互いに口に出せなくなったのです。
迷うだけで行動できない自分に、最近時々出会います。
今回の海士町の件で、それに気付きました。
節子
迷った時に行動していれば、今頃、君に会えていたかもしれませんね。
これからはまた、「迷った時には行動する」生き方に戻そうと思います。
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