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2008/12/22

■節子への挽歌477:受け入れたくない事実

460で書いた藤原さんの奥さんから手紙が来ました。
藤原さんは、奥さんに私のことも話をしてくれていたようです。

佐藤様とご一緒に楽しく仕事をさせていただきましたこと、主人はいつもありがたいと申しておりました。
藤原さんがそう思っていてくれたのかと思った途端に涙が出てきました。
そして、果たしてその藤原さんにきちんと対応させてもらっていただろうかと不安になりました。

藤原さんが私と一緒に取り組んだ仕事は一つだけです。
私はまだ東レという会社におり、彼はユニチカにいました。
もう一人東洋紡の人も加えて、3人で繊維産業の実態をマクロに捉える試みに取り組んだことがあるのです。
通常の仕事とは違い、ちょっと研究的な活動でしたので、企業の枠を超えて、楽しくやれたのかもしれませんが、その当時はそれぞれに危機感を持っていました。
しかし、その後、それぞれの企業も厳しい状況に向かい、そんなマクロ的な活動は難しくなってきました。
結局、私は企業社会から脱落し、藤原さんは企業のトップの座に着きました。

企業のトップの座が、いかに孤独で厳しいものか、私には体験がありません。
責任感と正義感の強い藤原さんにとっては、それこそ生命を賭した仕事だったでしょう。
それは彼がトップになってから2回ほど会った時にも感じられました。

藤原さんは肺に疾患が生じ、昨秋ごろから呼吸が苦しくなっていたようです。
私のところに留守電が入ったのはその頃でした。
藤原さんは、たぶんそれを誰にも知らさなかったのでしょう。
そしてたぶん会社の経営改善に全力を投じていたのです。
彼はそういう人でした。
そして夏に体調を崩してしまったのだそうです。

今は主人が亡くなったことを受け入れたくなく、何年経ようとも(受け入れることは)無理なようでございます。
と奥さんは手紙に書いています。
私もそうでしたが、頭ではわかっていても、受け入れられないのです。
1年3か月経た今もなお、私もそうです。

それにしても、なぜ男たちは生命を縮めてまで会社のために働くのでしょうか。
藤原さんは「任侠の人」でしたから、社員のために休めなかったのでしょう。
彼にとっては、会社の社員が家族と同じように大切だったのかもしれません。
藤原さんは、正義と義憤の人でした。

以前、生命を捧げることができるほどの仕事が持てる人は幸せだといった人がいます。
そうかもしれません。
しかし遺されたものが、仕事よりも、正義よりも、自分のために生きてほしいと思うのもまた当然です。

私にとって、生命を捧げるに値するのは節子と娘たちだけです。
おそらく藤原さんもそうだったはずです。
それなのにそうならなかったことが悲しくてなりません。
遺された者の思いは、おそらくみんな同じです。

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