■節子への挽歌483:「野菜便」
節子
九州の蔵田さんから、手づくりの野菜便が届きました。
もう5回目の野菜便です。
毎年、どんどん見事になってきています。
節子に見せたいです。とても。
「野菜便」。
この言葉は節子の思い出なしでは語れない言葉です。
ですから蔵田さんからの野菜便を開いた時には、理由もなく目頭が熱くなりました。
実は、先週は節子の姉からも「野菜便」が届きました。
私たちにとっての「野菜便」のはじまりは、節子新聞に投稿した小文でした。
その年に節子の母が亡くなり、それまで毎年届いていた手づくりの野菜が届かなくなったのです。
翌年、敦賀に嫁いでいた節子の姉から「野菜便」が届くようになりました。
そしてさらに、会社を辞めて九州に転居した蔵田さんからも「野菜便」が届きだしたのです。
蔵田さんは上場企業の部長でした。
定年後、会社をすっぱりと辞めて九州に転居され、そこで自然の中で悠々と暮らしだしたのです。
そして、農業も始め、その見事な収穫を毎年届けてくださるのです。
今でもなお「やんちゃ坊主」の雰囲気のある蔵田さんが、まさか農作業などしないだろうと思っていたのですが、その成果を見る限り、どうも半端ではないのめり込み方をしているようです。
品種も実に多様なのです。
昨日は、ユカとジュンががんばって野菜たっぷりの料理を作ってくれました。
ベジタリアンの私としては幸せ一杯でした。
蔵田さんは、節子のことも良く知っていてくださいました。
九州からわざわざ献花にも来てくださいました。
その時は、私はまだ憔悴していたのでしょう、とても心配してくださり、私を元気づけようといろいろとお気遣いいただいています。
実際、私自身、その時、蔵田さんと何の話をしたか思い出せないのです。
自分ではしっかりしているつもりでも、やはり以前の私はおかしかったのでしょうね。
節子
こんな感じで、いろんな人が応援してくれるので、私たちも元気で年を越せそうです。
来年は、みなさんにお返しできるようになりたいと思っています。
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