■節子への挽歌486:元気で年を越せそうです
節子
今年も何とか家族みんな元気で年を越せそうです。
このブログではあまり書きませんでしたが、それなりの危機もありました。
しかし、年末に近づいてからはそのほとんどが良い方向に向かいだしました。
節子がいなくなってから、家族が背負い込んだものは決して少なくありませんでした。
私自身がもう少ししっかりしていれば、娘たちへの負担も軽減できたのでしょうが、肝心の私自身が一番気を沈めてしまい、前向きになれない日々が続きました。
そのおかげで、友人知人を失ったかもしれませんが、そのおかげで得た友人知人も少なくありませんでした。
娘たちへも大きな迷惑をかけましたが、娘たちにはありのままの私を見せるようにしました。
私にとっては節子の存在はあまりに大きく、節子への依存も強すぎたため自立できていませんでしたから、娘たちは大変だったと思います。
それが必ずしも良かったわけではありませんが、
ともかく自分の思いに素直に過ごしてきたおかげで、
少しは娘たちからの信頼を高められたかもしれません。
節子への挽歌は毎日、その時々の私自身の気持ちをそのまま書いています。
全く無意味な記事も少なくありませんが、時には書きながら涙を出したり、幸せを感じたり、自己反省したり、いろいろです。
パソコンの前にある節子の写真と話しながら書いていますので、
少なくとも1日に1回は節子との会話があるといってもいいでしょう。
1日も休むことなく、節子と話し合ってきたという実感はあります。
1年前に比べると記事のトーンがかなり変わっていると思います。
それがそのまま私の心情の変化なのですが、
心情の根底にある「懺悔の念」は変わりようもありません。
節子への愛しさは高まることはあっても薄れることはありません。
私にとっては、今も節子は最高の伴侶であり、最高の恋人でした。
抱けるものなら今ひとたび抱きしめたいと思います。
しかし、節子といつも一体になっているような気もするのです。
それはとても不思議な感覚です。
娘たちもまるで節子がいるように、今でも節子の名前が出ます。
節子は今もなお家族と共にいるような気がします。
そして今年もまたみんなで年越し蕎麦を食べて、新年を迎えます。
節子がいればどんなに幸せなことでしょう。
それはしかし、欲が深すぎるのかもしれません。
もう少しで今年も終わります。
ホッとしているのが、正直のところです。
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