■渡辺喜美議員の造反と党議拘束制度のおかしさ
昨日の衆議院で、民主党が提出した衆院解散要求決議案に対して、自民党の渡辺喜美元行革相が賛成しました。
それに対して、自民党は早速、党議拘束違反として、戒告処分にすることを発表しました。
渡辺さんの賛成は、衆院解散にはつながりませんでしたが、
自分の主張を貫くことのできない国会議員の活動として、敬意を表したいと思います。
というのも、私は以前から「党議拘束」なるものに大きな違和感を持っています。
私自身は明らかに憲法違反だと思いますが、
仮にそうでないとしても、人心をゆがめ、議員の意志を壊すという側面は否定できません。
郵政民営化の時のおかしな成り行きを見ただけで、その制度がいかにおかしいかは明白です。
党議拘束を維持しているような、非民主的な組織がいまなお国政を担う政党であることに、時代錯誤を感じます。
政党までが、人間の自由意志や価値判断を認めない官僚組織になっているわけです。
どう考えてもありえない話です。
党議拘束は、簡単に言えば、「議会で採決される案件に対し、あらかじめに賛成か反対かを決めておき、所属議員に投票行動を拘束する」(ウォキペディア)というものです。
つまり国会の表決における議員は、単なる投票マシンでしかありません。
その制度の下では、膨大な資金を使って「人」を選ぶ選挙などは不要ではないかと思います。
個人を選ぶ選挙ではなく、政党を選ぶ選挙であれば、資金は桁違いに下げられるでしょうし、おかしな選挙違反も起こりにくくなります。
念のために言えば、私はそういう選挙が良いと考えているわけではありません。
せっかく、資金と労力と時間をかけて、「人」を選ぶ選挙をしているのであれば、個々人の自由意志を尊重すべきではないかと思うのです。
しかも社会の状況は刻々と変化しますから、選挙時の意向が在任期間中、変化しないわけはありません。
それに対象となる案件は多種多様ですから、すべてを党議拘束するわけにはいきません。
事実、時には拘束が緩和される場合もあるわけですが、むしろ「原則」と「例外」を逆転すべきです。
党議拘束が厳しい場合は、郵政民営化の時に露出されたように、議員は時の権力者の奴隷に成り下がります。
国民のためではなく、総裁のために自らの信念をも曲げさせられるのです。
こんなおかしなルールがなぜ温存されているのでしょうか。
渡辺さんの行動を契機に、党議拘束の可笑しさを問題にしてほしいと思います。
国会議員の人たちも少しは主体性をもった自立した人間になったらどうでしょうか。
今の生き方は、あまりにも惨めで卑しいです。
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